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東京冥宮 ―生贄少女と白髪鬼の現代迷宮紀行―  作者: 冬野ゆな
4章 第三階層:花明ノ参道

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48話 少女一人、楽園に現れること

「おはようございます!」


 朝起きると、昨日の案内人の女がコテージにやって来た。

 本来の朝かどうかはさておき、夜の時間と朝の時間がはっきりしているのは嬉しかった。まるで本来の生活を取り戻したような気さえする。昨日まではただの悪夢だったのだ。

 久々の心地良いベッドは、ほんの少しハルミの体を痛めたようだ。だがそれよりもずっとすっきりした気分だった。


「ユウリさんは?」

「ちょっと、塞ぎ込んでいて……」


 きっと死なせてしまった二人に罪悪感を抱いているんだ、とハルミは思った。なにしろこれほど素晴らしい場所に来たというのに、ずっと俯いて真っ青な顔をしているのだから。自分だって罪悪感が無いといえば嘘になる。でも、ユウリよりは割り切っているのだと思った。


「そうですか。マリナ様が、新しい住民にお会いしたいというのですが」

「えっ!? あのひとが……」

「ユウリさんを連れてくることはできますか?」

「だ、大丈夫です。連れていきます!」


 思わず声がうわずった。あの人に会える。そう思うと、背筋がぴんとした。籠を置いて一旦帰宅した女を見送ると、ハルミはすぐに動き出した。

 久方ぶりに顔を洗い、女が持ってきてくれた籠の中からパンと水を出すと、一気に流し込んだ。『太陽の子』に頼らず作っているというパンと水は、涙を流しそうになるほど美味かった。途中でよろよろと起きてきたユウリにも薦めたが、ユウリは途端に真っ青な顔になったあと、目を背けて「食欲が無い」と言うだけだった。


「マリナ様が私達に会いたいんですって」


 そう言ってみたが、ユウリは相変わらず白い顔を崩さなかった。


「……どうしても行かないと、ダメ?」

「それはそうでしょう。私達はこれからここでお世話になるのよ。それとも、あの乱暴な男たちのいる場所にまた戻るつもり? この集落を作った方にはちゃんとご挨拶しないと」


 ユウリは亡霊のような目でハルミを見返した。何か言いたげに眉間に皺を寄せていたが、やがてくるりと後ろを向いた。


「準備をしてね」

「……」

「ユウリ」

「……わかったわ」


 それからユウリが支度をして降りてきたのは、一時間ほどしてからだった。頭からすっぽりと布をかぶっていた。さすがに国の長と会うのに失礼ではないかと思ったが、震えて怯えるユウリを見ると、仕方ないと思うことにした。

 自分がフォローしてやらないといけないらしいと、ハルミは理解する。


 ――でも、マリナ様にちゃんとした人間だって認めてもらえるチャンスなのかも。


 二人で連れ立って外へ行く。明るい光に照らされた集落は、穴蔵の中とは思えないほどだった。昨夜はよく見えなかったが、あちこちに生えた木々は、ねじ曲がってもいないし異質な色もしていない。石畳の間からは白い花が顔を出し、地面を彩っている。地域を区切るように清浄な川が流れ、女たちがそこで洗濯をしていた。それぞれ担当があるらしく、別の区域では食べ物の栽培が行われていた。家々は牧歌的で、そしてなにより、男がいない。

 ここはまさに楽園だ。

 途中から案内人の女も加わって、何度か橋を渡って神社のほうへと案内された。だがユウリはその間もじっと布をかぶったまま、足元だけを見ていた。実にもったいない、と思った。


 連れて行かれた先は大きな社があった。鳥居をくぐり、階段を登る。昨日はよく見えたものだと思ったが、どうやら左右に設置されたぼんぼりのような灯りを見るに、ここだけはしっかりと夜でも明るく照らされているようだ。

 どこへ行くのだろうと思っているうちに、社の側にある入り口から中へと通された。和風の建築は、田舎にある大きな屋敷を思わせる作りだ。板張りの廊下を歩き、奥の間へとたどり着くと、そこには昨日見たマリナという名の顔を隠した巫女が座っていた。

 ハルミは神聖な空気に浸りながら、用意された座布団に座り込んだ。ユウリがまだ突っ立ったままだったので、慌てて袖を引っ張って隣に座らせる。ハルミは我知らず、マリナに深々と礼をした。


「ようこそ、女護島へ」


 よく通る、ややくぐもった声がした。


「ハルミさんと、ユウリさんですね」


 呼ばれると、ユウリは一瞬ぎくりとした。目だけがマリナを見たようだが、すぐに視線を逸らしてしまう。


「すみません。まだショックから抜けきっていないようで」

「いいんですよ。誰しも最初はそんなものです。あなたはどうですか、ハルミさん」

「私のほうは大丈夫です。ありがとうございます」

「そうですか」


 マリナが微笑んだような気がした。ハルミも知らず、顔がほころんだ。


「大丈夫です。ここはもう安全ですからね。どんな理由があっても。なにか心配ごとや、生活する上で必要なことがあったらすぐに言ってくださいね。いま、なにか気になることはありませんか?」

「いえ、特には……。きっとこれからになると思いますけど。……そういえば、昨夜は何か儀式をやってらしたのですか?」


 つい気になって、ハルミは尋ねた。

 昨夜見た人々が気になったのだ。すると、マリナはしばらく黙ったあとに口を開いた。


「……彼女たちを見たのですね?」


 その声色に、思わずぎくりとする。


「あ、い、いえ……」

「いいんですよ。既に聞いたことは無いですか。私の顔のことを……」

「あ――ええと」

「私の姿は盗まれてしまった――というのを聞いたことがあるのなら、それは事実です」

「本当なのですか」

「ええ。彼女たちは私の姿を取り返しに行くための戦士たちです」


 どきりとした。

 楽園にも敵がいるのだと思うと、ぞっとした。ここは争いとも嫌らしさとも無縁な楽園だと思っていたのに、そんなところを脅かす存在がいるとは。


「なんてことを……」

「でも、心配せずとも大丈夫」


 マリナは本当に二人を落ち着かせるように、慈愛の籠もった声を出した。


「何があっても、ここでの生活は守るわ。私が保証します。だからあなたたちも、ほんの少し協力してもらえればいいの」


 再び背筋が伸びる思いがした。


「わかりました。私に出来ることなら……」


 そのとき、ドタドタと僅かに騒がしい音が響き、障子の前で止まった。


「し、失礼します」


 開けられた障子の向こうでは、正座をしながらも困惑した女が頭を下げていた。


「マリナ様。新しい女が……その」

「やってきたのですか? 何かあったのですか」


 マリナが尋ねるのと同時に、向こうのほうから足音が聞こえてきた。あまりのことにハルミまで目を丸くする。


「お、お待ちなさいッ」


 部下と思しき声が止めたにも関わらず、新たな住民は耳を貸さなかったようだった。やがて足音は近づき、音の主は開け放たれた障子の前に立った。


 そのときハルミは、マリナの視線が彼女に釘付けになったのを見た。

 この絶望的な世界において尚、流れるような髪。強く燃えるような意志を持った目。形の整った顔。若く美しい肌。

 彼女の表情は、なんだか怒ったような顔をしているように見えた。


「貴女が、ここの主ですか」


 深月がマリナをまっすぐに見つめながら言った。

 透き通るような、しかし力強い声に、ハルミは困惑した。何かが気に入らなかった。怒りのようなものがこみあげてくる。


「あ、貴女、マリナ様に失礼じゃない。子供だからって、なんでもしていいってわけじゃないのよっ」


 思わずハルミは言った。

 深月の視線がハルミへと向かうと、思わずぎくりとした。なにかとんでもない隔たりがあるような気がしたのだ。


「あなたは?」

「私はハルミよ」

「そう。私は深月」


 物怖じしない態度に、ますます不快感が募った。


 ――なんなの、この子……。


 深月の視線がぐるりと回って、ユウリで止まった。

 僅かに震えていたユウリが恐る恐る深月を見上げると、その目が見開いた。だが、深月はすぐに視線を外して、マリナに向けていた。


「あなた……。貴女も、ここに招かれたのね……」

「……ええ、そうね」

「そう、歓迎するわ……」


 マリナの言葉に、ハルミはしぶしぶ引き下がった。

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