40話 狐の少女は触れられない
「僕の名前は九十九ニアだ。九十九でもニアでも、好きなように呼んでくれ。きみたちの名前……も、一応聞いておこう」
何か答える前に、ロマンは眉間に皺を寄せた。
「……いくら異形だからといって、なんでも名乗っていいわけではないと思うぞ……」
「なにその反応!? せめて信じて!!」
言うにことかいて「九十九ニア」なんて名前を信じられるはずがなかった。
「芸名なのは理解した」
「きみだって似たようなもんだよね!?」
「そんなわけあるか」
白髪鬼もロマンも、そもそもどちらも他人から付けられたものだ。白髪鬼、というのは的を得ている。ロマンを指すのにぴったりな名前だと自分でも思っている。一方でロマンという名は――少しばかり考えて――そもそも深月が『白髪鬼』では名前らしくない、目立つ、というような理由で、物語の『白髪鬼』からつけたものだ。
「いま死にかけているこいつは深月、そしてこいつは俺をロマンと呼んでいる」
「きみの名前も日本人ぽくないよね」
いま一番言われたくない異形に言われた。
異形たる自分に人種など関係あるのか、というところだが。
それでも九十九はまだなにか言いたげにしばらく呻いていた。だが、やがて諦めたように息を吐いた。これ以上どうでもいい問答をしていても余計なものがやってくるだけだ。それは理解しているらしく、ちらりと周囲を見渡してからロマンを見た。
「……とにかく、きみの力が必要なんだ、ロマン――いや、白髪鬼。異形でありながらこうして言葉が通じるきみの力が」
九十九はわざとそう言った。
相手方も自分のことを知っていて声をかけてきた、というわけだ。
「それとも、こう言ったほうがいいのかな。異形でありながら、異形を殺し続けるきみの力が」
「……お前」
「ついてきて」
九十九はそう言うと、踵を返して歩き出した。
九十九が何を言いたかったのかはともかく、いまは悠長にしている場合ではない。人体を治せる力は強弱はあるもののたいていの怪我は治せるものがほとんどだ。だがそれはあくまで死んでいなければ――という注釈がつく。
ロマンは深月を抱え上げると、後ろをついて歩き出した。
無防備に後ろを晒すのも、気に入らなかった。本体を見つけ出したらどうしてくれようと思った。
「森の中は比較的異形が多いからね。参道を行くよ」
「……この参道はもともとあったのか?」
「たぶんね。僕たちが気が付いた時にはもうこんな風だった。上の階も見てきたんだろう? あっちもそうだったらしい」
「……たち?」
ロマンが言うと、九十九は少しだけ苦笑する。
「ここに一緒に落ちてきた……まあ、ありていに言えば仲間さ。大穴が開いたときに、巻き込まれた人間と言えばいいかな」
「……」
「まあ、暇潰しがてらに聞いてよ」
九十九は前を案内しながらそう言った。
「最初のほうはね、違う世界に来てしまったんじゃないかと思った。いわゆる、異世界っていうのかな……異世界に転移してしまう物語とか、昔っからあったしね」
知っている、とは言わなかった。
確か海外の小説や映画でもそんな内容の話があったような気がした。深月であればもっと具体的に思い出したのだろうが、当の本人はいま喋ることすらできない。
「それにほら、スキルというか、異能というか、そういうのに目覚めた奴もいたから。上だと幻想化なんとか……みたいに呼ぶんだっけ? ちょっと期待したよ。それにしてはずいぶんと日本的な場所だったけど」
九十九は斜めに地面に突き刺さった赤い鳥居をくぐる。絶妙なバランスで突き刺さった赤い鳥居も、元からこうだったのだろうか。
あちこちに点在し、いままでも何度かくぐってきた鳥居は、確かに日本的ではある。大穴ができたときにこんな風になったとして、その理由は何故だろう――とロマンは少し思った。
まさか、『太陽の子』がヒルコと呼ぶあの赤ん坊が、本物のヒルコというわけでもあるまい。
そう思ったとき、唐突にぞくりとしたように背中に悪寒が走った。こんなのは久しぶりだった。思わず首に手をやりたかったが、いまは深月を抱えているせいでそれも叶わない。ただ、深月を抱え直しただけに終わった。
「それに、そういう異世界があってもいいだろう?」
九十九にそう投げかけられて、ハッと意識を戻す。
気のせいだったかのように、悪寒は無くなっていた。
そのかわり返事はしていないが、九十九は気にしていなかったようだ。それほど話は進んでいなかったらしい。
「僕たちはこの階層まで落ちてきて、とにかく誰か探そうとしたんだ。どうやったら生き延びられるか、食糧と水を探そうとしたりね。生き延びられると信じて疑わなかったし、現実的な人たちだって、日本政府の助けが来ると信じていた」
そのどこまでが妄想だったのかはさておいて、ね――九十九は自嘲気味に言った。
「……テレビで見たような……いわゆる政治家の人たちが死んでいるのを見ても……まだ、助かると信じていたんだ」
「おめでたい奴らだ」
「まあ、そう言うなよ」
九十九はどこか穏やかに言った。
「いまなら彼らの気持ちもわかるよ。この現実を受け入れられなかっただけなんだ」
ヒョウヒョウと鳴く声が、どこからともなく聞こえた。
鳥のようだったが、正体はつかめなかった。少しだけ睨みを効かせてから先を行く。
「だから……。だから、ああなった。そうなんだと思う」
呟くような声に、ロマンは少しだけ眉を顰めた。
「それはどういう……」
「おっと。ちょっと待って」
九十九が片手でロマンを制した。森の暗い向こう側から、光る目が次々とこちらを見る。
さっき視線で牽制してやったというのに。
それでもなお襲い来るというのであれば容赦はしない。
「屈んで……。やりすごそう」
「面倒だ。斬ればいい」
「その間、彼女はどうするんだよ」
「お前が見ていろ」
ロマンが深月を差し出そうとすると、九十九は困惑したように視線を漂わせた。
九十九を斬れないということは、九十九自身も人間に触れられないのだろうと思っていたが、その推測は当たっていたらしい。
あくまで触れているように見えるのは、『そう見えて聞こえる』だけなのだ。
ロマンは答えを待つまでもなく、木の陰に深月を横たえさせた。
「ちょ、ちょっと……」
九十九が声をかける前に、ロマンは飛び出した。
背中に手をやり、黒刃に手をかける。森の中から同時に飛び出してきた餓鬼どもへと黒刃を振るうと、綺麗なほどに一列に並んだ三つの首と胴体が吹き飛んだ。




