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東京冥宮 ―生贄少女と白髪鬼の現代迷宮紀行―  作者: 冬野ゆな
2章 第一階層:文明ノ廃墟

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13話 愚者への洗礼を授けし蜈蚣

「でっ……かぁっ!?」

「喚くな」


 女らしき異形の胴体は黒く硬質な節がいくつも重なった平べったい形状で、一言で言えばムカデ状だ。本来ムカデの足があるはずのところには、人間の腕が生えている。五メートルはあるだろうその胴体がくねり、うねり、音を立てて下のものを押しつぶしている。

 頭部があるはずの場所には人間の胸部から上がくっついていて、あばら骨に向かって蟲の節が身体の内部と接合されている。その上には雌の証明、膨らんだ乳房が二つ。口元は大きく横に裂け、二対の小あごと一対の大あごの他に、強大な顎肢がそれぞれカチカチと打ち鳴らされていた。額には女の髪を割って触覚が伸び、ゆらゆらと揺らめいていた。その合間で、途中で切断された舌がゆらゆらと引っ込んでいった。


「ちょおおおっとなにあれ!? まさかあれがダニーとか言わないでしょうね!!」

「メスに見えるが」

「た、確かに男の人かなって思ったけど……ダニーって女性名でもいなかったっけ!?」


 深月の声に、面倒だと言わんばかりの舌打ちが返る。


「どちらでも同じことだ」


 黄色く濁った四白眼がロマンを睨めつける。がちがちと蟲の顎が開いては閉じを繰り返す。


「それに、俺と間違えるには巨大すぎるだろ」

「じゃあ、こいつは……」

「単純にここを根城にしている異形だろうな」


 黒刃を構え、ロマンは女を見返した。


「外も中も変わらんと思っていたが――」


 腰を落とすと、そのまま上空へと跳んだ。直後に女の口元がロマンのいたところへと激突する。瓦礫が散乱し、地面が揺れる。深月は急いで壁の向こうへと逃げ、身を隠した。


「久々に殺しがいがありそうだ」


 ロマンの口の端が上がった。上空から黒刃を地面へと向け、そのまま落ちる。女がぐるりとこちらを見て、胴体をくねらせながら移動をはじめた。だがその腹の下では、無数の腕がわらわらと地面を掴みながら動いている。上から見ると動きは蛇のようにも見えるが、やはりムカデなのだ。

 黒刃が鎧のような胴体に当たると、金属質な音がした。刃を滑らせながら背中を滑り落ちる。尾の付近を足で踏みつけようとしたが、そのままぬるりと這い出てしまった。女は壁のほうへと逃げ、腕のような足を使って人間の上半身部分をもたげた。

 ロマンも瓦礫の上に足をかけると、人間よりも早い俊足で、瓦礫の上を飛び移っていく。女へと距離を詰め、最後に大きく跳び上がった。伸ばした腕の先の黒刃が、女を壁に突き刺す軌道を取る。

 だが女のほうが一手早かった。ぬるりと動くと、黒刃の軌道を避けていく。ロマンは勢いのまま身体を捻って壁に足をつけ、またすぐに跳んだ。まだ空中にいるその姿を女が捉えた。上半身をぐいっと伸ばし、無数の手を広げながらあぎとを開いて急接近してくる。素早く黒刃を自身の目の前へと引き寄せる。黒刃とかち合ったあぎとからは硬質な音がした。


 ――固い。


 やはりその辺の餓鬼とはひと味違う。地面に降りながら、黒刃で女の頭を向こうへ押しやり、小あごのひとつにむりやりねじりこんだ。粘液が黒刃を伝ってぼたぼたと垂れる。構わず力をこめると、ガキリと音がした。ねじこんだ黒刃が小あごをねじ切る。

 虚ろな穴の中から、どす黒い何かがふつふつと沸き起こってくるのを感じた。これは欲望だ。どこか覚えのあるものだ。口の端が上がっていく。鋭い鬼の犬歯が顔を見せた。ロマンの赤黒い瞳がより先鋭化したように小さく縮んだ。


「ロマンっ!」


 だが、その声ですぐ我に返った。

 一瞬自分がどこにいたのかを見失う。女の顔が近くにあり、どこかから瓦礫が飛んできたのは理解した。そして、自分を捕まえようとしていた腕があるのも。女の目がロマンから離れ、ぎろりとその後ろを見た。


「こっちよバーカっ!」


 腕に気付いてないと思ったのだろう。それは事実だが、大した問題ではない。


 ――あのバカ……。


 バカはどっちだ、と舌打ちをする。

 ロマンは女の小あごを分離させつつ、その口の端を切り裂いて外へ出す。怯んだ女が悲鳴をあげた。赤黒い体液が飛び散る。素早く黒刃を滑らせると、ムカデの身体についた腕を数本断ち切った。このあたりは人間のそれと変わらないようだ。

 名残惜しささえ残さずに、欲望は知らぬうちにどこかへ去った。ロマンの瞳の大きさが元に戻ったが、それは誰にもわからなかった。

 それより、深月だ。

 女は深月のことを改めて認識したようで、ロマンから視線を外している。


「う……」


 自分の姿を捉えられると、深月は一瞬呻いた。

 近くにあった瓦礫を手にする。そんなものでなんとかできるわけではない。深月は覚悟を決めたように足を開くと、瓦礫を掲げた。盾のつもりだろうか。

 女の片目の小さな瞳がキュッと縮まった。女の巨体が一気に深月目がけて突進していく。

 ロマンはすぐさま地面を蹴り、壁を走って蹴った。そのまま天井へと跳ぶ。

 深月を捉えた女は、だらだらと粘液と赤黒い体液を零しながらあぎとを開いた。深月の身体能力では避けきれない。瓦礫を持つ手が汗で滲む。意を決して、両手で振りかぶった瓦礫を投げた。瓦礫は勢いよく女の顔へと飛んでいったが、わずかに女の頭に当たっただけだった。


「ろ、ロマーンっ!! 早くなんとかしてーーっ!?」


 ほぼ泣き声だった。

 直後、天井から落ちた黒刃が女の脳天に突き刺さった。女の顔の中心に罅が入る。黒刃をめりめりと分け入らせると、骨にぶち当たって一度止まった。それをむりやりに引きずり落とす。柔らかな頭の中を真っ二つにしながら、女の顔が左右へと裂けていく。やがて首から上が落ちても、黒刃はその先を裂いた。女の象徴を左右に分け、人間部分との接合部にたどり着いたところで勢いよく刃を引く。

 残ったムカデの筋肉がまだ動いているようで、唐突にばたばたと暴れ出す。脳を失った身体がどこまで動くかはともかく、これでは避けようがない。すぐさま女の背から降りると、深月の身体を抱えた。地面を蹴り、瓦礫の上を跳躍し、壁を蹴って、暴れるムカデの身体の隙間を縫って跳ぶ。


「ああああー!?」


 深月から悲鳴があがるが、知ったことではなかった。いい気味だ。

 地面に着地して走り出すと、ムカデ女から離れた。後は死ぬままに任せるだけだろうが、これ以上は面倒だ。

 しばらく走ったあとにようやく立ち止まる。抱えた深月を見ると、完全にグロッキーになっていた。ムカデとの対面よりも、ロマンに抱えられて疾走したほうがいろいろとこみあげてきたらしい。


「う……うおお……もうちょっと……ゆっくり……」

「……おまえ……」


 じとりとした眼で深月を見下ろす。

 助けを求めたくせになんてザマだ、と言いかける。


「ろ、ロマン……」

「なんだ」

「あ、ありがとね……」


 安堵したように笑ってそう言う深月は、とっくにいなくなった『普通の人間』のように見えた。

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