4-10「っしゃあああ! 越えるぞ!」
「喋った……!?」
「……赦って言った……のか……!?」
黒い影の腕が伸びてくる。
目を逸らすことなんて出来なかった。
「クゥ……! 大丈夫! 少し離れた!」
「おうよ! 無理して落ちるなよ!」
「わかった……!」
振り切った訳じゃない。
壁を這う巨人とサソリは追いかけてくる。
「『悪運では足りない』」
「『曰く付きでは足りない』」
業は確かに今、欲の名を発した。
「なんだと……!? マト、今の聞こえたか!?」
「聞こえた……! ボクたちの欲の名前!」
クゥの超跳躍は飛距離の限界。
壁へと降りても壁走りがある。
「クソ、ジャンプはこれ以上伸びねえ! 降りて壁を走る!」
垂直の壁に着地し、そこから上へと駆け出す。
「くそ、あいつら何を狙ってるんだ!」
ピートが言っていた。
人拐いに襲われていた友が目の前でいなくなったと。
『いなくなる』
殺されるわけではない。
業ではなく、人拐いと呼ばれていた。
理由は不明だが、連れ去る者。
夜に現れ、夜は家や灯りの下から出てはいけない。
「考える! 逃げるのをクゥに任せる!」
「任せた! んなら、本気でずらかるだけだぜ!!!」
「欲を赦す……。
今、業は欲が赦されていない、そう言った。
アードは、欲の負債だって鑑定してたけど……」
「うおおおお! 光が見えてんだ、あそこまでいけば大丈夫だろ!
こんな所で止まれるかアアア!」
クゥが声を上げ、全力で走る。
ボクは、考えるんだ……!
「ねえ。 君たちは……生まれるはずだった、失敗なの?」
クゥの肩に掴まり、身を乗り出して影へと言葉をかける。
「欲が無ければ、生まれていた後悔。
ボクが欲の名を初めて呼んだのはガーディアンだ。
巨人、人型……」
「……生まれるはずだった後悔か……。
目の前で知らねえガキがサソリに刺されたんだよ。
オレは上手くいった仕事の帰りでな。
盗んだ金は山ほど持ってたが……助ける薬は持ってなかった」
「クゥ……まさか……」
「いま金を配っても助けられねえ。
だから……この仕事の運を分けてやりてえ、ってよ……。
後悔、か。
欲が無ければガキが死んでたって事だな!」
「ボクも欲が無ければ、クゥが危なかったもん!」
道の先に大きな出っ張りがある。
いや、これは壁。
来る時に飛び乗った足場が、障害物として目の前に現れたのだ。
「くそ、飛び越えてやんよ!!」
クゥが踏み切る。
特技は残っていない。
だから……その全力で力強く飛ぶ。
「っしゃあああ! 越えるぞ!
越えなくても! そこから走る!!!」
壁と化した障害物は高い。
確かに1歩では届かない……けれど、壁走りは続いている。
1歩で足りないなら2歩。
ただ諦めずに前へと跳ねるだけだ。
「突破ああああ!」
壁の先、明るい出口が見える。
「おっさん!!! 人拐いだ! もう一度、鑑定してくれ!!」
クゥが吠える。
ここからなら反響して聞こえるかもしれない。
「マト、怖いだろうけど……人拐いの位置を教えてくれ!
あとちょっとだけ逃げるぞ!」
「分かった……!!」
振り返る。
息を呑む……声が出ない。
黒い影の指がボクの顔の前にあった。
僅かに、届かなかった……そのくらい。
「あぶ……な……」
「くそ、ギリギリか!?
マト! 大丈夫だ……オレがいる!」
その声だけでも、心が落ち着く。
「クゥ! デカいのが真横に来てた……!
サソリは少し離れてる!」
「……んなら、楽勝だな!
もっと速く、走れば良いだけだぜ!」
「クゥなら楽勝だよ!」
左手で頬を押す。
影の巨人の首が伸びてきた。
目なんて無い。
黒一色、揺らめく存在。
けれど、その眼孔が分かる。
目が合った気がするんだ。
悪寒が全身に走る。
意識が流れてくる気がする。
記憶が眼の前で流れる感覚。
ボクは石床に倒れている。
目が霞んでいて――体が動かない。
ガーディアンが振り回した腕が、クゥへと伸び……ボクを庇って直撃を受ける。
「あ……ああああ!」
「マト!? 人拐い! てめぇら、何かしやがったな……!!」
クゥが思い切り前に飛んだ後、素早く振り返る。
影の巨人と影のサソリ、両方を睨みつけて。
「……逃げねえで振り返ったのは、はじめてだぜ――人拐い!
マト、しっかりしろ!」
「クゥが死ぬトコが見える――」
「オレはここに居るし……絶対に死なねえ!
大丈夫だ!
お前ら……オレのマトをビビらせて、ただじゃ済まさねえぞ!」
わしゃ、とクゥが頭を撫でてくる。
そうだ……今は肩の上。
そもそも、さっきのは初めて入ったアルクバーグ近くの遺跡の景色。
「クゥ、ごめん……。あいつの目の中に幻覚を見てた。
初めての時――欲を使わなかった時の、悪夢みたいな」
「目の中か。なら、オレも見る!
なぁに、マトが耐えきった。なら師匠が負けてるわけにはいかねえよなァ!」
クゥがサソリの目を覗き込む。
砂漠。
どこまでも続く砂漠。
倒れたラクダ。
倒れた子ども。
その身体は紫色に染まりつつある。
知っている景色。
あのチビを助けるために、一生のお願いを使ったんだ。
眼の前が霞んでいる――オレも刺されてるってワケか……。
「くそ……ニーナ――」
「クゥ! 目を覚まして!
クゥは失敗してない!
ニーナは……ボクに欲を最初に教えてくれた子だよ!」
両手で顔をパンパンと叩く。
「……クソ……意識がブっ飛んでた!
大丈夫だマト、ありがとな!!
そうだな、オレ達は失敗なんてしてねぇ!」
「うん……! 逃げるよ! アードも調べてくれる!
今は逃げ切ろう!」
「絶対に上に戻る!
なんつったって、オレの弟子の初めての獲物を持って帰らないとな!」
目を合わせている間だけ、あの影は止まっていた気がする。
見てくれ、分かってくれ……そんな気配すら感じた。
再び、影が動き出す。
「行こう、クゥ!」
「おうよ、任せておけ……!
ガダルのおっさん、盗ませてもらうぜ、今度は技をな!」
クゥが全身に力を入れ――息を吐き出す。
「行くぞ、『加速』!!」
溢れ出す緑色の輝きがクゥから溢れ……その足へと迸る。
踏み切れば、その身体は先程の何倍も速い。
追い風がその背を思い切り押す。
「これなら……行けるぜ!!」
もうすぐ、光へと辿り着く。
追いかけてくる業をどんどん引き離していく。
「クゥ! クゥのが速い!」
「当たり前だぜ! 盗賊が逃げ切れないで……何のプロだって言うんだ!
悪いな業! 貰ったモンは返さねぇって決めてるんだ!
それに成功は成功――失敗じゃなかったものは、もう失敗じゃねえ!
じゃあな! ……次も負けねえよ」
クゥが最後の1歩を跳ぶ。
「掴まれ! クゥ殿!」
ガダルが腕を伸ばす。
そうか――垂直な壁だった。
「大丈夫だぜ、ガダル! まだまだ泥棒は捕まえられそうにねぇな!」
クゥの1歩は高く、遠くへと伸びる。
ガダルの上を飛び越えて、地上へ。
「しゃああ! 帰還!
マトもお宝ゲットだ!」
「流石だぜ、クゥさんよ。しかも人拐いまで誘導してきやがった!
今度はしっかり調べさせて貰うぜ!
――欲【鑑定眼】!」
アードの掌に、羊皮紙が生み出される。
インクが染み――文字が浮かび上がる。
「業。
欲と共に生まれる、一生のお願いで消えてしまった可能性の集合体だと――」
クゥが着地する。
「つまり――。
オレが1回しか出来ないお願いをしたせいでよ。
お願いをする可能性自体とか、しなかった未来の成功も失敗もいろんなモンが無くなって。
それが集まったのがアレだって言うのか?」
「ああ、それで概ね間違ってねぇ」
「触れるとオレ達が消えちまう理由は分かるか?」
「一生のお願いで切り離された可能性は……可能性の循環から切り離される……?
循環に戻るには、有るべき場所に戻って消える必要がある……だと……?」
「欲の所に帰って、そいつの全部と一緒に……循環に戻りてえってことか……」
「なんかかわいそうだよ」
「ああ。ちっと行ってくるか」
「そうだね、クゥ」
「はぁ!? お前さん達は何を聞いてたんだ、馬鹿野郎!
消える必要がある、って言ってんだ!
アレに触れると消えちまうって事だぞ!」
「でもよぉ、失敗でも悪運でもオレのものなんだ。
あいつは、オレと居られなかったせいで、どうにもならねえから消えたいんだろ。
可哀想じゃねえか」
「ったくしょうがねえな……お前さん達はよ。気をつけやがれ」
「おうよ! いくぞ、マト!」
「うん!」
逃げ切ったのだけれど。
でも、ボク達はその話を聞いて納得出来なかった。
納得できない理由はもう一つあった。
「さっきから気になってたんだ……!
欲【宝の在り処】!!」
やっぱりキミ、光ってるよ。
影だし、大きかったし、怖かったし、ちゃんと見ると震えが来たから目を逸らしてた。
「光ってるよ、キミ。
大事なものなんだ、きっと」
「じゃあ――宝物、ちゃんと持って帰らないとなァ!」
クゥが再び闇へと跳ぶ。
駆け上ってきた業の前に、今度はボクらが立ち塞がる。
何か、出来る気がしたから。




