22話 塔の天使(前)
昼も夜もない荒野を、ロマンと深月は進んでいた。ここが地下深い場所であるというのを忘れてしまいそうなほど、天井の高い、荒涼とした大地が続いている。
二人はキャラバン隊を自称するオアシスを持たない一団に混じっていた。自称というだけあって、その実態は窃盗団のようなものだ。十人程度で構成されたそのキャラバンに、次のオアシスまでの『護衛』という名でついていくことになった。
実際のところ、特に深月は、彼らがロマンが人間でないことに気が付いていたのではないかと薄々思っていた。それでなければなんの力もない小娘に声をかけたあと、ひきつったように護衛の話を振るはずがなかったからだ。断ることもできたが、結局押し切られる形で一緒に行くことになってしまった。なにを企んでいるかはさておき、次のオアシスまでは無事でいられそうだ。
「次のオアシスはな、天使がいるって話なんだ」
「天使?」
「よっぽどの美人か、それほどの異形なんだろうよ」
彼らはあっさりとそれを認めた。
「そいつを巡って常に争ってて、もう人がほとんどいないらしい。死体の山だけは高いみたいだからな。で、最後に残った美人をいただこうってわけさ」
あまりに現実離れした台詞だったので、深月は少しだけ笑ってしまった。
それにしたって、「天使」という命名もなんだか古臭い気がする。人間か異形かわからないが、たった一人を巡って取り合うなど正気の沙汰ではないな、と思った。
次第に向こうに目印でもあるタワーが近づいてきた。やはり地方都市にあったものらしいが、今度は硝子張りのような塔だった。下の部分の裾野が少し広く、上にいくにつれてやや細くなった作りの塔だ。頂上にある展望台だけが突き出ていて、少し頭でっかちにも見えた。
タワーの形状に意味があるのかと考えたこともあったが、特にいまのところそれらしい違いはない。ただし下に広がるオアシスの大きい・小さいくらいはあるようで、それを巡った争いは常に起こっている。
逆に言えば、塔にいる一人の天使を巡って争うというのは珍しいものなのだ。
少しずつ近づいていく。オアシスがあるにも関わらず、ほとんど木々は見えない。タワーの土台に見える建物はなんらかの施設になっていたらしく、そこも硝子張りだった。ほとんど割れているそこを、キャラバン隊の一人が偵察する。動きはほとんど無いようだった。武器を手に、キャラバン隊が笑った。
「……ねえ、行かなきゃ駄目なの、これ」
「ま、途中で抜ければわからんだろう」
何かあれば殺せばいい――ロマンはそれだけ思っていた。
他のことに興味は無かった。
それに、キャラバン隊のほうもロマンと深月を手放す気は無いようだった。ロマンの戦闘能力は惜しいが、深月がいなければロマンはすぐにでも自分達を殺すかもしれない。つまりはそう解釈しているのだろう。
オアシスの中へと近づいていくと、やはり人影はなかった。
「中にいるのか?」
施設の中をうかがう。中はほとんど硝子が割れ、あちこちに血が付着していた。次々と施設の中へと入り込んでみたものの、人の気配はほとんど無かった。というのも、あちこちに死体が溢れていて、足の踏み場も無いところがあったのだ。
そのどれもが全裸で、何か布をくくりつけているような死体は無かった。頭髪の長さはそれぞれで、禿げていたり逆に長かったりと様々だ。だが、どれもこれも粘液状のものが乾いたような形跡があった。
「なんだこいつら。新手の餓鬼か?」
「このぶんじゃ、もう誰もいないんじゃないか?」
男の一人が笑いながら通路に入った時だった。急にドスンという音がして、中に入った一人の頭に横から槍が突き刺さった。男は勢いに負け、槍に引っ張られながら倒れこんだ。ドサリと音を立てたときには、もう死んでいた。
キャラバン隊がどよめく。
「ぴいいいいいいっ」
雄叫びをあげながら、全裸の男が腕を前に出して走ってきた。
さすがのキャラバン隊にも動揺が走る。慌てて銃を持った男が、引き金を引いた。小気味良い音とともに全裸の男はのけぞった。
「う、くそっ、くそっ!」
何度も引き金を引くと、のけぞった全裸の男は後ろ側へと勢いよく倒れた。その間も、ぴいい、ぴいい、と鳴き声のような奇妙な声を発していた。やがて全裸の男が動かなくなると、ようやく他の男が声を荒げた。
「おいっ! 銃弾は節約しろっつってるだろ!」
「言ってる場合じゃないだろ! なんだこいつ!? 餓鬼か!?」
その割には肉付きは普通だ。餓鬼ならばもっと小さく痩せて、皮膚もどこか乾き、腹に水がたまってぶっくりとしているはずだ。だがこの全裸の男は、外見的には人間と同じだ。
「……ふ、普通の人間……?」
「生き残りか? 『テレパス』の話じゃ、今はもっと少ないって言ってたが……」
「くそったれが。奴らの情報はどうにも役に立たん」
そのときだった。
ごろごろと異音が響き、何かに盛大にぶつかった音がした。
「今度はなんだ!?」
階段の下には、全裸の人間が転がっていた。真新しい死体の下からは、どくどくと真っ赤な血が湖を作っている。髪はざんばらだが、なにか粘液のようなものが乾いて固まったようだった。
全員が黙りこくっていると、上の階からどさどさともんどりうつように何かが降りてきた。手と足の両方を使って、四つ足で歩く全裸の人間だった。今度は女のようで、垂れた乳房を隠しもせずに歩いてくる。そうしてカエルのように歩いてくるさまは、こんな世界になっても異様だった。
「……なんだ……こいつ……」
銃を構えると、全裸の女はぎろりと鳥のような目でキャラバン隊を見つめた。
「ぴゅうううぃぃぃぃぃ」
鳥のような鳴き声を発すると、女は再びキャラバン隊を見ながら近寄ってきた。殺意が見てとれる。
「ぴいいいい」
「ぴいい」
「ひゅうういいいい」
気が付くと、あちこちからそんな鳴き声のようなものが響き渡ってきた。二階だけでなく、一階の奥のほうからも声がする。
「来るぞ」
ロマンが黒刃を抜いた。
キャラバン隊はそのロマンにもぎょっとしたが、各々の武器を構えた。
ぺたり、ぺたり、と四つ足で歩く全裸の女がやってくる。
女が下からキャラバン隊を見上げ、襲いかかろうとしたその瞬間だった。突如、鉄パイプが女の背中を貫いた。
「きょおおおおお!」
女の悲鳴が轟く。ずぷりと鉄パイプが引き抜かれると、今度はそれがキャラバン隊の一人の喉元を貫いたのだ。
「あっ……」
ひゅう、という空気の抜けるような音を最後に、目を剥いた。ずしゃりと再び鉄パイプが引き抜かれる。栓を失った首に開いた穴から血が噴き出し、そのまま後ろへと倒れた。
「……野郎っ!」
キャラバン隊も吼え、鉄パイプを持った全裸の男へと襲いかかった。
深月は慌ててテーブルの影へと隠れ、ロマンがその前に立つ。一糸まとわぬ全裸の人間たちと、キャラバン隊の殺し合いが始まった。だがそれは軍同士の戦いではなかった。
全裸の住人たちの中には、同士討ちをしている者たちもいたのだ。互いに全裸で、男も女もなくそこかしこにあるもので互いに殺し合っている。かといってキャラバン隊に有利かといえばそうでもなかった。見事に巻き込まれた形になったらしい。
さきほどのように鉄パイプで貫く。鉄の塊で殴る、棒のようなもので叩く、石のかけらのようなもので突き刺す。とにかくありとあらゆるものが凶器となった。それでもナイフや槍など、どこかから持ち込まれた物を持っている者たちはひときわ強かった。
深月はテーブルの影から様子を見つつ、思わず言った。
「なんなのこのオアシス……ッ!」
「殺し合いをしてるのはほぼ人間だな」
隣でしゃがみこんだロマンが状況を見つめる。
ドシャッ、と倒れ込んだ死体は、やはり全裸だった。既に新たな死体の山が積み上がっていた。強者はいるが、やがてその強者も武器を奪われたりすればとって変わられる。
「この人たちは異形……じゃないわよね?」
「人間だな。あきらかに何かがイカレてるが」
たとえこんな世界でも、全裸でぴぃぴぃとしか鳴かず、男も女もなく互いを殺し合っている人間たちが正常であるはずなかった。だが何がどうしてそうなっているかはさっぱりわからない。
ロマンは答えてから、すぐさまに背後へ指先を伸ばした。その指先は、全裸の男の首を掴んだ。
「びゅびぃッ……、びっ……」
男は苦しげに首の指をつかもうとする。舌を出して醜く暴れ出す。口の端からごぼごぼと泡立った涎を垂らす。ロマンはそのまま立ち上がると、男を宙ぶらりんにして力を込めた。ぷつっと爪が皮膚に食い込んだ。勢いのまま首を握り潰す。ぶちゃりと音がして、首と胴体が真っ二つになった。人間の山がまたひとつ積み重なった。
ロマンの手から首が転がり落ちる。
落ちた先に視線をやると、もう一度しゃがみこんで髪の合間にあったものをつまみあげた。
「なにそれ? なんかの殻?」
「……卵の殻のようだが……」
こんなところでどうしてそんなものが付着していたのか、首をかしげる。
「……鳥?」
深月は言ってから、ロマンの顔を伺った。
鳴き声といい、卵の殻といい。人間のまま、鳥になってしまったような印象だった。
「え、でもまさか」
ここで殺し合っている者たちは鳥ではない。れっきとした人間だ。
「……まあ、普通に考えればそうだろう」
ロマンは言ってから、横から折れた鉄パイプで殴りかかってきた全裸の女に腕を伸ばした。鉄パイプをあっけなく受け止めて握りしめた。全裸の女は武器を奪われまいと食らいついたが、それよりロマンのほうが上手だった。ロマンが鉄パイプを振ると、女はあっけなく振り回され、壁に叩きつけられた。
一度。二度。三度と壁に叩きつけた時には、壁に赤い染みができた。ずるり、と壁にもたれた女に近づくと、靴裏がおもむろにその柔らかな乳房を足蹴にする。ぶちゃりと音がして、双丘が真ん中から裂けていき、心臓を踏み潰した。びっ、と飛んだ肉片が壁にこびりついた。
「……だが、異形がいるのなら別だ」
いまの凶行が無かったかのようにロマンは続けた。
「どこにいるっていうの」
「お前の頭はたまに鈍いな」
ロマンは女の胸元から足を引っこ抜きながら、視線を上に向けた。
「天使は天上にいると相場が決まってるだろ」




