16話 化けの皮の剥がれた居室
ダニーは使い古された言葉で言うなら親切だった。
人好きのしそうな笑顔と、饒舌さで深月を喜ばせた。言葉が通じたなら――と以前であれば付加されただろうが、この冥宮ではどんな言葉を喋っていようが、耳から聞こえる言葉なら通じてくれる。
深月はすっかりダニーに警戒心を失ったようだった。
というのも、深月が本が好きであったことを伝えると、ダニーもまたそれに同意して様々な話をした。自分も本が好きで、部屋の中には多くの書物に溢れていたこと。だがこの騒動で同じだけの書物を無くしたことなどを語っていた。ダニーの生活水準はもともとかなり高かったようで、軍隊や軍人とは無縁だったようだ。しかしヒーラーの力を顕現させると、軍の要請で冥宮部隊に入った。上司の信頼を得、上のほうへと駆け上るのも早かったらしい。
その冷静で知的な印象からは、かつての人類の姿を見こそすれ、異形の姿を重ねることはできなかったのだ。
ロマンはといえば、何も言わずにその様子を観察するしかなかった。
「でもどうして、仲間さんたちは貴方のことを異形化したなんて言ったのかしら。それに、まるであなたが仲間を殺しに来たような口ぶりだったけれど」
「……実は、一度だけキャンプまで行ったことがある。けれどほとんど門前払いだったよ。きみも知ってのとおりだろう?」
「……自分が殺されるかもしれないと知っていたのに?」
「誤解は解いておきたかったのさ。僕は異形ではないってね」
「ふうん?」
深月はそれで納得したようだった。
「その割には外へ出たり誰かと出会ったり――迂闊だな? そういえば先程の死体はあの餓鬼――ゴブリンにやられたのか」
「ああ、そうさ。申し訳ないとは思うけどね、僕はただのヒーラーだから」
「頭から食いちぎるとは、卑怯だよな」
「まったくもってその通りだよ……。でもやられるときはやられる。これもこの冥宮ではしかたのないことかもしれないね」
「……だが、背中の傷くらい治せなかったのか?」
「――……」
ダニーは一瞬停止したようだった。だが何も揺らぐことはなかった。
「そうだった。あまりの恐ろしさに忘れていたよ。心臓を一撃だったからね」
「そうか」
ロマンはそれで納得したようにうなずいた。
だがいまの一言で確信した。こいつは嘘をついている。ヒーラーであることは事実かもしれないが、おそらくそれ以上の何かを隠しているのだろう。
さてどうするか――とロマンは目を細めた。
このまま殺してやるのもいいだろう。関係のないことだ。適当に去るのもいいだろう。深月をひっつかんで外にでればいいだけだ。こいつが本当は『何』であろうと、殺してしまえば変わらないのだから。
――どうしよう、などと、人間めかしたことを思う頭なんて無いだろ。
そう自分に言い聞かせる。
とはいえダニーは相変わらず深月の扱いがうまく見えた。ため息をついて、付き合ってられないとばかりにそろりと部屋を出る。
それから、ダニー曰くつぶれかけらしい二階を見た。つぶれかけているわりには階段は使えそうだった。そこは最後のお楽しみにしておいて、外へ出た。少しくらいなら大丈夫だろう。
視線を巡らす。
周囲に人影はなかったが、人の気配があるのはすぐにわかった。
「探しているダニーは、中にいるぞ」
ロマンはあっけなく白状してやった。
気配たちはそろそろと周囲を気にしながら物陰から出てきた。想像通り、ジェシカたちの隊だった。兵士たちの顔が強ばって、ロマンに銃を向けている。
「お前たちが殺したいのはダニーだろう。それとも……先に逝くか?」
ロマンが笑ってやると、兵士たちはギクリとしたように動きを止めた。
きっと以前はそんなこともなかったのだろう。それが白人でさえなければ、誰を殺そうが彼らの精神には影響しなかったのだ。ところがいまはどうだ。
ジェシカが一歩前に出た。
「生きてるのか?」
「ああ、生きてる」
「……アンタ、連れの女の子は? どうした!?」
「そこを心配してる暇があるのか?」
鼻で笑ってやる。
「少なくとも――俺のような奴がいるのだから、ダニーのような奴がいたっておかしくない。そうだろ? ダニーがいつから『そう』なったのかは知らんが」
「ああ……そうだ。そのとおりだが……。ま、まさかアンタの見たダニーってのは……」
「少なくとも人間の体を保ってた。それが奴の狩りの方法なんだろう」
ジェシカは表情を苦痛に歪ませた。
ロマンはといえば、黒刃を引き抜いて店の前に立った。
「奴は、ヒトを……食ったんだ。飢餓に駆られてじゃない。あいつは――料理みたいに、ヒトの脳みそを……、蜂蜜の塊でも食うみたいにして……」
「餓鬼の腹を掻っ捌いて食うのとどう違うんだ」
「魔物と人は違う! 人に手をかけるなんてこと――それだけは。それだけはダメなんだ。そんなものは人じゃない。アタシたちは認めないぞ――、そんなのは化け物か、人でなしのすることだ」
「だがダニーは違ったと」
「ずっと……続けてたんだ。人間の形をした……異形として……アタシたちの側にいながら……ずっと……ずっと!」
「はん。ずいぶんとめでたい頭をしていたようだ」
ロマンは皮肉のように言ってやった。
「なんとでも言え。あいつだけは、殺さないといけない……!」
「好きにしろ。小娘だけは回収させてもらうがな」
構えた黒刃を一気に振り下ろすと、風圧が硝子を粉々に吹き飛ばした。風圧をかろうじて受け止めた壁もみしみしと音を立てる。
お洒落に作られた窓から侵入すると、茫然とした顔の深月がソファの影から覗いていた。
「ちょっと! ロマン!? いったい何を!?」
割れた硝子の上をなんの感慨もなく歩くと、深月の近くまでやってくる。
「行くぞ、小娘。そいつは異形だ」
「はあ!?」
そんな馬鹿な、と言いたげな深月にさすがに舌打ちしそうになる。神を殺すなどと大層な復讐を企んだくせに、稀にこの娘がただの子供のように見えるときがある。そうすると、ロマンは複雑な気分になるのだ。
いっそ殺してしまえれば楽なのだろう。そういうわけにはいかないのが従者としてのつらいところだ。さっさと首の拘束もといてしまいたい。
「やだな……ロマン」
ダニーは陰鬱な表情で笑った。
「僕は人間だよ」
「なぜそう言い切れる?」
「だって僕という連続的な意識があるんだからね。僕は人間だけど、他の奴らが認めないだけさ」
「ずいぶんと言っていることがメチャクチャだな。こいつらが誤解している設定はどうした」
「誤解さ、ロマン。僕ときみたちの仲だろう?」
「そんな仲は存在しない」
ロマンはきっぱりと言い切ると、ジェシカを見た。
「あいつは前からああだったのか?」
「……いいや。異形になってから……」
「僕は人間だし……ヒーラーだよ」
ロマンが深月を抱えて飛び退く。
ダニーは手に取ったナイフをおもむろに自分の頭へと向けると、こめかみにナイフを突き立てた。ビキリという音とともに、
「ひっ」
「まだダメだったかい。ほら。こんなことをしても――」
ナイフをぐりぐりと動かし、腕が顔の前を横切る。ナイフは額をまっすぐに、所々つっかえながら半分にした。額からだらだらと血が溢れ出る。ぶしゃりと噴き出した血が、笑うダニーの顔を赤く染め上げた。ナイフを突き立てたまま腕を変えると、音を立ててそのまま後頭部をも切り裂いた。ナイフが元のところに戻ってくるのと同時に、からんと音を立てて地面に落ちる。ジェシカも、隊員たちも、深月でさえ慄いていた。
ダニーはおもむろに両手を頭にやると、かぱりと髪の毛どころか頭皮ごと――否、頭蓋骨ごと頭を外した。脳が露出し、柔らかなそれがあらわになる。後ろのほうからうめき声が聞こえ、誰かが何度かえづいた。こんな場所にずっといるというのに、我慢はできなかったようだ。
地面に転がった頭の蓋が、べちゃりと音を立てた。血まみれの髪の毛は絡まり合って、不気味に広がる。蓋の中には一緒に刈り取られた真っ白な骨が見えていた。いくらナイフだからといって、これほどのことはできまい。
「ほら。僕はここからでも治せるんだ」
「それは治すってものじゃないだろ」
ロマンはそう言ったが、ダニーは可哀想なものを見るような目で微笑んだだけだった。




