21話 肉屋
「……アンタら、どこのオアシスから来た?」
銃口の向こうから、鋭い目つきとともにそんな問いがされた。
二人がそのオアシスに近づいたとき、急に「止まれ」という声とともに、銃口が向けられたのだった。つい五年前であれば驚きとともに受け止められただろうが、いまとなってはそれは普通だ。これで止まらないようであれば異形くらいなものだ。ロマンは異形だが。
「『街』に向かってるの。地上から来たから、特定のオアシスは無いわ。」
「……。『太陽の子』の奴らか?」
ロマンが深月をちらりと見ると、不快さを隠しもしなかった。というより、隠せなかったのだ。
「……ええ」
「そうか」
それで何か感じるものがあったのか、男は息を吐いた。
ようやくゆっくりと銃口が上を向いた。それでも二人が動かないのを見て、ようやく「入れ」というように手を動かした。
「ここの事を誰かに聞いてきたのか?」
「そうね、肉屋があるとだけ」
「そうか。……残念だけど、肉を売るのはオアシスの連中だけだと決めてる」
「それでもいいわ」
冥宮第二階層、オアシス名はグリーン展望台。
中心にあるのは、かつて地方都市の国立公園に設置されていた展望台だ。にも関わらず、そのオアシスは別名を『肉屋』と言った。なんでも国立公園は小さな動物園も兼ねていたらしく、何匹か動物が生き残った。その肉を売り、代わりに水や武器を手に入れて生計を立てているのだという。貴重な中立地帯のひとつでもあるらしく、そこでの紛争行為は自主的に取りやめになっているらしい。
もっとも、盗賊や異形に関してはその限りではない。そのときは肉屋の男たちが武器を持ち、貴重な肉を守るために戦うのだという。
二人がオアシスに近づいていくと、銃を構えていたのはまだ若い男だった。二十代くらいに見える。
「他に何か交換してくれそうなものは無いの?」
「オレたちは肉屋だぜ。そうだな、砥石や銃弾なんかがあれば、水と交換してやるよ」
少なくともこの階層では、金というものはとっくに価値が変化していた。紙幣は紙切れ同然だし、硬貨を集めているのはほとんど趣味のようなものだ。
展望台の入り口から中に入ると、そこが店になっていた。左手側のカウンターは、昔チケット売り場になっていたところだろう。当時の名残が残っている。カウンターの向こうでは、ぎろりと別の男が視線を投げかける。ここでの乱闘は御法度ということだ。
「……康孝。そいつらは……」
「大丈夫だよ、父さん。地上からの旅人だってさ。街まで行くんだと」
「……ふぅん。そうかい。なら豚は売れねぇ。悪いな」
父親はまったく悪いと思っていない顔で言った。だが、深月の姿を見るとほんの少しだけ顔を歪めた。少女がこんなところにいることに何か言いたげなようだった。深月が声をあげた。
「ここでは豚を飼ってるの?」
「……ん……? ああ。今んとこは飼えてる」
「見てもいい? 動物なんて久しぶり」
「……あんまり面白いものじゃないがね」
父親はそう言いながら立ち上がった。窓のひとつを示す。
「そこの庭にいる」
「ありがとう!」
気遣いが出たのは深月のおかげだろうが、当の深月は気付いていないようだった。深月は教えられた窓に張り付くと、声をあげた。
「ふああぁっ。ちっちゃいっ……、かわいい……!」
窓の外にいたのは、子豚か小さな種類のようだった。よく洗われているようで、ピンク色の子豚たちはあまり汚れていない。ひくひくと鼻を動かしながら雑草の生えた土の上を歩き回っているのが見える。ふんふんと地面に鼻先をこすりつけると、顔をあげた子豚の鼻先に土がついていた。久しぶりに心癒やされたように、でれっと気が抜けた表情をする深月。
ロマンはそれをちらりと見てから、康孝と呼ばれた男に向き直った。
「銃弾は無い。マチェットならある」
「じゃあ、それでいいよ。アンタの後ろのそれは扱えなさそうだし」
男がじろっとロマンの背中にあるナイフじみた巨大な剣を見て言った。
そのときだ。
ドン、と奥から大きな音がした。
全員の視線が、カフェの奥へと注がれる。なんだろうと思っている間に、もう一度ドン、と同じ音がした。それが何度か続き、深月が振り返ったまま動き出そうとした時だった。
「ちょっとすまないな」
父親が手をあげて全員を制止させると、おもむろに歩き出した。カフェの奥に通じるらしい扉を閉め切ると、音は小さくなった。
「……なにか来たわけじゃ……」
「気にしないでいい。今日、解体しようと思ってたんだ」
康孝はなんてことないような表情で言った。
「豚も自分が切り開かれるのがわかるってやつ……」
「……ああ、食用になるやつが……。大きなのがいるのね?」
「こんな世界じゃもっと酷いものは見ただろうけど、あまり見ないほうがいいな」
ロマンはやや懐疑的な視線を投げかけたが、康孝は首を振るだけだった。扉を閉めた父親はそのまま玄関のほうへと向かい、再びなんでもないような空気が流れる。
「それより、取引の続きをしよう。悪かったな」
「……ん? ……ああ」
どうでもいいことだったと言わんばかりに、ロマンは返事をした。深月はなんだか腑に落ちないものを感じながら、ときおりカフェの向こう側を気にしていた。
父親が外から戻ってくると、手にタオルでくるまれた何かを抱えていた。視線を深月に向けると、やや困ったような顔で言った。
「お前。娘」
「えっ? 私?」
深月が自分を指さすと、父親は小さく頷いた。そのまま近づいてくると、タオルの中を見せる。そこではピンク色の子豚がぷひぷひと鼻を鳴らしていた。
「え、うわ、えっ」
「座れ。抱かれるのはあんまり好きではない」
「うそ。かわいい。なに」
深月はわけがわからないまま語彙を消失させていた。言われるがままに近くにあった奮いソファに座ると、タオルにくるまれた子豚が膝の上に乗せられる。タオルだけ顔から出した子豚は、ひくひくと深月の匂いを嗅いだ。
「この子は……」
「いまのところ食べる予定は無い」
「そう!」
こわごわと小さく鼻の前に手をやると、湿り気のある鼻先が掌へと突っ込んできた。わずかに生えたふわふわとした毛がくすぐったい。
「ひゃあああ」
ロマンは息を吐いて呆れたように目を逸らす。その様子を見た康孝はにやりと笑った。
「ま、……たまにはいいだろ。こんな世界でも」
康孝はそう言ったが、あまりに気の抜けるような空気に、ロマンは耐えられなかった。眉間に皺を寄せて、早々に立ち去ることを決意したのだった。
康孝がゆっくりと水を用意してくると、危険は無いことを示すようにロマンが用意したカップで一杯飲み干した。安全であることを確認してから、ロマンは水を受け取った。
深月はといえば、その間も名残惜しそうに子豚の背中を撫でていた。またね、と小さく喉の下を掻いてやり、もう一度背中を撫でる。
「昔は妹が居てね……動物が好きな奴だった。反抗期だったけど」
「ふん」
呟くような康孝の一言に、なんとなく父親の行動に納得がいった。深月から子豚を返された父親は、小さく頷いてからその姿を見つめていた。
二人は早々にオアシスを出発すると、そのまま立ち去っていった。短いが有意義な時間だった。少なくとも深月にとっては。小さな命の温かさがまだ手に残っている。ふわふわの毛の感触も、小さな足や湿った鼻先も。
「ロマンも触れば良かったのに」
「遠慮する」
ロマンは呆れた口調で言ってから、ほんの少しだけ、鋭い目でオアシスを見た。あの向こう側で何が行われているにしろ、自分たちに危険が及ばなければそれでよかった。
*
二人が去ってしばらくした後。
康孝は大型の肉切り包丁を手に、カフェの奥のスペースへと向かっていた。ちらりと父親がその姿を見たが、何も言うことは無かった。
扉を開けると、まだドン、という音がしていた。眉を顰める。何度叩いても同じだというのに。康孝は更に奥にある扉へと歩み、静かにドアノブを回した。
古錆びた音がして、扉が開かれる。
向こうは暗闇になっていて、康孝が扉を開けることでようやく光が入った。血と汗が混じり合ったにおいが鼻をつく。
「んむぐうぅっ!」
奥から声が響いた。がちゃがちゃと手錠の音がする。ドン、と音を立てて、自分の存在を示す。
「んぐうっ! あぐっ!」
布で縛られた口元からなんとか声を出そうとするたびに、糸で乱雑に縫い合わされた豚鼻が動いた。片方の耳を削ぎ落とされ、同じように片目も糸で縫い合わされた、でっぷりと太った全裸の男だった。性器まで隠せるほどの腹を揺らし、手錠から逃れようと両腕を引っ張っている。何度も打ち付けた膝からは真新しい血が流れ出し、床に付着していた。
「あぐぅっ、だずっ、だずげっ」
必死になって声をあげ、助けを求める。
だが目の前に立っている人影がまったく動かず、それが康孝だと気が付くと、青ざめて硬直した。
「何度も……何度も……しつこいな」
康孝はゆっくりと男に近寄った。
「二人はもう行っちゃったよ……残念だったな」
「んむむぅっ、うぐぅっ」
太った男はぶんぶんと首を横に振った。
康孝は手に持った肉切り包丁を男の前に出すと、腹の前で落とした。肉のすれすれを落ちていった包丁は、鈍い音を立てて床に突き刺さる。
「んんんーーっ! んんーっ!」
「……あの二人だけには助けさせるわけないじゃないか。オレの妹を犯したやつを。……ひとりは同じくらいの女の子だったんだぜ?」
床から肉切り包丁を抜くと、今度はぴたりと首筋につけてやる。
「自分で死ななくてもいつか死ぬような世界で、どうして妹は首を括らなきゃいけなかったのか……」
康孝の表情からは何も見えない。
「それとも、アンタにはもう一度教えてやらなきゃダメかな……。もう一度……。もう一度ゆっくり、何度でも叩き込んでやらないといけないかな。アンタは食用の豚以下の存在だって」
いまにも張り裂けそうな脂肪で覆われた腹に、肉切り包丁の先を向ける。つぷ、と割れそうな腹に切り込みを入れると、赤い線が浮き上がった。ぷつり、と切れた肉の隙間から赤い血が流れ出し、横腹をつうっと落ちていく。
「んぐううっ!」
「可愛い、だってさ。あの子は子豚を見てそう言ったよ。あの感性は惜しい。いまどき貴重だ。アンタに会わせるわけ、ないじゃん」
康孝はそのまま、飛び出た腹へと肉切り包丁を押しつけた。
音を立てて血が飛び散り、康孝ごと部屋が赤く染まっていった。
「お……っ、おごっ……、おごぉぉおっ!」
「放血しないと肉が悪くなるんだけど……。アンタのせいだからな」
無造作に脂肪を掴むと、力を込める。みちみちと腹の肉を断ち切っていく。男は残った片目を剥き、痛みで叫びをあげ、痙攣しながら体液を垂れ流した。
「大丈夫。これくらい父さんが治してくれる。オレにも顕現すればいいのにな……ヒーラーの力が」
天井からフックで吊されたいくつもの腕や足や肉塊が、それまでの解体作業と再生治療を物語っていた。
ざぐん、と肉を裂ききると、康孝は今度はゆっくりと肉切り包丁を天に掲げた。
「おおおおっ! おおおおおっ!」
叫び声は、荒野に虚しくかき消されるだけだった。
今日も肉屋は平常通り、第二階層の地区のひとつで肉を売っている。




