第四話「異質な少女」
殺が火事の起こった場所に向かっていると、地面を転々と丸い血が彩っていた。
殺はそれを見て眉を寄せ、長く続くその跡を追った。
しばらく歩くと、砕けた電柱の大きな欠片が途中で道を塞いでいた。
ちぎれた電線がそこらに散らばっている。
視線の端には、電柱の根本だったであろうものがあった。
まるで鋭利な何かで切り落とされたようなそれを、殺は冷めた目で一瞥する。
しかしすぐに視線を前に戻し、大きな電柱の欠片を避け、細かく砕けた破片を踏みしめて先へ進んでいった。
火事の起こった現場に着く頃には、燃え盛っていた炎は既に鎮められていた。
車が突っ込んで削れた建物の、瓦礫やガラス片が地面に転がっている。
建物の白いコンクリート壁は焼け焦げて黒く塗りつぶされていた。
黄色のバリケードテープで規制線が張られ、殺とは別行動で先に駆けつけていた隊員たちが調査を行っている。
野次馬が集まっていたが、平日の昼間なためか幸いその数は少なく混乱も避けられている。
殺は状況を確認するため隊員の男のもとに来た。
「怪我人は」
「小さな少女が一人、病院に搬送された。ただ傷はそこまで深くはない」
「軽傷……そっか。わかった」
彼から聞き出すと殺は顎に手を当て、しばし黙りこんでしまった。
男は考える素振りを見せる彼女に不思議そうな顔をした。
「どうかしたか?」
「いや……通報では子供が血まみれだと聞いたから、もしかしたらもう間に合わないかもしれないと思ってただけだよ」
「ああ。そのことなんだが……」
男は言いにくそうにして声を漏らした。
「実は、俺達が駆け付けたときには既に、あの子は息をしていなかったんだ。だが……何でかは分からないが、いきなり脈が戻ったんだよ。しかも、それまであったはずの傷がいつの間にかほとんど消えていた」
「! へえ……」
彼の説明を聞いて殺は目を見開いた。
いくら自然治癒速度の速い可殺民でも、死ぬようなほどの大怪我が数分や十数分でふさがるなどあり得ない。
しかし殺は否定するでもなく、疑うでもなく、真面目な顔をして彼の言葉をのみ込んでいた。
「普通、可殺民でもそこまで早く治るはずがない。信じられないことかもしれないがな」
「そうだね……まあ、いずれにしろ報告ありがと」
「お前はここに残るか?」
「いや、ここも気になるけど、一度基地に戻るよ」
殺は問われて否定し、彼に背を向けて視線を横にやる。
彼女の視線の先、道路の脇には車が数台停められていた。
白のボディに赤いラインの入ったそれは絶命管理機関専用の車である。
「そうか、わかった。調査が終わり次第、何か分かったことがあればお前に報告しよう」
「ありがと。車一台借りてくね」
殺は手を振り、数台ある機関の車の一つへ歩いていく。
車に乗り込むとエンジンをかけて基地に向かった。
昼でもまだ人通りのあった道は徐々に閑散としていき、車の走行音だけが静けさを邪魔していた。
住宅街を過ぎるとビル群が現れる。
綺麗に舗装されたアスファルトにタイヤを擦り付け、車はビル群を真っ直ぐ突き進んでいく。
しばらく進むと、ビル群の中に円柱状の巨大な灰色の建物がそびえ立っていた。
縦はもちろん、横にも広く伸びた大きなソレは道路を遮るように鎮座し、街に異様なほど溶け込まずに歪な空気を作り出していた。
建物の最上部には金の巨大な輪が二つ設置されていて、あまりの大きさにビルからはみ出ている。
その建物こそ、殺の所属する『絶命管理機関』の基地だった。
『絶命管理機関』――その名の通り、人の死を管理する組織である。
この世界では長年、不可殺民が圧倒的多数を占めていた。
しかし、それでも少数の可殺民による事件が多発していた。
そこで可殺民と不可殺民を管理するため、一八〇〇年に『絶命管理機関』が設立された。
そして間もなくして、機関の支部が各都道府県に置かれていった。
機関では、可殺民の管理や、国民の合法的殺人の管理が行われている。
絶命願望がある者はここで申請をすることで、合法的に殺してもらうことができるようになっていた。
人間は生まれてすぐ、機関で「不可殺民」か「可殺民」か診断がされるようになっている。
可殺民と判断された者は、その時点で機関に拘束され強制登録させられ、機関の監視下に置かれる。
初めこそ、可殺民の数はそれほど多くはなかった。
しかし、なぜか最近になって可殺民の出生数が急激に増え始めていた。
今でも増え続けているが、その理由は調査中で未だに明らかになっていない。
そして現在――三八八〇年には、日本の全ての支部で可殺民の部隊を編成できるほどにまでなっていた。
可殺民の中には機関の監視を逃れて勝手気ままに暮らしている者もいる。
その「野良可殺民」と呼ばれる者たちは機関に所属していないため、死にたがっている人間を合法的に殺すことはできない。
しかし野良可殺民の多くがたびたび殺傷事件を起こしていた。
機関には、そんな彼らの捕縛や討伐のための部隊が二種設けられている。
それが殺の属する「可殺民刑事部隊」と、もう一つの「不可殺民刑事部隊」である。
可殺民刑事部隊は、犯罪者の逮捕などを行う、可殺民のみによる部隊である。
そしてその逆で、不可殺民刑事部隊は不可殺民のみで構成されている。
殺は基地のすぐ近くまで来ると、駐車場に停めて車から降りた。
彼女は巨大な建物を一度見上げ、視線を前へ戻して基地の方へ歩いていく。
アスファルトにブーツが打ち付けられ、固い音が連続して響く。
しかしある地点を過ぎると靴の接地音が少し高くなった。
彼女の足元は、ある地点から石畳になっていた。
周りには、建物を囲むようにして石畳が隙間なく敷き詰められている。
石畳は円状に大きく広がっていて地面を占領している。
殺は石畳を踏み、固く高い音を響かせて建物の中へと入っていった。
建物と付随した自動扉の上部には石板が張り付けられている。石板には『絶命管理機関 京都支部』と深く刻まれていた。
建物の中に入ると、広々としたエントランスが殺を迎える。
壁は灰色に、床は黒に染まっている。六十階建てのこのビルは吹き抜け構造になっていて、上を向けば遥か先に灰色の天井が見える。
エントランスの一階より上にはいくつもの廊下が重なっていた。
一階は中央に円卓の受付があり、数人の男女がパソコンで作業をしている。
エントランスの隅の方には黒いソファーや同色の机や丸椅子が数個、点在していた。
受付の横には円柱状のスケルトンエレベーターが設置されている。
エレベーターは各階の廊下に停止地があり、吹き抜けを真っ直ぐ突っ切り遥か高い天井の、その先へと伸びていた。
「四四堂さん。お帰りなさいませ」
受付で執務をしていた一人の男性が、殺に気付き椅子から立ち上がって前に来る。
笑顔で挨拶の言葉をかけ、しっかりと頭を下げる。
「ああ、ただいま。ちょっと病院行ってくるから、何かあったら伝言もらっといて」
殺は右側にある扉を親指で指して言い、そちらへと歩いていった。
機関の基地は一つの建物に様々な施設が付随している。入って右は医療施設、左には寮と食堂、養護施設、事務所が設けられている。
機関で働く者たちや訓練生らがここに住んでいる。
そして、正面には訓練所と刑務所、絶命執行所が完備されている。
右の自動扉を抜けた先は、エントランスの灰色とは違い、真っ白な床が広がっていた。
入り口は広い待ち合い室になっていて、窓口とテーブルがいくつか、巨大モニターやテレビ、小さな子供の遊び場がある。
今はあまり人がいず、静けさが広がっていた。
新品の電灯が数個取り付けられていて周りを明るく照らしている。
床だけでなく壁も白く、それらの色は待合室の明度をさらにあげていた。
窓口とその奥の部屋にはナース服を身につけた者たちが何人かいる。
殺は窓口に行き、受付をしていた内の一人の女性に話しかけた。
「やほ」
「あ、四四堂さん」
「ね、運ばれてきた女の子はどうなった?」
「高山四継さんでしょうか。大きな怪我もなく今は病室で安静に眠っています」
「……そう。会える?」
殺は四継の容態を聞いて少し表情を固くする。少し間を開けて女性に尋ねた。
「はい。まだ意識は戻っていませんが、そのうち目を覚ますだろうとのことです。病室は……一〇〇七号室です」
「分かった。ありがと」
殺は礼を言うとエレベーターの方へ向かった。
二人が会話を終えると、再び静寂が顔を出して充満していく。
しかしそれを邪魔するかのように、彼女の足音が明確な形を成して響く。
静かな世界でそれは異様に存在を強調していた。
殺はエレベーターで十階に行き、受付の女性から聞いた病室に向かう。
病室に着き扉を開けると、並んだベッドに一人の少女が眠っていた。
短い黒髪を右に結っている彼女は、先の会話に出てきていた者――高山四継である。
殺はベッドに近づき、四継の柔らかな頬を撫でる。
傷一つない肌を指先で感じ、その指先を頬から首筋、鎖骨へと下ろしていく。
一度手を離すと掛け布団をめくって畳む。
起こさないように静かな動作で、四継の腕や手を見ていった。
服を捲り、腹部や背中など体の隅々を確認する。
軽い擦り傷のようなものはあったものの、どこにも目立った重症は見当たらない。
「……あなたは本当に、人間なの?」
殺は懐疑を孕んだ声を、眠っている四継に投げ掛けた。
元より期待などしていなかったが、返答はもちろん返ってこない。
一つ息を吐く。そして掛け布団を戻し、静かに部屋を出ていった。