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東京冥宮 ―生贄少女と白髪鬼の現代迷宮紀行―  作者: 冬野ゆな
4章 第三階層:花明ノ参道

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43話 仮面の女

「オモヒカネっていうのは――」


 声をあげたのは深月だった。

 テーブルを挟んで九十九の前に深月が、そしてさきほどテーブルが出てきた奥の障子を背後に、ロマンが片膝を立てて座っていた。


「日本神話に出てくる知恵の神様よ。思金神おもいかねのかみとか、常世思金神とこよのおもいかねのかみとか呼ばれてる」


 静かな和室は、久々に清浄な空気に満ちている気がした。

 九十九が頷く。その目線は、続きを促すように深月の目を向いたままだ。


「神様って、火や水や、岩みたいな自然現象とか、船や食物みたいなものが多いんだけど……。オモヒカネは、そのなかでも『知恵』っていう目に見えないものを司っている珍しい部類ね。天岩戸の話は知っている?」

「さあ、どうだったか」と肩を竦めるロマン。

「弟の狼藉に嫌気が差したアマテラスが、天岩戸に閉じこもったって話よ。知らない? 太陽が隠れてしまって、世界は闇に覆われた。そのときに、知恵を出したのがオモヒカネ」

「……宴会をした、というような話じゃなかったか?」

「その宴会をしようって知恵を出したんですよ」


 九十九がそう言い添えた。

 深月が頷き、また口を開く。


「作戦を練ったってこと。現実的には、これは皆既日食のことじゃないかって言われてたんだけど……」


 深月は言葉の途中で九十九を見返す。


「そのオモヒカネが『学者』なの?」

「ええ。そのとおりです」


 九十九が頷くと、ロマンの目が僅かに鋭くなった。

 それは異形ではないのか、と、ロマンが口にする前に、深月が先に尋ねる。


「知恵の神様が実際にいるってこと? それとも、知識に特化した異形をオモヒカネって呼んでるの?」

「好きなようにとらえてもらって構いませんよ。いまはね」


 九十九はニコリと笑った。


「実際に見てみないと、信じられないでしょうから」


 まるでここにいるのは本物のオモヒカネである――そう言いたげでもあった。深月はその笑みに少しだけ気圧されて、すぐには何も返せなかった。


「どちらにせよオモヒカネはこの屋敷の地下から動けません。せいぜい屋敷の中に触手を伸ばす程度です。それでも、僕らにとっては無くてはならない存在ですから」


 九十九はそこまで言うと、一旦言葉を切ってから咳払いをした。


「……それでですね。僕らが何をしてほしいかというと――」


 すべて言い終わる前に、言葉と同時に動いたのはロマンだった。

 目の前を影が駆け抜け、音がしたと思ったときにはもう、テーブルの上に罅が入り、足が乗った形跡が一つきり。

 外に続く障子が開け放たれた音に目線が追いついたときには、ロマンの両方の腕が全裸の女の頭を掴んでいるのが見えた。


「……困ったことに、ここは定期的に襲撃を受けているんです」


 噛みつく暇も与えず、勢いよく胸の前で頭同士をかち合わせる。その豪腕によって互いの頭が顔全体で口付け、潰し合い、ぶじゅりと音をさせて、女のつけていた仮面のようなものが崩れ果てて地面に落ちる。

 悲鳴さえあげる暇が無いまま、女たちの顔はぐじゅぐじゅと潰し合わされ、あっという間に赤いジュースと肉片を地面に滴らせた。ロマンの両手が柏手でも打つようにバチンと合わさると、力を失った女の体がぐったりと動かなくなった。

 その様子を、生け垣や地面から女たちが警戒するように眺めていた。

 女たちは、みなぐっしょりと全身濡れていた。潮の匂いをさせ、長い髪をぴったりと体に張り付かせたまま、四つ足で地を這い移動していた。顔の上半分は笑ったおかめの仮面がついていて、下半分は三日月のように左右に伸びた口だけが笑っていた。その口の中からは蛇のような先端の細い長い舌が、ちろちろと覗いている。

 女だとわかったのは、胸にそれぞれ二つの膨らみがあり、股は何もぶら下がっていないからだ。だが、その股の間はつるりとしていて、本来存在すべき穴は何も無かった。

 ロマンはぐったりとした女をひとつ投げ捨てると、鋭い目線を向けた。


「……来い」


 それを合図に、女たちがロマンに群がった。

 もうひとつの死体を振り回し、最初に飛びかかってきた女の胸の間に貫通させると、貫通した女ごと死体をかなぐり捨てる。


「彼女らの撃退をお願いしたかったんですけど……」

「狙いは、オモヒカネなの?」

「だと思うのですが、いまいちはっきりしません」


 首を振る。少し困ったようなその表情に嘘は無いようだ。


「まあ、そうね。異形の行動原理っていろいろだもの」


 九十九は改めて深月を見ると、姿勢を正した。


「……できれば、根本的な解決もお願いしたい」

「もし、解決できたら?」

「……そうですね……。この世界のことについて、貴女の知りたいことを答えましょう」


 外で女の金切り声が響き渡る。ロマンによって解体されていく痛みに声をあげているのだ。

 深月はその声に少しだけ眉を顰めてから、九十九を見返した。


「……わかった。でも、何かヒントになるようなことは無いの? あいつらの王を狩ったとか、巣を駆除したとか……」

「ありませんよそんなの! だいたい、オモヒカネだって頭脳専門ですから、戦えないんです! ただ……」

「ただ?」

「少し、不可解な事を言われたことがあって……」

「それは?」

「僕らに対して、『姿を返せ』……と」

「……姿を返せ?」


 今度こそ、深月もその言葉の意味をはかりかねた。


 そのころ、外ではロマンが指先を異形の喉奥へと突き立てていた。大きく開いたあぎとの中で、女の喉がごくりごくりと指先ごと呑み込もうとする。ロマンが一瞬眉を顰めたその瞬間、もう片方の腕に女が噛みついた。


 ――こいつら。


 少しばかり隙を見せすぎた。いまさら後ろの剣を取るにも、腕が足りない。

 なにか武器があれば面倒なことにならない。

 いや――。


 ――鬼になることを望んだなら、わかるだろう!?


 頭の片隅に、忌々しい声が木霊した。こんな奴らなど、まったく相手にならない。黒刃を使うほどでもない。だというのに、わざわざ邪魔しやがって――。

 ロマンの瞳が不意に見開いた。

 腕を喉奥へと更に押し込む。肘まで喰われかけていた腕が、ぐんと伸びる感触があった。指先が拗くれて絡み合い、長い触手か槍のごとく体を貫いていく。もはや本来の腕の長さを超越し、体を串刺しにしていく。


「おぼおおおおおっ!」


 異形の悲鳴が轟く。やがて異形の尻の間からぷつっと小さな音をさせたかと思うと、性器すら存在しないつるりとした足の間に大穴を開けた。いくつもの触手が絡み合い、指先で一本に絡み合ったドリルの先から、ぼたぼたと血と肉が地面に流れ落ちる。


「おごおっ……ごっ! ごぼっ……」


 ロマンの腕で串刺しとなった異形は、びくびくと体を痙攣させてもがく。まだ生きている。ロマンは暫くそれを眺めた後で、再び腕に力を込めた。捻れた触手の端々から、長い爪のような棘が伸びた。今度は腕を一気に引き抜く。棘が異形の腹の中をずたずたに引き裂いていった。

 ロマンが口の中から腕を引き抜いた時には、触手は収束し、あとには人とほぼ変わらない腕が――血にまみれた腕が――そこにあるばかりだった。

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