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東京冥宮 ―生贄少女と白髪鬼の現代迷宮紀行―  作者: 冬野ゆな
4章 第三階層:花明ノ参道

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42話 知恵の神を守る屋敷

 ――ダメだ。

 ――彼女を死なせてはいけない。

 ――この子を、神に捧げてはいけない。

 ――もしそんなことがあれば、そのときこそ破滅だ。

 ――この世界の。







 なにか、ぬるりとしたものが去っていった気配がした。

 意識だけははっきりとしたが、すぐに目を開けるにはまどろむような時間があった。なんとか目を開けようとしたものの、体のほうが疲れ切っているのか、瞼がいうことを聞いてくれない。

 ともすればこのままもういちど眠りにさえつきたかった。


 それでも、ゆっくりと目を覚ます。最初に見えたのは、木製の天井だった。耳の奥から、あるいは頭全体からずきずきとしていた割れるような頭痛は消えていた。まだしばらくはぼんやりしていた深月は、ここがどこで、いかなる場所だったかを思い出すと、勢いよく上半身を起こした。

 周囲を見回す。

 寝かされているのはベッドだが、下はちゃんとした畳が敷かれている。視線を奥に向けると、ちゃんと床柱が一本立っていて、その左には広めの床の間があった。掛け軸の類はかかっていないものの、その隣には出書院まであつらえられている。床柱の右にはこれまた広めの床脇があり、こちらも地袋や天袋、更には違い棚まで備えられている。畳だけではない、いわば本格的な和室だ。

 ただ、体にかけられていたのはほぼ布のような薄汚い毛布で、ベッドも黒いパイプ製だ。天井からぶら下がった明かりは、ランタンである。ランタンの中には何か光る物体が入れられていて、それがときおり虫のように飛び回るのだ。明かりとしては申し分ないが、和室の空気と合っていない。なにか部屋とはちぐはぐで、誰が見たって違和感しかないのだ。


 深月はベッドに腰掛けて、ぴったりと閉められた障子の向こうへ視線を向けた。おそらく外に通じているはずのその向こうは、何故か明るい。

 立ち上がり、ゆっくりと障子に近づく。

 そっと障子の組子に手を伸ばしたそのときだった。


 急に障子の向こうに人影が立ったかと思うと、スパン、と勢いよく障子が開いた。思わず目を丸くして、開けた人物を見上げる。


「ロマン!」


 その名を呼んだが、ロマンは特にこれといって表情を変えることはなかった。

 相変わらず不機嫌なのか無表情なのかわからない顔で深月を見下ろす。下から見ると、角は完璧にフードに隠されている。そこから伸びた白い髪も変わらずだ。


「起きたか。体調は」

「……起きる前よりは、だいぶマシ」

「そうか」


 深月は返事を聞いてから、いましがた開けた障子を見た。

 障子に見えた白い紙の部分は、なんらかの画面のスクリーンになっているらしい。明るく見えたのはそれが原因だった。縁側の向こうには庭があったが、やはり夜のように暗い。ここは確かに冥宮の中なのだ。


「……ここは?」

「奴らのアジトだ。九十九ニアの」

「つくもニアって?」

「あの耳と尾の生えたふざけた野郎の名前だ」

「あの人そんな名前だったんだ……」


 名前を聞く前に意識は落ちていたらしい。


「じゃあ……治療されたんだね? いちおう」


 深月は自分の頭を両手でおさえながら言った。


「いまマトモに歩けてるなら、そうなんだろう」

「そうみたい。……ありがと、ここまで」

「気持ちの悪いことを言うな」


 ロマンは僅かに深月を睨んだ。


「それで、その九十九さんは?」


 深月が話題を変えて訪ねると、縁側の曲がり角のほうから声が聞こえてきた。


「あ、起きたか?」

「良かったー!」


 深月は声のほうを振り向いた瞬間、自分の目が信じられなくて固まった。


 なにしろ歩いてきた二人のうち、一人は女で、長い黒髪の、やや不健康そうな真っ白い肌で、赤い瞳をしていた。ゴシック調のワインレッドのワンピースは、この日本家屋にミスマッチにもほどがある。もう一人は頭から羊の角を生やした糸目の男で、こちらも執事のような服装に身を包んでいた。

 そして――どちらも九十九と同じように、どこか現実感の無い、3Dを思わせるアニメ的な容姿をしていた。


「いま、ニアを呼んでこよう」


 気取ったような口調で、黒髪の女が言った。


「二人とも、ちょっと部屋で待っててくれるかな?」


 もう一人は見た目は男だが、その声はやや高く、女性が喋っているようにすら思える。

 ロマンがぎろりと睨む視線から逃れるように、二人は踵を返して歩いていく。縁側をごつい靴を履いたまま歩いているというのに、足音ひとつしない。

 深月はその後ろ姿をまじまじと見ながら、もういちどロマンに視線を戻した。


「ロマンの姿が逆に地味に見える……」

「だから何だ」


 あんな目立ち方なぞゴメンだ、とでも言いたげだった。


「奴らの見た目に関して言いたいことは山ほどあるがな」

「逆に安心する容姿ではあるけど……」


 わけのわからない肉塊や、話の通じない姿の異形たちばかり見てきていれば、この反応も仕方のないものなのだろう。


「……おそらく、ここにいる奴らはみなアバターで動いてるんだろう。お前、世界が壊れる前に、ああいうのは見たことは無いのか」

「Vtuberみたいなものってこと? 動画サイトで見たことはあるけど……。それを現実世界でも出来るようになったっていうの?」

「奴らは本体が別にあるんだろう。だから、アバターなんだ。奴らは現実のモノに触れることができん。そう見せかけているだけだ」

「じゃあ……そういう、異形なの?」


 異形、と聞いた瞬間のロマンは、どこか視線が冷たかった。ロマンはもとより異形を殺す異形であり、加えて邪魔をする者には容赦はしない。

 そのとき、向こうのほうから不意に気配がした。

 突然現れたような気配だった。


「ああ! 良かった。気が付いたんですね」


 狐耳と尻尾を生やした巫女姿の少女――声だけは相変わらず男のものだ――が、にこやかに二人に笑いかけた。


「ええと、九十九さん?」

「ええ! そうですそうです!」


 ロマンには胡散臭い目を向けられたからか、九十九はやや紅潮して頷いた。


「改めて、僕は九十九ニアです!」

「ええと……深月です」


 その勢いに深月は圧され気味になりつつ、そう名乗った。ただ名前を信じてもらえたのが嬉しかったのか、九十九はにこにこしたままだった。


「とりあえず、テーブルを出しましょう。立ちっぱなしもなんでしょう」

「テーブルって、どこに?」


 深月が尋ねたのと同時に、和室の反対側の障子がスパンッと音を立てて開いた。勢いよく其方のほうを見ると、開け放たれた障子の向こうには、闇が広がっていた。真っ暗で何も見えない。明かりは確かにあるはずなのに、まるで仕切られたようだった。やがて下のほうから、ズズッと何かが蠢いた。ロマンが思わず闇の向こうを睨み、手が自然と背中の黒刃へ伸びる。

 姿を現したのは、何本ものコードが絡まった機械ワームのようなものだった。機械的な動きで伸びてくると、近くにあったベッドをそれぞれ掴む。そうしてゆっくりと運搬するが如く、ベッドを闇の向こうへと取り込んでいく。

 深月はぽかんとした顔でそれを見ていた。


「……あっ……そういえばまだベッドは必要ですか?」

「い、いえ、大丈夫だけど……」

「それなら良かった」


 九十九が言うのと同時に、ベッドと入れ違いに木製の古びた四角いちゃぶ台が運び入れられた。機械ワームが器用にちゃぶ台を掴んで、部屋の真ん中へと


「……なんていうか」


 未来的でもあるが、人力的なものを感じる。


「この姿だと、持てませんからねえ」

「なんだ、あの機械は」

「いまのも、オモヒカネの一部ですよ」


 九十九が視線を奥へと向けたまま言う。


「この屋敷は、オモヒカネの一部であり、オモヒカネを守る砦なんです」

「オモヒカネって……」

「あなたを治療したオモヒカネです」


 それから、作り物の瞳がようやく深月を見た。バーチャルな存在を現実世界に喚びだし、まるでそこに存在するかのように踊らせる技術は、一時期もてはやされたものである。だがもう機械などなくても、そこに存在する。してしまう。

 深月はというと、訝しげにその瞳を見返す。


「……知恵の神に、傷は治せるの?」

「あなたはご存じなんですね」


 そう返すと、九十九はゆっくりと和室の中に入った。


「どうぞ座ってください」


 九十九がそう言った頃には、三人分の座布団がオモヒカネのワームによって運ばれていたところだった。

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