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東京冥宮 ―生贄少女と白髪鬼の現代迷宮紀行―  作者: 冬野ゆな
3章 第二階層:荒野ノ寂塔

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31話 蜘蛛

 死の臭いが満ちていた。

 東京の象徴は炎に包まれ、いまにも塔を呑み込まんとしていた。そもそもが象徴としての力などとっくに朽ちていたかのように、あちこちに張られた布や死体に引火し、炎が舐め尽くしていく。


「水だ! 水持ってこい! 爆発するぞ!」

「やめろ! そんなものは放棄して逃げるぞ!」


 一部の生き残りが慌てて爆薬庫から銃弾や爆薬を持ち出していたが、あたりに転がる死体の山がそれを阻止した。搬出が間に合わずにあちこちで爆発が起こり、人が吹っ飛ばされては廊下に叩きつけられる。壁が落ち、管が破壊され、硝子の破片が舞い、かつての姿を保っていた場所はあっという間に瓦礫の山と化していく。

 この世界で貴重なほど均衡を保っていたオアシスは、ただの異形の手によってたった数時間で火の海と化した。

 その一角で、ロマンは次第に七人ミサキ隊と呼ばれる異形を追い詰めていった。七体でひとつの異形は何度殺しても無事な死体で補強した。


「ロマン! 外に逃がさないで!」

「知っている」


 まだこの中であれば対処できる。ある程度距離はあるだろうが、外に逃げてばらばらになられたらすべて殺し尽くすしかない。


 ――もしそうなれば……。ロマンを止めきれるかもわからない……!


 いくら契約があるとはいえ、暴走されたらどうなるかわからない。それに、いまは死体を更に切り刻むという作業に追われているものの、外にでればどれほどの被害が出るのかわからないのだ。深月は後ろからなんとかその背を追った。

 途中でばらばらにされていく死体は、もはや通常の姿を保っているものはいなかった。手だけ、足だけ、首だけ、そして中身がばらばらにされた死体の山。そのど真ん中を、ロマンが切り開きながら追っていく。

 ロマンが飛びかかってきた一体を軽く上下に分けると、前を行く人数が見えた。人数は四体にまで減っていた。廊下は一直線だ。地面を軽く踏むと、それだけで床が割れた。勢いよく加速し、途中で天井を蹴って斜めに接近していく。一番後ろの一体が気付いたが、もう遅かった。黒い色が空間を裂くさまが、深月の目にはスローモーションのように見えた。地面にロマンが足をついた時には、三人の体が真っ二つにされていた。無事な死体を見つけるべく逃げる最後の一体に向けて、ロマンは背後から勢いよく黒刃を突いた。背骨ごと粉砕する。肉片を抉る音に交じってギャリッと音を立てる。


「何かあるな」


 ロマンは呟きながら、勢いよくぐっと押し込んだ。黒刃が、どくどくと絡み合った心臓を突き刺したまま向こう側へ突き抜ける。ちょうど七つ絡み合っていた。







「あ……あ……ああ……」


 震える五条の顔は、生き残ったメインのカメラを見させられていた。その向こうでは死体と炎とがなにもかもを埋め尽くしている。

 その顎はイペタムに強く固定されていた。指先が口に突っ込まれ、涎が滴り落ちている。見え隠れする牙は、がくがくと震える顎によって揺れていた。


「ほら。アンタの大事なものだ。アンタが失いたくなかったものだ。アンタの護りたかったものはこんなにも脆い」


 五条の目がぎょろぎょろと動く。

 イペタムはよくよく子供に言い聞かせるように、ごく自然な反応から涙を流す五条を見つめて言う。


「所詮、穴ができる前のものなんてこんなものさ。ゲームやマンガなら、旧世界とか旧人類とか言うんだろうな」


 五条の背中が次第に盛り上がるのを感じると、イペタムは笑った。どこからともなく爆音と、建物の崩れ落ちる音がする。炎がこの部屋の向こうにまで迫ってきているのだ。


「ここもそろそろ危険だぜ、知子。……じゃあ行こうか。アンタの敵を倒しに」







 炎に追い立てられて外に出る。

 振り返ると同時に、入り口から轟音が響いた。また何かが爆発したらしく、入り口から炎が噴き出すのが見えた。


「ひえ……」


 あたりでは茫然とそれを見上げて立ち尽くす人間たちがいる。もはやどうにもできないと悟ったらしく、膝をついて死んだように口をモゴモゴと動かしている者もいた。


「……これは……まずいかも。ねえ、早く火を消さないと……」


 深月はどうしようもできないまま、ふらふらと歩き出そうとする。

 その肩をロマンが掴んで止めた。


「いや。どうやら向こうから来たようだぞ」

「え?」


 ロマンが入り口の方向を顎で示す。

 いましがた爆発したばかりの入り口から、人影がひとつ。

 悠長にロマンたちのほうへと歩いてきていた。その人影が次第に近づいてくる間もなく、その正体に気が付いた。


「よう!」

「イペタム……」

「派手にやったな、白髪鬼! 上出来だ、旧人類の駆逐としては」


 イペタムは至極にこやかに笑っていた。


「……な、何言ってるのあいつ」

「知らん」

「ははは。いいものを連れてきてやったぜ!?」

「はあっ?」


 深月が尋ねる前に、イペタムは笑いながら少しだけ横に逸れた。深月が視線を動かす前に、その後ろから、ずるっ、と力無く歩いてくる影が視界に入る。


「ダメ……」


 その影は、体を引きずるようにして近寄ってくる。まるで片側だけ神経を失ったように、片足を引きずっている。


「え……、五条さん?」

「穴の底には……」


 その異様さに気付いた深月が、近寄ろうとする。


「行かせ……ない……!」

「離れろ小娘っ」

「お……ごっ……!」


 五条の体が立ち止まり、急にぴんと後ろに反った。頭がぶるぶると左右に揺れるのにあわせて、だらんと伸びた手が力無く揺れる。口の端からは泡が吹き出し、喉へとごぼごぼと零れていった。

「おぐうっ!」

 叫ぶやいなや、その背中から衣服を突き破って巨大な人間の足がずるずると伸びていった。腕は短い髪のような毛で覆い隠されていた。その先についた真っ白い手は、指先を大きく開きながら、どぉん、と鈍い音を響かせて地面へ降り立った。


「おぐうっ!」


 五条がまだ人間のものである両手で顔を覆う。何か吐き出すのではないかと思われた瞬間に、今度は腹がブクッと一気に膨れ上がった。スカートのホックがぶちんと飛んで下に落ち、がくがくと震える白い太ももが露わになった。まくれあがった白いシャツと下着が下からの圧迫に耐えきれず、服としての役目を放棄して引きちぎれる。


「んんんんーっ! んぐぅぅっ!」


 それでも膨れ上がった腹には、真っ黒に染まっていた。そこにはあるはずのない黄色と黒の模様に、真横に引かれた紅。ジョロウグモの腹があった。それと同時に腹が持ち上がったかと思うと、どたんと四対の巨大な腕が地面を


 用済みになった白い足がぶらんとぶら下がり、ぬめぬめとした液体とともにちぎれて下に落ちた。


「あ……あ……、うあああああっ!」


 五条の黒眼が大きく膨らみ、ぐりぐりと眼球ごと目の穴をこじあけていく。その目から白目が消え、真っ黒になった。叫びをあげた五条の顔には次々に亀裂が入り、そこから次々に目が出現した。もともとの目の横に小さなものがふたつ。さらにその上に一列に四つ。並びはまさしく蜘蛛そのものだ。体液に覆われ、やや湿り気を帯びた髪の毛が振り回される。


「……はははははっ!」


 イペタムが愉快そうに笑い声をあげた。


「見事な絡新婦だ! しょせんお前がヤオシケプになろうなんて無理だったのさ……」


 そう笑うイペタムを指さし、ロマンが視線を深月に向ける。


「おい、何を言ってるんだあいつは」

「どっちも蜘蛛だよ。絡新婦は齢四百年を超えた蜘蛛がなるって妖怪で、人間の女に化ける。糸で縛り、食ったり取り殺したりという伝承が残ってる」

「ヤオなんとかは?」


 ロマンは黒刃についた血を振り払いながら尋ねる。


「ヤオシケプカムイは、アイヌに残る伝承の女神。その手でたくさんの仕事をする蜘蛛の女神様だよ。悪者を地獄の底まで追いかけて、網をかけて封印した……んだけど」

「……はあん、なるほど。つまり、奴なりの皮肉か」


 口元についた返り血を拭う。ロマンが歩き出すにつれて、衣服についていた血がどろどろと意思を持つように流れて、地面に落ちていった。


「どうでもいいことだな」


 わずかに残った額の血を拭って振り払うと、黒刃を構えた。

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