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東京冥宮 ―生贄少女と白髪鬼の現代迷宮紀行―  作者: 冬野ゆな
2章 第一階層:文明ノ廃墟

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16話 化けの皮の剥がれた居室

 ダニーは使い古された言葉で言うなら親切だった。

 人好きのしそうな笑顔と、饒舌さで深月を喜ばせた。言葉が通じたなら――と以前であれば付加されただろうが、この冥宮ではどんな言葉を喋っていようが、耳から聞こえる言葉なら通じてくれる。

 深月はすっかりダニーに警戒心を失ったようだった。

 というのも、深月が本が好きであったことを伝えると、ダニーもまたそれに同意して様々な話をした。自分も本が好きで、部屋の中には多くの書物に溢れていたこと。だがこの騒動で同じだけの書物を無くしたことなどを語っていた。ダニーの生活水準はもともとかなり高かったようで、軍隊や軍人とは無縁だったようだ。しかしヒーラーの力を顕現させると、軍の要請で冥宮部隊に入った。上司の信頼を得、上のほうへと駆け上るのも早かったらしい。

 その冷静で知的な印象からは、かつての人類の姿を見こそすれ、異形の姿を重ねることはできなかったのだ。


 ロマンはといえば、何も言わずにその様子を観察するしかなかった。


「でもどうして、仲間さんたちは貴方のことを異形化したなんて言ったのかしら。それに、まるであなたが仲間を殺しに来たような口ぶりだったけれど」

「……実は、一度だけキャンプまで行ったことがある。けれどほとんど門前払いだったよ。きみも知ってのとおりだろう?」

「……自分が殺されるかもしれないと知っていたのに?」

「誤解は解いておきたかったのさ。僕は異形ではないってね」

「ふうん?」


 深月はそれで納得したようだった。


「その割には外へ出たり誰かと出会ったり――迂闊だな? そういえば先程の死体はあの餓鬼――ゴブリンにやられたのか」

「ああ、そうさ。申し訳ないとは思うけどね、僕はただのヒーラーだから」

「頭から食いちぎるとは、卑怯だよな」

「まったくもってその通りだよ……。でもやられるときはやられる。これもこの冥宮ではしかたのないことかもしれないね」

「……だが、背中の傷くらい治せなかったのか?」

「――……」


 ダニーは一瞬停止したようだった。だが何も揺らぐことはなかった。


「そうだった。あまりの恐ろしさに忘れていたよ。心臓を一撃だったからね」

「そうか」


 ロマンはそれで納得したようにうなずいた。

 だがいまの一言で確信した。こいつは嘘をついている。ヒーラーであることは事実かもしれないが、おそらくそれ以上の何かを隠しているのだろう。

 さてどうするか――とロマンは目を細めた。


 このまま殺してやるのもいいだろう。関係のないことだ。適当に去るのもいいだろう。深月をひっつかんで外にでればいいだけだ。こいつが本当は『何』であろうと、殺してしまえば変わらないのだから。


 ――どうしよう、などと、人間めかしたことを思う頭なんて無いだろ。


 そう自分に言い聞かせる。

 とはいえダニーは相変わらず深月の扱いがうまく見えた。ため息をついて、付き合ってられないとばかりにそろりと部屋を出る。

 それから、ダニー曰くつぶれかけらしい二階を見た。つぶれかけているわりには階段は使えそうだった。そこは最後のお楽しみにしておいて、外へ出た。少しくらいなら大丈夫だろう。

 視線を巡らす。

 周囲に人影はなかったが、人の気配があるのはすぐにわかった。


「探しているダニーは、中にいるぞ」


 ロマンはあっけなく白状してやった。

 気配たちはそろそろと周囲を気にしながら物陰から出てきた。想像通り、ジェシカたちの隊だった。兵士たちの顔が強ばって、ロマンに銃を向けている。


「お前たちが殺したいのはダニーだろう。それとも……先に逝くか?」


 ロマンが笑ってやると、兵士たちはギクリとしたように動きを止めた。

 きっと以前はそんなこともなかったのだろう。それが白人でさえなければ、誰を殺そうが彼らの精神には影響しなかったのだ。ところがいまはどうだ。

 ジェシカが一歩前に出た。


「生きてるのか?」

「ああ、生きてる」

「……アンタ、連れの女の子は? どうした!?」

「そこを心配してる暇があるのか?」


 鼻で笑ってやる。


「少なくとも――俺のような奴がいるのだから、ダニーのような奴がいたっておかしくない。そうだろ? ダニーがいつから『そう』なったのかは知らんが」

「ああ……そうだ。そのとおりだが……。ま、まさかアンタの見たダニーってのは……」

「少なくとも人間の体を保ってた。それが奴の狩りの方法なんだろう」


 ジェシカは表情を苦痛に歪ませた。

 ロマンはといえば、黒刃を引き抜いて店の前に立った。


「奴は、ヒトを……食ったんだ。飢餓に駆られてじゃない。あいつは――料理みたいに、ヒトの脳みそを……、蜂蜜の塊でも食うみたいにして……」

「餓鬼の腹を掻っ捌いて食うのとどう違うんだ」

「魔物と人は違う! 人に手をかけるなんてこと――それだけは。それだけはダメなんだ。そんなものは人じゃない。アタシたちは認めないぞ――、そんなのは化け物か、人でなしのすることだ」

「だがダニーは違ったと」

「ずっと……続けてたんだ。人間の形をした……異形として……アタシたちの側にいながら……ずっと……ずっと!」

「はん。ずいぶんとめでたい頭をしていたようだ」


 ロマンは皮肉のように言ってやった。


「なんとでも言え。あいつだけは、殺さないといけない……!」

「好きにしろ。小娘だけは回収させてもらうがな」


 構えた黒刃を一気に振り下ろすと、風圧が硝子を粉々に吹き飛ばした。風圧をかろうじて受け止めた壁もみしみしと音を立てる。

 お洒落に作られた窓から侵入すると、茫然とした顔の深月がソファの影から覗いていた。


「ちょっと! ロマン!? いったい何を!?」


 割れた硝子の上をなんの感慨もなく歩くと、深月の近くまでやってくる。


「行くぞ、小娘。そいつは異形だ」

「はあ!?」


 そんな馬鹿な、と言いたげな深月にさすがに舌打ちしそうになる。神を殺すなどと大層な復讐を企んだくせに、稀にこの娘がただの子供のように見えるときがある。そうすると、ロマンは複雑な気分になるのだ。

 いっそ殺してしまえれば楽なのだろう。そういうわけにはいかないのが従者としてのつらいところだ。さっさと首の拘束もといてしまいたい。


「やだな……ロマン」


 ダニーは陰鬱な表情で笑った。


「僕は人間だよ」

「なぜそう言い切れる?」

「だって僕という連続的な意識があるんだからね。僕は人間だけど、他の奴らが認めないだけさ」

「ずいぶんと言っていることがメチャクチャだな。こいつらが誤解している設定はどうした」

「誤解さ、ロマン。僕ときみたちの仲だろう?」

「そんな仲は存在しない」


 ロマンはきっぱりと言い切ると、ジェシカを見た。


「あいつは前からああだったのか?」

「……いいや。異形になってから……」

「僕は人間だし……ヒーラーだよ」


 ロマンが深月を抱えて飛び退く。

 ダニーは手に取ったナイフをおもむろに自分の頭へと向けると、こめかみにナイフを突き立てた。ビキリという音とともに、


「ひっ」

「まだダメだったかい。ほら。こんなことをしても――」


 ナイフをぐりぐりと動かし、腕が顔の前を横切る。ナイフは額をまっすぐに、所々つっかえながら半分にした。額からだらだらと血が溢れ出る。ぶしゃりと噴き出した血が、笑うダニーの顔を赤く染め上げた。ナイフを突き立てたまま腕を変えると、音を立ててそのまま後頭部をも切り裂いた。ナイフが元のところに戻ってくるのと同時に、からんと音を立てて地面に落ちる。ジェシカも、隊員たちも、深月でさえ慄いていた。

 ダニーはおもむろに両手を頭にやると、かぱりと髪の毛どころか頭皮ごと――否、頭蓋骨ごと頭を外した。脳が露出し、柔らかなそれがあらわになる。後ろのほうからうめき声が聞こえ、誰かが何度かえづいた。こんな場所にずっといるというのに、我慢はできなかったようだ。

 地面に転がった頭の蓋が、べちゃりと音を立てた。血まみれの髪の毛は絡まり合って、不気味に広がる。蓋の中には一緒に刈り取られた真っ白な骨が見えていた。いくらナイフだからといって、これほどのことはできまい。


「ほら。僕はここからでも治せるんだ」

「それは治すってものじゃないだろ」


 ロマンはそう言ったが、ダニーは可哀想なものを見るような目で微笑んだだけだった。

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