11話 決意を見極めた小道
「アタシたちは、お嬢ちゃんからすれば……簡単に言えば米軍、アメリカの兵士ってところだ。今となっては『元』がついちまうけど」
「そのわりには日本語が上手ね。日本にいた人?」
「いいや。おそらくこの冥宮の力だと思う」
深月が瞬きをする。
「聞いたことないか? この冥宮ではお互いの言葉が通じるんだ。だからアタシたちも、お嬢ちゃんたちが喋ってる言葉は英語に聞こえてる」
他のメンバーたちも頷いた。
「文字に関してはその限りじゃない。けれども耳から入ってくる言葉に関しちゃあ、自動的に翻訳されてるみたいなんだ」
「じゃあ、言葉については心配が無いってことね」
「そういうこと。ただ……」
ジェシカは厳しい目をした。
「異形になっちまった奴と話が通じるかっていうと、その限りじゃない」
睨むような目は、二人ではなくどこか遠いところを見ている。
「アタシたちはダニーを殺さないといけないんだ。せめてもの責任だ……放ってはおけないしな。だから……」
「そんなことはどうでもいい」
ロマンは鼻を鳴らした。
「そのダニーとかいうのがこの先に居るってだけだろう――どうでもいい話だったな」
その言葉に、思わずというように男たちが武器に手をかけた。
中には立ち上がりかけた者までいたが、それをジェシカが止めた。
「やめな。アタシたちはそこまで人間性を失ったわけじゃないはずだ」
「ダニーと違ってか」
ジェシカは一度ロマンを睨み付けた。
「喧嘩はやめなさいよ、ロマン」
「お前に指図される筋合いはない、小娘。理由がどうあれ、挑まれたのなら俺は受ける。どうせ先に進むのなら、ダニーとやらも片付ければ良いだけだ。……ただの異形として」
ロマンと深月の間で微妙な空気が流れた。
ふうっ、と深月が自分を落ち着けるように息を吐く。
「ごめんなさい、こういうひとなの」
人じゃないだろうが、と男の一人が悪態をつくのが聞こえた。それに対して何も反論すべきことはなかった。
再び剣呑な空気が満ちた。
ロマンは立ち上がると、深月を一瞥した。
「行くぞ。余計な時間を食った」
踵を返して、建物の外へ向かって歩き出すロマン。
深月は困ったように立ち上がった。それから、元兵士たちに一礼をすると、その背を追った。小走りでロマンの近くまで行くと、声をかける。
「ロマンってば」
「どうでもいい話だ。俺たちが先に行くのに変わりはない」
「それはそうだけど……」
「お前は話を聞いてどうしたかったんだ。可哀想ですねとでも言うつもりか?」
「そうじゃないよ、私はただ……」
深月が言いかけると、ロマンは足を止める。
「俺たちがやることはな、小娘」
振り返り、自分より身長の低い深月をしっかりと見下ろす。
「神を殺す――世界を滅ぼすのも同然だ」
深月がどんな表情をするのか、ロマンは興味があった。怯えるのか、慄くのか、それとも自分のしようとしている意味に今更気が付くか。果たしてどんな目で此方を見上げてくるのか。どんなくだらない表情で自分を見上げてくるのか、僅かな愉快さを期待して目を向けた。だがロマンは、深月を見つめたあとぎくりとした。
その黒い瞳は決意に満ちたまま、挑むように自分を見上げていたのだ。
――……こいつ。
いまのところ能力も無い、ただの小娘である。
異形ですらなければ、幻想化しているわけでもない。
たったそれだけの小娘が、異形である自分を目の前にして怒りもせず戸惑うこともせず、見返している。瞳の向こう側にあるものに見透かされているかのようで、ロマンのほうこそ一瞬だけ狼狽した。
そんなたった数秒の出来事が、ひどく長い時間に感じかけた。
不意に動いたのはロマンの視線と腕だった。
上のほうからロマンに飛びかかってきた餓鬼が二匹。その頭をそれぞれの手で掴む。徐々に指先に力を込めると、餓鬼の悲鳴に近いうめき声がこだました。餓鬼のぶよぶよとした頭の肉が指と指の合間から膨らんで飛び出す。素手で林檎を割るように力をこめ、頭蓋骨ごと勢いよく握り潰した。生ぬるい血が辺りに飛び散る。右手の親指が餓鬼の目に滑るように侵入し、ぬるりとした眼球を飛び出させた。割れた頭蓋骨を粉々にし、粉砕しながらどろりとした脳味噌を握り潰す。首から下が動かなくなり、だらりと身体が垂れ下がる。ちぎれた首から下が、地面にドサドサと落ちた。
ロマンは両手にこびりつく血肉をぼたぼたと落としながら、深月を見た。
「……覚えておくがいい。お前が頼ったのはこういうものだと」
「……。……知ってるわ」
深月は少しだけ目を伏せてから言った。ロマンはそれを見ると、ようやく安堵したように息を吐いた。それがどんな意味を持ったのか、自分でもわからないままに。
「でも、あの人たち……仲間が異形になったって言っても、わかるの?」
「さあな」
乱暴に手を振り、指についた血や脳味噌を弾き飛ばす。深月が明確に嫌な顔をして離れる。
「ただ奴ら――お前や俺を見間違えるくらいだったな」
餓鬼も人間に近い形だが、背はずっと低くて子供くらいしかない。おまけに痩せこけていて、腹だけが異様に膨れている。
「……ダニーって人も、異形でありながら彼らにある種の敵意を持っていて……、同じように、異形の中では人間に近い姿だってこと?」
「その可能性はありえる。だがどんな姿形であろうと、邪魔なら殺す」
ロマンは振り返り、血を滴らせながら歩き出した。その背をしばらく見たあと、深月も小走りで追いついた。
*
「……」
元兵士の男たちは、虚ろな表情で真っ二つになった仲間の死体を片付けていた。
もはや恒常的に麻痺した感覚は、戦時と平時を分けはしない。そのなかの一人が、錆びた水が流れる壊れた水道管で手を洗いながら言った。
「なあ、あのままなら……、あいつらがダニーを殺してくれるんじゃないか」
手を振るい、水を弾き飛ばす。
「誰が殺しても一緒なら、あいつらに任せてもいいんじゃ……」
ジェシカを含めた他の五人が、剣呑に男を見た。
先に片付けをすませた片目の男が、自分の武器を手にした。何度か動作確認をしてから立ち上がる。
「ダニーはあんなのでも俺達の仲間だった。仲間の不始末は俺たちがとるべきだ」
「で、でも……いまのダニーにかなうかどうか……」
苛ついたように、他の一人がそこにあった棚を蹴った。
「あの軟弱野郎めがッ!」
全員の目がそっちに行く。
自分のバンダナを握りしめて、わなわなと震えている。
「ヒールの力を手に入れたくせにッ! ただヒーラーだってだけで特別視されてッ! そのくせ役立たずのッ!」
声よりも、棚の音のほうが反響した。
「そんなことはもういいだろう。仕方ないことだ。能力だって宿り主を選ぶわけじゃない」
「なんだって? アンタこそよくそんなことが言えるな? あいつがしっかりしてれば、アンタだって片目を失わずに済んだんだぞっ!」
「口を慎むんだ、ヴィル」
「大体こんな――こんな黄色い猿どもの国で、俺は死にたくねぇんだよっ!」
「ヴィル黙れ! ダニーみたいになりたいのか!」
片目のその言葉に、ヴィルと呼ばれた男はびくりと肩をはねさせた後、ぶるぶると震えた。ダニーは心の均衡を失って、魔物になった。幻想化を顕現させていないとはいえ、自分がそうならないとは限らない――誰もが黙り込んだ。
その向こう側で、ジェシカが立ち上がった。ばつが悪そうに、片目の男がジェシカを見た。お互いが視線を交わす。
「ダニーはアタシたちが殺す。そう決めたはずだろ」
ジェシカはそう言うと、たてかけてあった自分の武器に手を伸ばした。はたして異形と化した人間に、もはや旧文明となった武器がどこまで通用するのかわからない。だが効かないわけではなかった。
「――行くぞ、先を越される前に。……そして、白髪鬼も殺す」
ロマンが殺した死体はすっかり片付けられていたが、ジェシカが何を言っているのかは全員が理解した。




