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東京冥宮 ―生贄少女と白髪鬼の現代迷宮紀行―  作者: 冬野ゆな
3章 第二階層:荒野ノ寂塔

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28話 底にいるもの

 話を聞き終わっても、女は――五条は動じることはなかった。

「わかりました。ここまでどうもありがとうございます」

 ゆっくりと近づく。床に敷かれた絨毯はまだその役目を放棄しておらず、その足音を吸収した。深月の肩に手を置き、安心させるように続けた。

「ここはどんなことがあっても耐えてきた第二階層最後の砦です。そして、第三階層の監視都市でもあるのですよ。一人や二人、異形が入り込んだからといって焦ってどうなりましょう」

 五条はそう言うと、見上げる深月を見返して頷いた。

 ロマンはほんの少しだけ睨むように女を見たが、女はその視線をさらりと受け流して、これといった反応をすることはなかった。五条はとって返すと、テーブルの上に置かれた機械のようなスイッチを押した。

「……ああ、もしもし。私よ。異形が一人入り込んだらしいの。……ええ、名前はイペタムといって……」

 五条は素早く喋り、イペタムの特徴を伝えた。そして厳戒態勢を取ること、それらしい異形を捕らえたり殺したりした者がいればいること、そして奇妙な死体があったならすぐに報告すること――などを的確に伝えていた。

 その様子を、深月とロマンはぽかんとした顔で見るしかなかった。

 通信機らしきものを一旦切ると、

「あなたがたは第三階層へ向かうのでしょう? ここで少し休憩なさってはいかがかしら。……それと」

 女は一旦言葉を切ってから、建物のとある方向を指さした。

「この建物の北側から、第三階層の穴が見えますよ。ちょうど庭園からだとよく見えるでしょう」




「……あの二人を警戒して」

 五条は小さな声で続けた。

「絶対に穴の底へは、行かせないで」







「……あれが第三階層への……いりぐち……」

 商業施設の一角には、屋上庭園に繋がる入り口があった。

 憩いの場として使われたそこは、いまでは第三階層への穴が一望できるスポットに早変わりしていた。


 地面の中央に空いた巨大な穴。ここまでの道のりは、たかだか皿の縁を歩いているに過ぎなかったのだと実感させられる。穴のふちにはいくつもの真っ赤な鳥居があり、まったくばらばらの方向を向きながら突き刺さっていた。そのひとつひとつをぼろぼろになった注連縄が繋いで、巨大な円を作っている。

「すり鉢状になってるのは知ってたけど、予想外に大きいわね。底も見えないし」

「上から来た時だって似たようなものだっただろ」

 ロマンは肩を竦めた。

「しかし、あの鳥居と注連縄はなんなんだ」

「……なんだろ? 太陽の子の人たちが付けさせたのかな……」

「わからんのか」


 深月は首を縦に振る。


「まあでも、『太陽の子』だって一応源流は神道だから、その可能性はあるかも。あの格好見てるでしょ」

「そういえば神社の巫女のような服だったな。じゃあなんだ、アマテラスでも祀ってるのか」

 笑いがこぼれそうになった。そもそも太陽の消えたこの世界で、太陽の子とは笑わせる。だが深月は表情ひとつ動かさなかった。

「……そうね」

「もったいぶるな。言え」

「……そういえば言ったことなかったね。『太陽の子』は文字通り、あの赤子を太陽神、そして自分達をその子供ととらえる新興宗教ね。日本で太陽神といえばアマテラスオオミカミでしょ。なんだけど……でも……その……奴らは……というか、奴は、あの赤子の神をヒルコさまと呼んでるのよ。真昼の子と書いて、昼子」

 さすがに、ロマンも目を見開いた。

 ヒルコ、という言葉は聞いたことがある。

「なんだ。どういう意味だ」

「ヒルコの意味はわかる?」

「確か……忌み子だったか」

「うーん。まあ、合ってはいるけどちょっと違うかな」


 そう言うと、深月は周囲に人がいないことを確認してから続けた。


「ヒルコ神は日本神話の国生みで、イザナギとイザナミの最初の子ね。だけど神としては不完全で、三年経っても成長しなかった。だから二人は、船に乗せて捨ててしまったの。これは単純に障害者だったとか、胎盤のことだとか、伝承によっては、別の地域に流れ着いて恵比須様、つまり海からやってくる神様になったとかね」

「ずいぶんとたくさん意味があるな」

「神話なんてそんなものよ。日本神話では理由を女が先に声をかけたから、ということにしてるけど、女神信仰のある日本でそうなるのはちょっと不自然だって話もあるわね」

 深月はそこで一旦言葉を切った。

「神話って、当時の民話や歴史が寓話的に反映されていることが多いから、何かしらの意味はあったのだろうけどね」

「たとえば?」

「ええと、そうね……。簡単に言うと、暴れ龍の伝説の残る地域は、洪水が多かったとか……。あと有名所だと旧約聖書ね。楽園追放の話だって、元々住んでいた土地を追われた人々が、自分たちが追い出された理由を求めた、なんて説があるの」

 蛇を大地の神や、大地母神として捉える地域は多い。蛇そのものでなくとも、蛇を纏ったり化身として考えられていることもある。エジプトなどでも邪悪なものであると同時に神聖なものと考えられていた。

 ギリシャ神話のメデューサも、もともとは蛇の大地母神だ。土地を制圧した際にモンスターへと貶められ、英雄譚に書き換えられたにすぎない。

「だから土地から追い出された人々が、自分たちを追い出した蛇を否定する要素が入ったとか、十分考えられるわけ」

 風が吹き、飛んだ前髪を耳の後ろへとかける。

「ハナシが古すぎるのよ。旧約聖書なんて何度も翻訳がされてるし、その間にハナシも変わるでしょ。

 カインとアベルの話もそう。あれも複数の寓話が混じった話と考えられるの。だいたい、楽園の東に追い出されたカインは、その後に製鉄技術の祖になってるってのがおかしいと思わない? 罪を犯して追い出された人が、いまや人間の生活に欠かせない技術の祖になっているって」

「ふむ」

「これは『自分の罪に気付いて反省した人にそれ以上石を投げるな』っていう教えの話と、『どうして作物が育たない土地があるのか』っていう民話的な話が混在してる可能性があるわね。擬人化された土と、鉱脈の話ってこと」

「……で、旧約聖書の話はわかった」

 ロマンは饒舌になった深月を止めるように言った。

「とにかく――その意味のわからん忌み子の名前で呼んでいるのは何故だ?」

「何故って言われてもね……」

 そこで急に深月は言葉を濁す。

「『太陽の子』の教義によると、あの赤子は本来、完全な太陽神って触れ込みなの。女神の性質と男神の性質を備えた、神として完璧な太陽神」

「……あれが完璧な太陽神……」

 ロマンは物言いたげに目を細めた。

 深月は否定せずに頷いた。言いたいことはわかるからだ。

「そう思うでしょ。だから現状だと、生まれ落ちる途中でなんらかの事故によって不完全な状態のまま留まっている、って解釈ね」

「だからヒルコか?」

「……それだけじゃないと思う。そもそも太陽の女神といえばアマテラスなんだけど、アマテラスにはヒルメっていう別名があるの。確証は無いけど、ヒルコは……もしかすると、もともと……」

 うまく言えないのか、深月はそこで口ごもった。

「とにかく女神といまだ分離している状態だと言いたいのか」

「多分ね。それを補うために必要なのが生贄って発想なの。つまり私ね」

 そう言った瞬間、ロマンがまじまじと深月を見た。

「ただの生贄よ、アマテラスに当てはめられてるわけじゃないと思うけど」

 深月が呆れた表情でロマンを見返す。その目がふっと真剣味を帯びた。

「……それに……」

 深月は言いかけて止まった。

 ロマンはそれに気が付いたが、今はなにも聞かずにおいた。

「とにかくお前たちはあれをヒルコと呼んでいると」

「私たちというより、……あの男だけね」

「あの男?」

「知ってるでしょ。八十神よ」


 その名前を出した途端、ロマンの顔色が変わった。


「他の信者は、お名前を呼ぶのを憚られるからと呼ばせてもらえない。だから太陽神であることは知っていても、名前を知らないの。たぶん、中にはアマテラスオオミカミだと思っている人もいると思う。八十神があの赤子をヒルコ様と呼ぶのも、私が偶然聞いただけ」

「ただのイカレた野郎か」

「ただの、じゃない気はするけど……」

 深月はロマンを見つめる。

 ロマンの腕を切り離し、後頭部から割り抜いた男が、ただのイカレ野郎で済むはずがない。

「あの男は何者なんだ」

 ロマンが尋ねると、深月はまた困ったように息を吐いた。

「……こっちが知りたいわ」

 心の底から吐き出した言葉だった。

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