赤裸々31
繊細なら数多の痛みと出会う
だから人は鈍感になれと言う
だが、痛みこそ優しさの源泉だ
繊細なら優しい人間になることができる
それを口にしたら、そんな事は誰も頼んでいないと言うだろう
当然だ、そんなことを頼むのは悪魔だ
それに人に頼まれてできるものではない
自分に頼まれてそうなるのだ
鈍感な人間は痛みに鈍い故
人が優しくないことに腹を立てる
それが他人の痛みの一つであることも
鈍感であるために気付くことができない
皆が繊細で優しくなれば
痛みはどれだけ減らすことができるだろうか
それが可能であるかはわからないが
少なくとも自分が繊細でいれば
この世の痛みを少しは減らせるはずだ
気分で善悪が変わるのは御免だ
適当なくせに人を批判軽蔑するな
人を批判する以上自分はできていなければならない
幸せな状態の人間の心無い言葉が傷付いた心に染みることがあるかもしれないが
幸せな状態を晒しているだけで
発せられるオーラが猛毒になるのだから
心無い言葉以前の問題である
幸せを共有して皆んなで幸せになろうという考えも
傷付いた人間を「皆んな」の中に入れていないものだ
だが安心したまえ
傷付いた人間は君ら痛みを忘れた者達と違って痛みを知っている
君達を憎むことはない
幸福とは状態や結果ではなく
過程にこそある
死ぬまでの全てのことは
通過点であるというのに
どう達成感を感じろと言うのだ
優しさとは
誠実とは
どの視点から見れば正しさに辿り着けるんだ
自分か、他者か、第三者の視点か、強者か、弱者か、双方向の視点か、原因からの視点か、全体観か、長期的な視点か、完全には理解できないという謙虚な視点か、優しい視点か、自分に傷を付ける視点か、生命の尊厳を重んじる視点か、
嫉妬故の攻撃も仇討ちの一つだ
苦労話も
SNSの幸せ見せ合い合戦、人の幸せな投稿で苦しくなるのに自分も幸せな投稿をする
自分たちがされたことをしているまでだ
というご言い分らしい
笑わせてくれる
心の中でさえも言葉にしてはいけないものがある
うざい、気持ち悪い、死ね、消えろ
楽しさの原石すら見つからぬ
塩の結晶は小さい結晶を育てていく
楽しさも同様に原石から大きくしていくはずだ
その小さい結晶が見つからない
気分の波は谷の数だけ下降していた気分を盛り返している
私の場合はy=sinθ-2だけどね
うつ病はy切片がマイナスになる病
双極性障害はsinの係数が大きくなる病
歌の歌詞は好きじゃない
共感はできても他人の物語だと感じる
何者でもないと見せつけられる
自虐はいいけど他人に指摘されるのは腹が立つ
自分でしても効果は薄いが他人にされると効果が大きいという
くすぐ理論が適応される
お酒でも何も忘れられない
自己満足から逃れられないけれど自己満足が嫌いです
せめて他人の自己満足を許せるようになりたいですね




