109話 見立て
「……」
ロマンは少しだけ口を開いた。
白い髪の毛の間から覗く目が、わずかに知力の光を帯びた。
「……。速人だ」
「ハヤト? なにハヤト?」
「須佐速人。……それが俺の名前だった」
ロマンがまるで懐かしいものでも語るかのように言うと、深月は少しだけ笑った。
「だった、じゃないでしょ。今もロマンの本名じゃない」
そう言って笑うと、血まみれの手でロマンの首を抱きしめた。
「でもなんか、今までずっとロマンって呼んでたのに、どう呼べばいいのかわかんないなあ。須佐さん、だと変だし、ハヤトだとなんか……ねえ?」
「知らん、好きに呼べ」
「あはは! 私は夜久深月だよ~」
「急に自己紹介をするな。知っとるわ」
深月がロマンの頬をくりくりと指で押すと、いますぐに死ね、という暴言が飛んできた。だが現状はまだ手足も無いし、かといって噛みついてくるような気配もない。ひとしきり笑ってしまうと、なんだか気が楽になった気がした。
『あ~~~!! いたぁぁぁあ!』
そのとき、突如として耳をつんざくような声が響いた。声と一緒に、深月めがけて何かが落ちてくる。上から落ちてきた九十九は、そのまま泣き顔を晒しながら地面に激突した。
狐耳の巫女姿は、地面をへこますことも揺らすこともなく、わずかにその姿がジジッと音を立てて揺らいだだけだった。
「……だ、大丈夫? 九十九さん」
『よく考えたら僕は落ちてくる必要なんか無かった……』
「じゃあなんで落ちてきたんだ」
『わからない……』
ロマンが、手足が再生していたら即座にその首をかっきっていそうな顔をした。
『それより、良かったよ生きてて!! こっちも大変だからね。きみたちが死んでいたらどうしようかと思った!!』
「うん。ありがとう。九十九さんも無事で良かった」
「そりゃあこいつの本体は別のところにあるからな」
『だけど、いくつかの端末がやられたよ』
九十九は人間であった時のように、上半身を起こして立ち上がった。
『精神が耐えられなかったんだ。原初の泥が地上までのぼってきてね。穴からだけじゃなくて、いろんなところから噴出してる。いまにも全部飲み込んで、泥に還ってしまいそうだ』
「そ、そんな」
『だから、きみたちがヒルコに取り込まれる前に……と思ったんだけど……』
九十九は言いよどんで、なんとも言いがたい表情をした。眉間に皺を寄せ、渋い顔をし、苦いものか酸っぱいものでも食べたような表情で二人を見る。その指先はいましがたぶつかった地面をさしていた。
『……あの。これ、ヒルコだよね』
「たぶん」
「俺に聞くな。お前の方がわかるんじゃないのか」
『いや、確かに僕らの調べたところじゃあヒルコなんだけど……。なにこれ?』
「俺に聞くなと言ってるだろうが」
『そ、それはそうなんだけど、そういうことじゃなくてね』
そう言ってから、九十九は再び地面を睨む。
どう、とか、それは本当に、とかぶつぶつと呟いている。おそらく他の端末と話をしているのだろう。
「何か気になることでもあるの?」
『うん。まず、ここはもともと大きな空洞になっていたんだ。ナスビのような形というか、フラスコ型と言えばいいかそこに巨大なヒルコがおさまっていた。それで、ヒルコはいま急激に縮んでいるんだけど……。ヒルコは空洞の首の部分を塞いでいる形なんだ」
九十九は空中に手をかざすと、おそらく断面図とおぼしきものが現れた。
フラスコ型の空洞の首を塞ぐように、赤い肉塊のようなものが蠢いている。だがその下には何も無い。この下がすべてヒルコで詰まっているわけではないようだ。
『そして、不可解なのが……。ヒルコから、地下に向かってなにか繋がってるんだよ』
空中に浮かぶ断面図の赤い肉塊から、白い糸のようなものが伸びた。そして、中央に
『地下に向かってなにか繋がってるんだよ。……こっちだ』
九十九が案内するように歩いて行く。
ロマンと深月は一度目を合わせたあと、その後ろをついていった。
『このあたりだ』
ちょうど緩やかな山の中心部あたりだった。一見したところ変わったことはない。下を確認するには、このヒルコを切り裂いて下に行く必要があるだろう。
『いま、ヒルコの体は赤子の形を無くして、巨大な血液というか、内蔵の塊のようになってる。それが僕らが乗ってるこれの正体。だけどこのあたりから、下に器官が伸びてるんだ。そこに……ちょっと僕の脳でも理解しがたいものがある』
「いったいなんだ。もったいぶってないで教えろ」
『僕にもわからないんだよ! 何も当てはまるものが無いんだ。名前も無ければ、果たして人なのか異形なのかどうかさえも定かじゃない。ただそこに命があるだけのものがある』
「ヒルコの本体とかじゃあなくて?」
『いや、ヒルコとも違うよ。なんというかな。生まれる前の、まだ何も定まっていないものだ。でも、誰かの魂を持っているようだよ。灯火のようにも見える……』
深月とロマンは顔を見合わせた。
どうとらえたものかと考えあぐねていると、深月の耳に囁くものがあった。
――みづちゃん。
「……陽ねえ?」
どこかから、陽子の声が聞こえた気がした。
それは幻聴のようなものだったのかもしれない。けれどもはっきりとどこかから聞こえた。
「どうした」
ロマンの声にも答えず、深月はしばらく耳を澄ませた。
もう何も聞こえない。
「おい――」
「これを、切って!」
「は?」
「全部、最初から何かが見立てられることで起きてるんだよ! だったら、ここに居る私たちだって、何かに見立てることができる!」
『み、見立てるって何に』
九十九は言いかけたが、その前にずるっ、とロマンから伸びた触手がお互いに絡まり合い、剣の形をとった。肉の剣だが、研ぎ澄まされた切れ味を出すこともこの世界では可能だ。
「ここには、私の月と、須佐の名前を持つロマンと、取り込まれた陽ねえがいる! 私たちはみんな、山田総一郎が動いたことでここにいる。つまり、山田総一郎によって生まれたものなの。地上に帰ったイザナギから、ヤソマガツヒが生まれたあとに出てきたのは――」
深月が全部言い終わる前に、すさまじい衝撃が赤い肉の塊をえぐった。




