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東京冥宮 ―生贄少女と白髪鬼の現代迷宮紀行―  作者: 冬野ゆな
2章 第一階層:文明ノ廃墟

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17話 人間と異形との境界の滲み

「……全員、撃てっ!」


 ジェシカが引きつったように号令をかけた。

 後ろで銃を構えていた者たちが、慌てて引き金をひく。


「ちょっ……」


 ロマンたちの脱出を待たずの一斉掃射だったが、すぐさまロマンは深月を抱えたまま跳んだ。深月が振り向くと、建物の向こう側で、ダニーは突っ立ったまま銃弾を受けていた。受けるたびに体がびくびくと震える。店の中の生活用品までもが流れ弾を受けて吹っ飛び、かつての面影は死んでいく。だがダニーはそれでも膝をつくことがなかった。

 反対に、ジェシカたちの表情が次第に青くなっていった。銃弾が先に尽き、一斉掃射がやんだとき、もうもうと舞う土埃で向こうが見えなくなった。

 無言の間があった。


 誰もが建物の向こう側を見ていた。


「死んだ……?」

「いやだな、ジェシカ」


 ガチャリ、と硝子を踏む音が響く。


「……生きてる……!?」

「ほら、どこまでなら治せるかの実験だろ。だいじょうぶ、治せるからね」

「う……」


 穴だらけになったダニーが、硝子を踏みながら向かってくる。流れた血はそのままに、次第に穴が塞がり、銃弾が中から押し出され、ボコボコになっていた表皮が元に戻っていく。


「わかってるよ。ここから治せっていうんだろう? だいじょうぶさ、僕はヒーラーだからね」


 何事もなかったかのように近づいてくるダニー。ジェシカはじり、と後ろへ下がった。後ろの男たちも引きつった表情で下がっていく。


「……くそ……化け物めっ!」


 男の一人が虚しく叫んだ。

 ひどい茶番だ、とロマンがあきれかえって言うまでもなかった。

 震えた男が、ハンドガンを至近距離のダニーの頭に向けた。だが、それよりもダニーの手が男の頭を掴むほうが速かった。あ、と声をあげるまでもなく、バキンと音がして、男の顔が苦悶に歪む。


「おぎゅっ」


 悲鳴とともに、男の顔面が潰された。だらりと開いた口。力の抜けた体からは、体液がこぼれ落ちた。


「あっ、あっ、せっかくの頭がっ」


 ダニーは泣きそうになりながら、潰した手に残った脳の欠片に口をつけた。そのまますすりあげる。まるでゼリーか何かでも久々に食べているかのようだった。いかにも美味そうに顔を綻ばせ、一心に口にする。


「ひっ、ひいいっ!」


 男たちの一人が銃を取り落とし、声をあげて逃げ出した。


「おいっ!」


 他の一人が声をかけて止めようとしたが、無駄だった。こんな世界で、たった一人で逃げ出してどれほど生きていられるかなんてわかりやしない。そもそも精神的な限界が来る前に食われれば僥倖である。


「くそ……くそっ、ジェシカっ、命令を……」

「待ってられるかっ!」


 もう一人がナイフを手に振りかざしたが、その前にダニーのほうが速く動いた。ナイフが振り下ろされる前に、勢いよく手が首を掴み、男は舌を出して呻いた。ダニーはもう我慢ができないというように飛びつき、瞼を無理矢理に開けて中の眼球をなめ回し、歯を立てた。悲鳴が響き渡った。

 あっという間に地獄絵図が生まれた。

 ジェシカは茫然とその様子を眺め、他の男たちはうろたえながら銃を構えた。だが今撃つと、もんどりうつ仲間に当たってしまうかもしれなかった。それどころか、ダニーの肩から細胞の触手が伸びたかと思えば、もうひとつ腕が生えてきたのだ。うおっ、という小さな悲鳴が伸びる前に、三本目の腕がまだ生きている男をとらえた。


 ロマンは深月をかばいながら少し後ろへ下がる。


「これはもはやヒーラーというよりは再生者だな」

「こ、この行為が……?」

「脳食いはただの趣味だろ。ただでは殺せんという意味だ」

「殺せるの?」

「当然だ。俺ならな」


 ダニーは笑いながら、首と胴体を引き剥がしては中の脳髄を啜った。もはや元兵士たちのうち半分ほどはどこかに散っていった。逃げたうちの何人が元の場所にきちんと戻れるかは不明だ。そして残りの半分ほどがダニーに頭の中身を吸われていた。形だけなら人間のダニーの周囲だけが、真っ赤に染まっていく。


「……趣味? 趣味だと……」


 ジェシカが震える。

 

「こんな……ものはっ……、もはや人では……ないっ……!」

「だろうなあ」


 ロマンは趣味を楽しむダニーを見ながら、興味なさそうに言った。実際に興味はなかった。人間たちのゴタゴタなど、いまに始まったことではない。


「……お願い、ロマン」


 とはいえ、震える手で深月に言われたのなら、やらないわけにはいかなかった。だがその前に、ダニーがちらりと三人を見た。


「ねえ、きみたち。きみたちだってもう、わかってるんだろう」


 ダニーの手は相変わらず、引き千切った頭の中身をほじくっていた。その手がぴたりと止まると、片手が自分の――あいかわらず中身を晒した脳へと――近づいていく。


「こんなところで、こんな世界でまだ人間の形を保っていられるなんて、それこそ――」


 その柔らかそうな脳を指先が押す。


「正気じゃあ、ないんだ」


 深月は引きつった表情でダニーの瞳を見返した。

 細い指先が、クリクリと自分の脳味噌の皺をなぞる。


「きみたちはいつまでその形を保っていられるんだろう。それとも」


 指先が、グリッと皺の間から中へ突っ込んだ。体液が指先を伝い、手の甲に向かって線を描いていく。


「あ……ああっ」


 恍惚。

 男の全身が震え、熱い息を吐いた。深月が怯えた顔で硬直して後ろへ下がり、ロマンですら呆れ気味に目を細めたにも関わらず、興奮で昂ぶり指先をグリグリと動かした。体をのけぞらせ、快感に表情を歪ませて熱い吐息を吐き続けた。

 深月が完全に引いた顔で、ロマンの後ろへと隠れる。


 ロマンは、近くで茫然とするジェシカに声をかけた。


「長めのナイフ、あるだろ」

「……マチェットなら」

「二本貸せ」


 ジェシカはもはやぺたりと座り込んだまま、その命令に従った。

 ロマンがマチェットを受け取り両手にぶらさげたとき、ぐりんとこちらを見たダニーと目が合った。


「はあっ、あっ……ロマン、きみも『幻想者』ならわかるはずだ!」


 ダニーの顔がずいっと近寄る。

 本来、幻想者は異能力を発現した人間のみをさす。だがダニーは確かにロマンのことを幻想者と呼んだ。戯言と言えばそれまでだが。


「きみはどこなんだ? どこで理性を落っことしてきたんだ? きみは……」


 ロマンが見返すと、ダニーの表情が固まった。珍しいものでも見たようにまじまじと見つめ返す。


「……へえ」


 首を傾ぐように、面白がるように、ダニーは深く頷いた。


「きみの脳は是非とも食べてみたいね……」

「お断りだ」

「きみたち、第二階層を目指すんだろう……。そこまでたどり着けるといいね。ははは。ははははっ」

「死ね」


 マチェットナイフを手にしたロマンの腕が、一直線にダニーの首を飛ばした。その首から皮膚が触手のように伸び、くっつくかくっつかないかというところで、首からまたぐらまでを引き裂いた。ばきりと左右に分かれる体。その両側から触手が伸びたところで、腕を切り落とし、足を股から切り落とし、内蔵を次々に引きずりだし、心臓を握りつぶし、臓器を地面に擦り付け、途中で戻ってきた顔面にもう一つのマチェットを突き刺して地面に突き刺して動きを止めたのち、元に戻ろうとする体を何度も引き裂き、潰し、ただの肉塊へと変えていった。


 ダニーの体はなおも元に戻ろうとしていた。だが執拗にバラバラにされた体はあらぬところ同士で繋がり、やがて細胞までもががない交ぜになった。体も足も手も、小さなものから肉の塊のなかへ吸い込まれていった。もはや再生しても人間の形は無く、ある一定のところから動かなくなった。


「あはは。はははは。ははははは……」


 人間とはほど遠い、ただの肉塊になったダニーはいつまでも笑っていた。だが口だったところへマチェットを突き刺して歯ごとバラバラにしてやると、いつしか笑うことさえできなくなった。

 ダニーだったものは、もごもごと動くただの肉の塊へと成り果てた。

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