50話 お迎え
深月は女たちが驚くほど素直に従った。
「だって私、戦う力なんて持ってないもの」
というのが彼女の言い分だった。
「それに、子供は夜までに帰らないと」
深月はそう言った。
茫然と立ち竦むハルミに、女たちのひとりがそっと声をかけた。
「ありがとう。よく頑張りましたね」
「いえ、そんな」
「あなたも一緒に戻りましょう。マリナ様が心配しておられました」
「……はい!」
そんな会話を聞いて、深月は大きく息を吐き出した。そういうわけで、いましがた出てきたばかりの深月は、すぐさま屋敷にとって返すことになってしまった。それが家々が立ち並ぶ場所だったものだから、騒ぎは住民たちの目をひどく引いた。
嵐のように入ってきて、あろうことかマリナの屋敷に突撃し、今度は出てきたと思ったら連行されていく。そんな彼女を見て、住民たちは囁き合った。奇妙だった。その姿に恐怖するでもなく、噂するでもなく、哀れんでいるように見えた。
「かわいそうに」
「大丈夫よ、彼女もマリナ様が救ってくださるわ」
「きっと彼女もひどい目にあってきて、なにか変わってしまったのよ」
言葉では哀れんではいるものの、通り過ぎるたびに彼女に向けられる視線は、どこか奇妙な冷たさがあった。
――好き放題言ってくれちゃって。
思わず、そう言いたくもなる。けれども深月は無駄なことは口にはしなかった。多くの女たちに周囲を囲まれながら、マリナの屋敷へと戻る。深月の目から見れば、ここは社というより屋敷だった。
荘厳ではあるものの、違和感があるのだ。
だが深月が通されたのは、さきほどのようなマリナの部屋ではなかった。いつの間にかその誘導は地下へ続く古びた扉の前へと続いた。
――……ああ、そういう。
扉を降りるように促され、深月は一瞬周囲の女たちを見返した。だが、女たちは嘲笑うように――あるいは冷酷に、下に降りるように促した。深月はそのまま下へと降りていった。暗い階段の灯りはロウソクがいくつか灯されているだけだが、きちんと足下は見えるようになっていた。
「足下には気をつけろ。どれだけ時間がかかってもいい。慎重に、けっして転んだりするな」
変なところで優しさを発揮する女たちに、深月は笑いそうになった。とはいえこんなところで転んでは何が起きるかわからない。
とはいえ、捕虜をこれだけ慎重に運ぶとはどういうことだろう。さっき抵抗したら何か変わったのだろうか、と深月は考える。
――それと、いくらなんでも早すぎるでしょ。
よっぽど深月に帰られては困る理由でもあるのか。
送り出してすぐ、なんて、引き留めるにしても早すぎる。やり方としては下手もいいところだ。せめて一度くらいは帰らせて、戻ってきたところで……というのならまだわかる。それなのに、この動きの速さ。
――そこまでして帰らせたくなかったってことね。
「ところで、夜までには帰れるの? 私は」
その質問には答えがないまま、深月は幽閉された。
*
それから外へ出されたのは、しばらく経ってからだった。
来たときと同じように慎重に外へ出されると、外は既に赤い夕暮れになっていた。来たのがちょうど午前中くらいの時間帯に設定されていたのに、これは早すぎではないだろうか。しかし、それにしたってそのことに対して何か意義を唱えている人間はいなさそうだった。
全員が全員、『夕方になったから』というような理由で仕事をやめているようだった。変な心地悪さを感じる。確かに夕方になれば家に帰れと言われたが、ここにいるのはいい大人の女性ばかりなのだ。
深月はそれを横目で見ながら、警護をしている女に尋ねた。
「なんで夕方なの」
「いまから大切な儀式が始まるのです」
「なんの?」
そう尋ねたが、答えはやっぱり返ってこなかった。
仕方なく周囲を囲まれながら歩いていくと、広場のようなところに案内された。中央では火が焚かれている。その前に、マリナが突っ立っていた。確かに大切な儀式とやらは今から始まるようだ。
「マリナさん、……あなた、なにを焦ってるの?」
「なんの話でしょう……?」
「だって私を送り出してすぐでしょ。何をそんなに急ぐ必要があったのかしら」
ちらりとマリナを見るが、これといった反応は無い。
「私は確かに一度帰って話をしてくると言ったわね。それすら許してくれなかったのはどういうことなの?」
「ええ……。だって、私は気が付いてしまったんですのよ」
なにに、と尋ねる前に、マリナの顔がぐんと近づいた。
「本当は、あなたが私の姿を盗んだということに……」
「は」
マリナの宣言に、周囲がざわついた。
深月がはっとして周囲を見回すと、みなその言葉を信じているようだった。そもそもが無理があったのだ。ここではマリナが絶対で、その言葉に間違いはないのだ。
「皆さん。落ち着いてください……。いまから、彼女からこの顔を……この姿を……私のところへ戻します……」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 私は今日はじめてここに来たのよ!?」
だが、その言葉は群衆の声にかき消された。
しかしその言葉に非難のものはなかった。
大丈夫。きっと許してくださる。マリナ様は慈悲深い方だから。あなたもきっと救われる。
そんな耳障りな言葉が入ってくると、悪寒がした。
「ハルミさん」
「はいっ!」
すっかり心酔しきった顔で、ハルミが前に出た。マリナはその体を背後から抱きしめると、その瞳を隠した。
「あなたの願いどおり。私のために働いてくださいね……」
「あ……あ……」
ハルミの体が一瞬びくりと痙攣すると、その顔が隠された。
マリナの手がその顔をつるりとなで上げると、その下から出てきたのはもはやハルミではなかった。
「な」
三日月のように左右に伸びた口が開かれ、マリナの手によっておかめの仮面がつけられた。髪の毛はぐっしょりといつの間にか濡れて、ぐったりと体から力が抜ける。笑いながら、体を低くした戦闘態勢をとった。
「……あなた、まさか。これだけ女を集めていたのは……女性のための場所じゃなくて……」
その言葉を遮るように、女たちが深月の前に武器を掲げた。
深月はふっと肩の力を抜く。
「……ここまでね。残念だわ」
「……ええ、そうかもしれません。でも、その姿は私の……」
「五時間以内に戻らなければ、来てって言ってあったの」
そのとき、村の入り口で腕が弾け飛んだ。体が爆発したように次々とはじけ飛ぶ。夕焼けに照らされ、誰かの首が飛んだ。振り返った全員が、馬鹿みたいに呆然としてそれを見ていた。
何かが凄まじいスピードでこちらへ近づいてきた。




