1-1「こんなチュートリアルあってたまるか!」
「――もう、追って来ない……かな……」
ここは森の街道から少し外れた木陰。
吐く息の音を漏らさぬように、口を押さえる。
「……匂いとかじゃ分かんないか……。
音はめっちゃ分かる……けど」
鼻先をピクピクと動かし。
長い耳を一生懸命立てる。
商人というのは極めてしつこいものだ。
手に入る"宝物"を簡単に諦めたりしないのだから。
足音が聞こえる。
全身の桃色の毛皮が一気に逆立つ。
「わぶッ――」
両手で口元をギュっと抑えて。
声も、息も漏らさないように身を潜める。
「ったく……!あの兎どこ行きやがった!
久しぶりに見つけた上物だぞ……!」
偉そうでデカい、男の声。
「って言っても、大将が見失ったからですぜ……」
面倒くさそうな、誰が聞いても子分な声。
「うるせえ、黙って探せ!」
ゴン、という鈍い音が続いて聞こえる。
「痛ェ……! ったく大将もひでえなぁ……。
そこの茂みとかに居るんじゃねぇですか」
「適当なこと言ってねぇでさっさと探しやがれ!
アレは人より高く売れるんだよ!
馬車に乗せてるクソガキ共の何倍も価値があるんだぞ!」
大当たりのくじをポケットから落とした、そんな焦った様子。
「ただの獣人じゃねえですかい。
あんなもん、東の方にゃいくらでも居るって聞きましたぜ?」
「お前の目は何を見てんだ本当に!
ピンクだっただろうがよ……」
「あ、ああ。何か意味あるんですかい?」
「そんなことも知らねーでこの仕事やってんのか……!
桃色のはトガって言ってな……元が人間のやつらだ」
偉そうな男は、立派なヒゲを指で弾きながら語る。
「ああ、聞いたことがありますぜ、トガ。
なんでしたっけ、悪いことをすると動物にされちゃうみたいな。
子供のしつけ、ただの脅かしじゃあ?」
がさり、と隣の茂みに子分が入った。
あまりの驚きに声が漏れそうになる。
「トガってのは、咎人から来た言葉だ。
この国イルイレシアには少し前までな、獣化刑ってのがあったのよ。
だからその、脅かしってのは嘘じゃねぇんだ」
「へぇ。 んじゃ、脱走した罪人って事ですかい?」
そんなことを言いながら、茂みから子分が出ていく。
こっちに来なくて良かった――危なかった。
引き続き、息を潜める。
「いや、もうその頃の罪人は一人もいねぇはずだ。
刑罰で作られた奴らは、闘技場や奴隷で全滅よ。
で、今探してるのは野良のトガだ」
「脱走じゃないんでしょう? 野良って何ですかい?」
「古代イルイレシアの遺跡には、獣化刑で使われた薬品や道具が残ってる。
それらを使った罠に引っかかったトレジャーハンターや冒険者が、現存しているトガだ」
「遺跡の罠にハマった……ただのボンクラ冒険者って事じゃあ……」
子分が別の茂みに入っていく。
「ボンクラはそんな特殊な罠で守られた場所には入れねえよ。
つまり特別な宝物庫を知っている、生きた宝の地図って事だ」
「んじゃ、さっきのピンクの兎がその地図ですかい。
でも、宝の場所なんて喋るんですかね?」
「ああ――必ず喋る。 そういう風に出来てるんだよ。
刑罰として作られた種だ、逆らえなくする方法があるってことよ。
――だから、捕まえるんだよ」
その顔に浮かんだ笑みは、下品で恐ろしく、不気味なものだった。
「その顔やめたほうが良いですぜ、まるで奴隷商人だ」
「奴隷商人だよバカ! さっさとあの兎を見つけろ!」
その声に震えながら、ここまでのことを思い出す。
そもそもボクは――遺跡になんて入っていない。
トガなんて知らない。
それこそ、ほんの少し前にこの森に来た。
――いや、この『世界』に来たばっかりなのだから。
扉を潜れば、願いが叶う異世界に行ける。
最近、ウワサになった都市伝説を試しただけ――。
深夜2時、行き止まりに向かって歩きながら"一生のお願い"と叫ぶ。
その時周囲で何かが軋む音がすれば、準備は終わり。
願い事を一回唱える。
その場で目を閉じ、そのまま一歩踏み出す。
すると、扉が開く音が聞こえる。
目を開かずに更に一歩前に踏み出せば、異世界に移動する。
その時、願いは叶う――そんな話。
「クソ、まだ見つからねえのか!」
偉そうな男の大きな声で、夢のような"現実"に引き戻される。
思い出したり、悩んでいる場合じゃない。
あいつらに捕まったら、この先真っ暗……誰でも分かる。
どうする? 隠れ続けるか、逃げるか……!
「あっちにいねえし、この辺に隠れてると思うんですけどねェ」
周囲を歩き回る子分の足音が近づいてくる。
眼の前で止まった――。
「へっへ……見つけましたぜ!」
子分らしき男と、ばっちり目が合った。
痩せ型長身、シワだらけのシャツ。
身につけている下品な黄金アクセサリーが何とも小悪党感を漂わせる。
「……!」
本当に危機的な場面では悲鳴も出ないと聞いたことがある。
今、まさにその場面。
とにかく、慌てて走り出す。
体型も、体格も、身長も、足の作りも"今まで"と全然違う。
それでも、今出来ることは走ること。
……走る時に掌を地面につけるなんて、そんな経験はない。
けれど、これが一番速いと何となく分かる。
土を掻いて、跳ねるように一気に加速する。
「ちきしょう、そっちに行きましたァ!」
「バカ野郎! 何やってんだ、すぐに追え!!」
その叫び声を遥か後ろに聞く。
音の位置が正確に分かる……耳のおかげだろうか。
草むらを抜け、木々の間をひたすら走る。
あいつらから、だいぶ離れたはず。
チラリと振り向き、追跡者との距離を確認する。
引き離せていないどころか、距離が詰まっている……!
「全然引き離せないじゃん……! ……もう無理だよこれ!」
あいつらもボクを兎だと言った。
手足を見れば人でないのも分かる。
なら、速いはずだろ?
脱兎のごとく、なんて言うじゃないか。
素早いイメージなのに、思ったより速度が出ない。
「こういうのってチートとかあるんじゃないの……!?」
異世界転移や異世界転生なら、ギフトとかチートがあるはず。
しかも願いが叶うなんてウワサまであったのに。
けれど、自分は転移した瞬間からあいつらに追い回され。
ただただずっとピンチなだけなのだ。
ボクが願った事は――宝物が欲しい。
深夜にSNSで目にした、人生の宝物の自慢話。
30才を過ぎても、特にそんなものは無くて。
なんだか悔しかった。
だから宝物を願ったのだ。
結果、異世界に来てしまったみたいなのだけれど。
「宝物どころか……! 自分が獲物として追われてるんだけど!!!」
一心不乱に走り続ければ、目の前が開ける。
つまり――最悪の事態。
この身体なら、森の中のがまだ有利に逃げられたはず。
飛び出したのは街道と思わしき場所。
路面の舗装なんてものは無い。
少し道幅の広い、田舎の林道のような。
地面には馬車の車輪の痕が何本も残っている。
「あああああ! 道! 道かああああ!」
流石に叫び声が出る。
後ろからは、ずっと足音が聞こえている。
いまさら森に戻るのは悪手だろう……なら。
例えば、あいつらが悪人なだけかもしれない。
あわよくば、通りかかった馬車が助けてくれるかもしれない。
そんな微かな願いにすがりついて、街道をそのまま走るしかない!
「こんなチュートリアルあってたまるか!」
ピンクのふわふわは街道を突き進む。
男達の足音は常に聞こえている。
耳が良くなった、のは実感できる。
「……あいつ、やっぱり遅えですぜ……!」
「……ハッ……なら、さっさと追いつけ!」
遅い、と言われれば自分でも納得してしまう。
なんせ、男達から聞こえる足音はどんどん大きくなっているのだから。
音と声に意識を向けすぎた。
眼の前に転がる大きな石に気づくのが遅れる。
「うぁッ……!」
避けられるハズもない。
石に突っ込み、そのまま派手に転倒する。
「痛っ……うう……」
ゴロゴロと土煙を上げながら転がって。
何とか、立ちあがろうと身体に力を入れる。
その時、耳が何かを捉える。
男達の足音や話し声の後ろ。
ぱからぱからと馬の蹄の音が近づいて来る。
「……馬……!?」
新手の追手かもしれない。
何とか起き上がり、再び走り出そうとした時だった。
「やっと追いつきましたぜェ!」
さきほどの二人組――子分の声。
その腕が耳目掛けて伸びてくる。
間に合わない……!
「んあッ……!」
耳を掴まれた。
身体が宙に吊り上がる。
もう駄目だと目を閉じれば、声が聞こえてくる。
「っしゃ、横取り成功……ってね! おー、大丈夫かよ?」
追手の二人とは別の声。
恐る恐る目を開く。
眼の前には若い男。
アースカラーのショートマント。
軽装……レザーアーマーやら、レザーブーツやら。
まさにスカウト、まさに盗賊……素早さがウリっぽい外観。
褐色の肌に金髪のウルフヘア、チャラそうな雰囲気。
その後ろの景色が高速で流れていく。
馬の上だ、ここ……。
「ピンクの獣人ってレアだって知ってるぜ! はじめましてだな、お宝ちゃん!」
小説家になろうさん初投稿になります、どうぞよろしくお願い致します!