表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

異世界恋愛系(短編)

竜神に愛された令嬢は華麗に微笑む。〜嫌われ令嬢? いいえ、嫌われているのはお父さまのほうでしてよ。〜

「ジェニファー、お前には失望した。体調を崩していた儂に代わり、当主代理として領地の運営を任せていたお前が、まさか私利私欲にまみれ竜の宝を使い切ってしまうとは。これでは、竜神さまに申し訳が立たぬ。お前は自分の罪を贖うため、生贄として竜穴に飛び込むのだ。それが、約束を守ることができなかった我が家にできる唯一の償いである」


 いかにも痛みをこらえて娘を断罪していると言わんばかりの父の姿に、思わず鼻で笑ってしまった。急に車椅子に乗り、執事に押してもらいながら部屋から出てくるなんてどういうつもりかしら。目の下に多少くまがあるものの、この男が昨日まで酒を飲み、肉を食らい、贅沢三昧な生活を送っていたことは周知の事実なのだが。ああもしかしたら、突然痛風の症状が出てきたのかもしれない。


「まあ、なんとも偉そうな台詞ですこと。それに私が当主代理だったなんて、初耳ですわ。一体、どういうことなのかしら。今までしがみついていた当主の座を私にお譲りくださるというだけでも驚きですのに、竜の宝を傷つけた責任を私に取らせると? まあ、このお話を耳にすればおじいさまもおばあさまもびっくりなさることでしょうね」

「心配する必要はない。なぜなら、お前は今から竜穴に向かうことになるからな。彼らがお前の死を知るのは、早くても明日以降になるだろうよ」

「ああ、なるほど。当主としての責任を私に取らせ、ほとぼりが冷めたらもう一度当主に舞い戻ると。なんとも都合の良いお話ですこと」

「黙れ、お前に許されているのは『はい』という言葉だけだ。この人殺し!」


 ぱんっと音を立てて頬を打たれた。手を上げられるかもしれないことはわかっていたが、顔は避けてくるはずだと思っていたせいで、勢いに負けてそのまま床に倒れ込む。父の車椅子を押していた執事が、不愉快そうに眉を上げている。みしみしと何かが壊れる音が聞こえた。ああ、これはいけない。


 なるほど、竜穴に落とすと決めた以上、目立つ場所に傷ができたところでどうでもいいということか。こんな男が自分の父親で、この土地の領主だということがあまりにも情けない。男が溺愛している弟妹たちが部屋に飛び込んでくる音が聞こえたので、ドレスの裾をはたき慌てて立ち上がる。


「お姉さま、竜穴の中に入るって本当なの? 僕も見に行っていい?」

「わあ、龍の穴って深いのかしら。真っ暗なのかしら。中には何があるのかしら。あたしも行きたい!」


 一体どこから聞きつけたものやら。彼らは、既に私が竜穴に飛び込む件を把握しているらしい。子どもは時に残酷なほど無邪気だという。心から楽しそうな弟妹の質問に私が無言で首を横に振っていると、得意げな顔で父親がこたえてみせた。


「ならば、みなで見送るとしよう。可哀そうだが仕方がない。なぜなら、ジェニファーは生まれてくるべきではなかったのだから」


 この男はやっぱり何もわかっていない。けれど私は父の言葉に逆らうことなく、粛々と竜穴に飛び込む準備をすることにした。



 ***



 私の生まれた家は、王国の中でも険しい山のそびえたつ土地にある。伝承によれば、山を守る竜から竜の宝を守ることを頼まれ、この辺り一帯を治めるようになったのがこの家門の始まりなのだとか。竜の宝というのが具体的に何を示すものなのかは、記録には残されていない。だが、多くの人々は竜の宝についてのある種の確信めいたものを持っていた。なぜならこの土地には、王国の他の場所にはないとある大きな特徴があったからだ。


 領内のそこかしこで、貴重な宝石が産出されるのである。翡翠に紅玉、金剛石。それらは派手好きな竜が自身のねぐらに集めた宝に違いないと思われるほどの、量と品質を誇っていた。歴代の領主たちはその鉱脈から領地を管理するために必要な分のみを掘り起こし、お金に変えてきていた。欲深く掘り返してはならない。この土地は竜のもの。自分たちはただその土地を間借りさせてもらっているに過ぎない。だが竜の伝承などただのまやかしだと笑い飛ばした男がいた。ほかならぬ私の父である。


 大規模な事業として採掘を開始し、露天掘りで多くの原石を掘り出した。好景気に沸き立ち、領内が発展したところまでは良かったのかもしれない。しかし一方で急激な開発により地盤は沈下し、かつて竜が住んでいたと言われていた岩山には竜穴と呼ばれる底が見えないほど深い穴が出現してしまった。


 その上宝石を始めとする鉱物は無限に存在するわけではない。かつては掘れば掘るだけ山のように出てきた宝石類も、今ではその量にかげりが見え始めてきたらしい。宝石を加工する技術などはあるものの、代替産業はすぐには出てこない。いい加減今後のことについて考えていかなくては領民が飢え死にしてしまう。


 そしてある日のこと、決定的な出来事が起きた。この家の当主である父が不思議な夢を見たというのである。顔の見えない客人が目の前に現れ、「預かってもらっていた竜の宝を受け取りに来る。雪消月の末日に伺おう」と言われたそうだ。


 父にとってこの夢は、青天の霹靂だったらしい。我が家に伝わる伝承はあくまでおとぎ話。貴族の家の成り立ちとして箔をつけるためのものだと思い込んでいたというのだ。しかも不思議な夢はその日から毎晩見えるようになる始末。掘り起こした宝石類はすでに売りさばいてしまっている。今さら元の状態に戻すことなどできはしない。追い詰められた父が目をつけたのが、他領では嫌われ令嬢として名高い私だったのである。まあこの異名も、すべて父のあからさまな工作によるものなのだけれど。


 私の母は、出産の際に命を落としている。愛妻家だった父は、妻の命を奪う形で誕生した私のことを許せなかったらしい。親子らしい会話をしたことなどなく、冷たく当たられた。それは父が後妻を迎え、私の下に弟妹たちが生まれたあとも続いていたのである。


 鉱脈からことごとく宝石を掘り尽くしてしまった責任を取らせた上で、目障りな私を合法的に処分できそうだということで、父は嬉しくてたまらないらしい。父の機嫌がここ数日大層良いものであった理由を知り、思わずため息をついてしまった。



 ***



「お菓子は持っていかなくていいの?」

「絶対に必要でしょう? お弁当も準備しなくちゃ。僕、お願いしてくるね」


 弟妹たちがピクニックに行くかのように楽しそうに準備をする中、私も部屋の片づけにいそしんだ。もともとこの部屋には大したものは置いていない。いきなり父に部屋を荒らされたりすることがあったので、大切なものを置くのはずいぶん昔に止めてしまった。この子ども部屋を使うのも今日が最後かと思うと感慨深い。


 部屋の中をゆっくりと見回していると、父の世話をしている執事のロデリックが部屋に入ってきた。一連の流れが面白くないのだろう。ひどく不満そうな顔をしている。それにもかかわらず見惚れるほどきれいな彫刻めいた横顔に、私はそっと手を伸ばした。


「ロディったら、そんな顔をしちゃって」

「ジェニファー、本当にこれでいいのか」

「あら、今さらどうしたの?」

「お前が望むなら、俺は……」

「いいのよ。大丈夫。あなたには、私が選んだ道をちゃんと最後まで見届けてほしいの」

「ジェニファーは、強がりで頑固だな」

「可愛くなくてごめんなさいね」

「可愛いよ。頑張り屋なところも、本当は泣きたいのに全部笑い飛ばしてしまうところも、誰よりも優しいところも全部」

「ロディ、あんまり私を甘やかさないで。決心が鈍ってしまうわ」

「鈍ればいいじゃないか。ジェニファーがひとりで全部背負う必要なんてないのに」


 このままだと、ロデリックは私が竜穴に飛び込む前に父を物言わぬ状態にしてしまいそうだ。それもありかなと一瞬思ってしまったけれど、あれでも自分の血縁上の父親だから。幕は()()()の手で下ろしたいと思う。



 ***



 結局父は、竜穴にまで車椅子でやってきた。ロデリックだからこそ車椅子に乗った状態の父を運ぶことができたが、普通なら崖下に落とされても文句は言えないほど難しい山道だったのだとこの男はわかっているのだろうか。


 切り立った崖の下を覗けば、真っ暗な穴がぽっかりと口を開けている。その先には何も見えない。地獄の底まで繋がっているという噂は案外本当なのかもしれない。


「お父さま、まさかとは思いますが竜穴の中にゴミなんて捨ててはおりませんわよね? 深いから何を入れても問題ないなんて浅はかな考えで、お父さまならやりかねませんもの。竜穴に飛び込むのは構いませんが、ゴミまみれになるのはごめんですわ」

「本当に可愛げのない。どうしてあいつは、お前なんかを残して先に逝ってしまったんだ」

「それは、まだ子どもを産むのは難しいと言われていた年齢のお母さまに手を出したお父さまのせいでしょうね。恨むなら、ご自身の下半身の節操のなさをお恨みくださいませ」

「うるさい、黙れ! これ以上、お前とは話したくない」

「あら、奇遇ですわね。私も同じことを思っておりました」

「ええい、ふざけるなよ! 嫌われ令嬢のくせに!」

「嫌われ令嬢? いいえ、嫌われているのはお父さまのほうでしてよ。まあ、いいでしょう。そろそろ、時間です。それではお父さま、ごきげんよう」


 こんな男の血が自分に流れているとは思いたくもない。屑野郎とは、今日でおさらばだ。長年考えていたことがようやく実現するのだと思うと、すがすがしい気持ちになる。私はにこやかに微笑み、周囲の人々に手を振ると勢いよく竜穴に飛び込んでみせた。



 ***



 竜穴から崖に向かって風が吹きあがる。突風にあおられたのだろう、屑野郎が車椅子から転げ落ち、したたかに腰を打つのが見えた。せっかくなら、もっと近くで笑ってやろう。そう思って一気に近づけば、屑野郎は信じられないものを見たかのように悲鳴を上げた。


「なぜだ、なぜお前がここにいる!」

「なぜと言われても。この美しい竜に乗せてもらって竜穴から登場したところで、察しがつかない? 竜神さまにここまで連れてきてもらったからだって」

「そんな馬鹿なことがあってたまるか」

「馬鹿なことねえ。でも、事実なのだから仕方がないわよね?」

「きれいねえ。竜神さまのうろこ、ぴかぴかねえ」

「僕も乗りたいっ。竜神さま、僕たちも乗せて!」

「ほら、わたくしの言葉が信じられなくても、可愛いあの子たちの言葉なら信じられるんじゃないのかしら。それとも新しい奥さまにも聞いてみる?」


 よいしょっと、声を上げて崖の上に舞い戻る。ひらりと動けなかったのは、久しぶりに身体を動かすせいか。


 信じられないものを見てしまったかのように頭を抱えて叫び声をあげる男の横で、子どもたちはようやっと見られた大好きな竜神さまの本来の姿に興奮が隠せない様子だ。目をきらきらさせて身を乗り出してくるので、周囲のものたちはふたりが落ちないように慌てている。まあ、何かあっても竜神さまがフォローしてくれるから大丈夫だろうけれど。


 問題はこの屑野郎だ。まったく出会った頃から脳筋であまり賢くないとは思っていたが、とうとう目まで悪くなってしまったのだろうか。だが年をとったということなら、それは近眼ではなく老眼である。老眼は近くのものは見えなくても、遠くのものは見えやすいはずだったが。近くにある大切なものにも気が付かず、遠くにある事実さえ目に入らないのなら、もはやこの男に眼球なんて必要ないのかもしれない。


「意味がわからない。なぜ竜神さまがお前などを助ける。竜神さまは、竜の宝をもらい受けると言っていた。最後には、それなりの礼をさせてもらおうとも。あの口調は確実に何か腹の底に言いたいことを抱えているものだったぞ。預かっていた竜の宝を切り売りしていた儂らに天罰を与えるつもりだったのではないのか?」

「どうして、そういう話になるのかしら。夢の中できちんと竜神さまに確認をしたの? 鉱脈から宝石の原石を掘り出し、売っていたことを怒っているのか確かめた?」

「なぜそんなことをする必要がある。お前が責任をとればよい話だろう」

「そもそも、鉱脈の宝石が竜の宝という認識が間違いなのよ。竜の宝というのは、ジェニファーのことなのだから」

「そんなはずがない」

「あなたが知らないだけで、これは王家と神殿の公式見解でもあるの。わたくしも直接竜神さまから、お言葉をいただいたし。それによく考えてみて。竜の宝が本当に鉱脈の宝石だったとして、王家と神殿が領主による勝手な売買を見逃すと思っているの。即行で、お家がお取り潰しにあっているわ」


 我が家の成り立ちを、王家が知らないはずがない。そして竜神さまは、この国では信仰の対象だ。竜神さまを崇める神殿は、辺鄙なこの地にかなり立派な神殿を建てている。この領地で起きている出来事は、必然的に王家と神殿の耳に入ることになる。つまり、この男が正当な理由もなく嫡子であり、竜の宝であるジェニファーを虐げていることだって、彼らはとっくの昔に把握しているのだ。


「じゃあ、どういうことだ。お前が竜の宝だというのなら、なぜ竜神さまはお前を守らなかった。王家と神殿が我が家の内情を知っていたというのなら、なぜ彼らは介入してこなかった?」

「竜神さまはジェニファーを助けてくれていたわよ? それに王家と神殿も我が家にひとを送り込んでいたけれど? 侍女も侍従も、みんなかなりの手練れよ。なあに、そんなことにすら気が付いていなかったの?」

「は?」

「そもそもあなたのお世話をしてくれていた執事こそが、竜神さまだったというのに。まったく、呆れたわ」


 わたくしの言葉に目の前の男は悲鳴をあげてへたりこんだ。



 ***



「それにしても、酷いひとね。結婚するときに、絶対に幸せにすると約束したのは一体何だったのかしら。とんだ大嘘つきじゃない」

「は?」

「子どもが生まれたら、絶対に大事にすると言っていたのに。愛情をたくさん注いで、王家の王子や姫よりも幸せにすると言っていたのに。現実は何? 優しい言葉をかけるどころか無視をして、気に食わないことがあれば暴力をふるう? 周囲の人々があの子を守ってくれなかったら、一体どうなっていたと思っているの?」

「だから、お前は一体何を言って?」

「気安く触るんじゃないわよ。この最低下衆野郎!」


 魔力を右の拳に集中させる。そのまま、娘が生まれてからの積年の恨みを込めて馬鹿夫の顔面に右ストレートを叩きこんだ。一応気を遣って、竜穴とは逆方向に殴ったことに感謝してもらいたいくらいだ。まあ、竜穴に落ちたところでそう簡単に死なせてやるつもりはないが。娘が苦しんだ分、しっかり罰は受けてもらおう。


 まったく、守護霊になるにも修業が必要だなんて知らなかったわ。しばらく実家の両親に娘を預けていたら、いつの間にか娘まで武闘派令嬢になってしまって。おかげで魔力での防御も上手で、この男の力では娘に傷ひとつつけられなくなってしまっているけれど、だからと言って娘に手を上げたことを許す理由になんてならないのだから。


「大丈夫よ。竜神さまが、いくらでも治癒魔法をかけてくださるそうだから。好きなだけ鼻血を出してもらってかまわないわよ? ああ、なんて不細工なのかしら。あなたの心と同じね」

「……マリー?」

「ですから、わたくしの名前を気安く呼ばないでちょうだいな。あいにく礼儀知らずの豚に呼ばれる名前は持ち合わせていないのよ。って、そんなことを言ったら豚に失礼ね。あんなに可愛くて美味しい素敵な生き物なのに。目の前のゴミと一緒にしたら可哀想だわ」


 ようやく目の前の人間が、娘に憑依した亡き妻であることに気が付いたらしい夫が叫び声を上げた。だがその声も、言葉も、すべてが吐き気を催す。どうしてわたくしは、こんな男と結婚なんてしてしまったのだろう。


「マリー、一体なぜ? 天に召されたのでは? それにどうして教えてくれなかった。お前が娘のそばにいると知っていたら、儂はジェニファーを大事にしたのに!」

「娘が心配でおちおち死んでなんかいられないのよ! だいたい、誰に何を言われなくても、妻の忘れ形見を大切にするのが普通なの。それにジェニファーは何度も伝えていたじゃない。わたくし(お母さま)はここにいると。ずっと、自分たちを見守ってくれていると。それなのに娘を嘘つき呼ばわりして、信じなかったのはあなた」

「だが、それは」

「それに、娘にそこまで辛く当たっておきながら、自分はほいほい再婚とは良いご身分じゃないの。可哀そうに。相思相愛で結婚間近の婚約者がいたというのに、金の力で無理やりこの家にあんな年若い女の子を連れてくるなんて」

「だが、この家には跡取りが必要で」

「ジェニファーを差し置いて? この国は性別に関係なく、長子が後継ぎになると定められているのに?」


 わたくしの言葉に、夫は口ごもるばかりだ。

 本当に気の毒なのは、夫の両親たちだと思う。彼らは、夫の横暴をひたすら諫めてくれた。彼らは道義的に恥を知っていただけではなく、子どもを虐待する夫の親族である自分たちの立場が非常に危ういこともきちんと理解していた。幾度となく夫を諌め、更生させようと努めてくれたのだが、結局夫の心根は変わらなかったのだ。


 わたくしの両親、娘にとっては祖父母の元で育ったことで、ジェニファーはわたくしと同じたくましい娘に育った。何と言っても、自ら領内を探索し、眠りについていた竜神さまを叩き起こすくらいである。


「竜の宝と呼んでおきながら、預けっぱなしにするとは何ごとかしら。大切なら自分で守れ。竜の宝の大切なものも全力で守りなさい。この大馬鹿野郎!」と鉄拳制裁をしていたことは、記憶に新しい。娘の気迫に驚きつつ、その胆力に惚れ込んだ竜神さまのおかげで、わたくしは草葉のかげからではなく、わりと明確な姿をした守護霊として娘のそばにいられることになったのである。


 その後娘は王家と神殿に対してこの件について手出し無用だと言い放った。あくまで、自分たち親子の問題であり、この手で片をつけてみせると。成人したらすぐに当主を引き継いでみせるから、それまで待ってくれと。それくらい対応できなければ、女侯爵としてやっていくこともできはしないだろうと不敵に笑って。


 娘を後押ししたのは、竜神さまの存在だろう。彼は目障りな夫のことを消し炭にしてやりたかったようだが、娘に乞われて手出しを控えていたらしい。娘への振る舞いにより、夫の有責ポイントが日々数えられていたと知ったら夫はどんな顔をするだろうか。


 夫への復讐の機会がようやくやってきた。夫が自ら竜穴に足を運ぶと言ったときは踊り出したくなるほどだった。竜穴は、魔力の宝庫。ここなら、防御力の高い娘の身体を一時的に借りることができるだろうと竜神に教えてもらっていたからだ。


 守護霊をおろすのは、結構大変なのだ。強大な魔力に月の満ち欠け、神聖な場。さまざまな条件を満たすのはもちろんのこと、適性のある神官や聖女でなければ、普通は魂同士がぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまうらしい。なんという大事故。


 けれど、わたくしたちは諦めなかった。どうにかして、身勝手なあの男に一泡吹かせてやりたい。そのためならどんな修行にも耐えてみせる。そうやって時を重ねようやく儀式に必要な要素がほぼ揃えられたものの、どうやって竜穴まで呼び出そうかと思っていたところに、自分からあんな馬鹿なことを言い出したのだ。こちらとしては渡りに船だったのである。


 何度考えても、本当にあの男は愚かだ。それに、王家や神殿に手出し無用と言ったのには、ほんの少しだけ期待していた部分もあるのだ。もしかしたら、夫が改心してくれるかもしれないと。まあ、そんな都合のよいことは起きなかったのだけれど。


 渋る竜神さまに母娘で説得をし、ようやく獲得した憑依の機会だ。そう簡単に終わらせてやるわけにはいかない。わたくしは情けなく気絶してしまった夫が起きるまでの間、持ってきたお弁当類でピクニックを楽しむことにした。今までは娘と竜神さまとしか話せなかったから、今のうちにたくさんのひとにお礼を伝えよう。わたくしの大切な娘を守ってくれてありがとうと。



 ***



 はたと気が付いたときには、すっかり日が暮れていた。どうやら、母のお仕置きは結構な時間に渡って行われていたらしい。物理的にしつけ直された父は、私を見るなりうるうるとした目で見つめてきた。気持ち悪い。


「マリー、悪かった。どうか、儂を許しておくれ。これからは心を入れ替えて、マリーを大切にして暮らしていくから。娘の身体が依り代というのは微妙だが、マリーはこれからも儂のそばにいてくれるのだろう?」

「残念ですが、お母さまは既に私の身体から離れ、普通の方の目には見えない守護霊に戻られましたけれど。ああ、結局、あなたは何もわかっていない。あれだけ言葉と拳で語り合ったというのに、何一つ伝わっていなかったことで、逆に諦めがついたとおっしゃっていますね」

「どういう意味だ?」

「お母さまは、もうあなたの前に姿を現さないでしょう。だって、あなたには結局お母さまの気持ちは伝わらず、何も響かなかったのですもの。仕方がありませんよね?」


 父は母に会えなくなったことがよほど堪えたのか、奇声をあげつつ髪をかきむしっている。結局、父の目には私は映らないらしい。ここまで徹底されると、なんだか諦めがついた。このひとにとっては、母がすべてだったのだ。


「さあ、前当主さま、今までの行いについて神殿と王家が話を聞きたいそうです。屋敷に迎えが……あら、こんな山奥にまで迎えに来てくださっていますわ。よっぽどお父さまって信頼がないのでしょうね」

「……何を証拠に」

「もう、お母さまのお話を忘れてしまいましたの? みなさん、我が家に滞在しているのですから、証拠など集めたい放題です。竜の宝を虐げたことをあなたが認めなくても、必要以上に宝石を掘り出し、正規の手続きなく他国に流し、税収を誤魔化して報告していたのは事実。ずさんなやり方で、相手を捕まえるのも簡単でしたわ。お父さまは今後は良くて幽閉。悪ければそれなりの処罰が下されるでしょうね」

「儂は、この家の当主だぞ!」


 拳を振り上げた父から私をかばうように、ロデリックが割り込んだ。彼は、かなりお怒りのようだ。普段は涼やかな瞳の色が濃くきらめいている。それでもここ十数年の訓練の成果で、父を瞬殺しない程度には冷静らしい。私が父にぶたれるのを目の前で見たときには、車椅子のグリップ部分を握り潰していたみたいだけれど、それはまあ仕方のないことだろう。


「何を言っている。今の当主は、ジェニファーだろう? それはお前がわざわざ願い出たことだ。書類も既に受理されている。なかったことになどできはしない。それに他の誰が許そうとも、お前のことは俺が許さないよ。何度八つ裂きにしてもまだ足りない」


 切れ味の鋭い獰猛な笑顔。こういうとき、彼は確かに竜神さまの化身なのだと実感する。


「大丈夫よ」

「だが」

「忘れ物を思い出したの」

「忘れ物? ああなるほど」


 にやりと笑って、彼が一歩後ろに下がる。武闘派な私の考え方を理解し、尊重し、丸ごと愛してくれる彼が好きだ。


「お父さま、今までのお返しですわ」

「は?」


 お母さまがたくさん仕返ししてくださっていたけれど、やっぱり私も自分の手で借りは返したい。渾身の力を込めて拳を繰り出す。気持ちよく父の顔面にめり込み、その身体が宙を舞った。


「竜の宝の右手のお味はいかがかしら?」

「実に美しい右ストレートだ」

「お母さまに教えていただいた、とっておきなのよ」


 私の言葉にロデリックは目を細め、労うように頭を撫でてくれた。てのひらのぬくもりにうっとりしつつも、会話ができないのは困るので、父が死なない程度に素早く治癒魔法をかけておく。


「すかさず、治癒するのもお母上譲りだな」

「うふふ、似た者母娘なのね」


 彼の言葉が痛かったのか、それとも私の拳が痛かったのか。父が地面でぴくぴくしている。でも仕方のないことだ。こうなったのは、全部父が選んだ結果。立ち止まるきっかけは、いくらだってあったはずなのだ。何度間違ったとしても、まだ引き返せる場所にいたのに、最後まで自分の都合のいいように解釈して、見たいものだけを見たのは父の責任。


 母ならきっと、「てめえのケツはてめえで拭きやがれ」と顎を殴り上げていたことだろう。いかに武闘派の家系とはいえ、肖像画に残っているお人形のような美少女がそんな言葉を発するなんていまだに脳が混乱してしまうが。


「だが、子どもには父親が必要だ。まだ幼いあの子たちから父親を奪うつもりか!」


 爽やかに地雷を踏み抜いてくる父に、私はため息を吐きながら真実を教えてやる。


「ああ、あの子たちのことですか。彼らは便宜上、私の弟妹という形になっていますが、あなたの息子や娘ではありませんよ」

「は?」

「無理矢理連れてこられた私とほとんど年の変わらないお嬢さんですよ。あなたの相手なんて、させられるはずがないでしょう。あなたは目くらましの魔法によって、毎夜、枕に向かって腰を振っていたんです。変態も良いところですわね」

「じゃあ、でも、子どもは実際に生まれて……」

「ああ、あの子たちは王家の影のみなさんです。見た目と年齢は一致しておりませんから、お気をつけて」


 ことあるごとに見せてもらう「変装」は、世の中の物理法則を頭から破壊していくような完成度を誇っている。王家の影になればたたきこまれる秘術だそうだ。こんな癖の強すぎる人たちを御している王家の皆さん、すごい。さすが、かつての竜神さまの子孫たち。ちなみに王家の皆さんは人間の血が濃いとはいえ、ロデリックとは遠い親戚扱いになるのだとか。


 なおアグレッシブなふたりは、父の横暴な振る舞いに我慢の限界だったらしい。父にぶたれたときもあの現場を見られたら、父をその場で半殺しにしかねなかったのでひやひやした。復讐は私と母の手でくださなくてはいけないのだから。ちなみにロデリックは、私からの頼みで物理攻撃ができないぶん、父が安眠できないように夜毎夢に侵入していたようだ。まともに寝かせてもらえない……端的に言って拷問だ。


「ようやっと、ゴミが片付きましたわ!」


 人生最大の断捨離を終えて、私は達成感に満ち溢れていた。



 ***



 父を王家の影と神官兵に引き渡し、私たちは我が家に戻ってきた。子ども部屋は物置にして、執務室に足を踏み入れる。父が適当な領地運営を行っていたが、私と家令で適宜修正を入れていた。今日からは、最初から私が表立って指示することができる。隠蔽工作が不要になった分少しは楽ができそうだ。


「ジェニファー、これで満足か?」

「ええ。ロディ、本当にありがとう」

「まったく、俺の宝は愛らしい。本当は泣き虫のくせにこの落とし前は自分でつけると言ってはばからなかったのだから。やれやれ、これでようやく俺のことだけを見てもらえそうだ」


 すっとロデリックの顔が近づく。唇に触れそうになった瞬間、大慌てでロデリックを押し戻した。しっかりと発達した綺麗な大胸筋がてのひら越しに伝わってきてどきりとする。


「どうして拒む。俺のものになるのは嫌か?」

「あの、だって、さすがにお母さまの前ではちょっと……」


 守護霊になったお母さまは、今も私の隣でにこにこしている。親同伴で、そういう気分になるのは難しいに決まっている。


「未練を晴らしたら、天に昇っていただけると思っていたのだが」

「孫の顔を見るまでは死んでも死にきれないらしいの」

「死んでも死にきれないというか、既にお亡くなりになっているのだが。まったく、牽制する理由がわかるから怒ることもできない」

「えーと、お母さまがごめんなさい?」

「気にするな。もう少し、ジェニファーが育つまで待つとしよう」


 髪の一房をとり、口づけを落とされる。それだけで、くすぐったくなるほど幸せだ。


 何だかんだ言ってお母さまは、しばらく地上にとどまってくれるような気がする。親離れできる日が来るまで、もう少しだけ待っていてね。ロディ。

お手にとっていただき、ありがとうございます。ブックマークや★、いいね、お気に入り登録など、応援していただけると大変励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ