決別
「実はセシリアから送られた帳簿を見て調査を指揮したのは第二王子で、実際に調査に当たったのは私なんだ。
王太子殿下、ウェールズ侯爵家の使途不明金についての調査結果ですが、侯爵夫人は現金を隣国の男に貢いでいたことが発覚しました」
セシリアには盛大に微笑んだカインだったが、緑がかった黒髪を揺らしながら王太子の方へ振り向いた時には、既にその顔から一切の甘さは消えていた。
一方、あまりの金額の多さに息を呑んでいたウェールズ侯爵は、カインから語られた事実に妻の顔を驚愕の表情で見つめている。
だがそんな侯爵にはお構いなしに、カインは報告を続けた。
「証人は、先程セシリアの虚偽の証言をした侯爵家の使用人達です。彼らは全員隣国の息のかかった者を身元保証人として侯爵家へ出仕していました」
カインの証言に、セシリアを冤罪にするため証言者として連れてこられた使用人達が目に見えて狼狽する。入口の方を見てソワソワと逃げ出す算段をし出した使用人達だったが、壁際に控えていた衛兵らにいつの間にか取り囲まれており、がっくりと項垂れた。
「その使用人達は金蔓である貴女を逃さないために男の指示で侯爵家へ入り込んでいたのでしょう。そうとも知らずに貴女は、貴女やアリーの言うことに忠実でセシリアを蔑ろにする者達をどんどん重用していった。侯爵家の資産を握っていたセシリアの存在は邪魔だったでしょうしね。だが、やっとセシリアがいなくなったのに、今回訴訟を起こしたのは、ウェールズ侯爵家に蓄えが残っていないことに気付いて、セシリアの横領に見せかけドルトン辺境伯家から大金をせしめるつもりだったからですね? 何とも浅はかな考えだ。そのせいで貴女は国家反逆罪が露呈してしまったのだから」
使用人達が拘束される様を横目で見ながらカインが告げた言葉に、義母は零れ落ちんばかりに瞳を見開くと、混乱したように取り乱す。
「国家反逆罪? 何よ、それ? ……知らない! 私はそんなこと知らない! 酒場で知り合った男に戦争に勝てば倍にして返すって言われて出資しただけよ! 現に何度も倍になって返金されていたわ!」
「でも返金されたのは最初の一年だけで、それ以降は返金されていないのではないですか?」
「それは戦争が激化して返済が遅れているからで、落ち着いたら返してくれるって……」
「ですが貴女が大金を渡していた男が隣国の者で、我が国の同盟国と戦争をしていることはご存じでしょう? もし男が隣国の者だと知らなかったのなら、貴女は詐欺の被害者なのでしょうけど……」
首を傾げたカインに義母がパッと顔を上げる。その顔は絵に描いたように「自分は何も知らなかった」と言っているようで王太子達は呆れたが、カインは義母のその僅かな望みをバッサリと断ち切った。
「あ、ちなみに貴女が貢いだ男なら既に捕縛しましたよ。金を受け取りに行きつけの酒場に来たところを呆気なく。隣国の貴族だったそうですが形勢が危うくなった自国から逃げ出してきたらしく、ちょっと脅したらすぐに無知な侯爵夫人がバカみたいに貢いでくれると話してくれました。勿論、その侯爵夫人は自分が隣国の者だと知っているという暴露付きでね。つまり貴女は立派な国家反逆罪となりますね」
お道化たように肩を竦めたカインに、義母は瞬時に顔色を悪くさせたが、聞き捨てならない事があったのか焦ったように聞き返してきた。
「え? 形勢が危うい?」
「ええ。 隣国は戦況をひた隠しにしていますが、実は相当な劣勢に陥っている状況です。現に我が国にも隣国からの盗賊が越境して出現しており、騎士団で掃討作戦を実施しているところです。盗賊さえ逃げ出す位ですから隣国は酷い有様なのでしょう、もう間もなく同盟国によって滅ぼされると思いますよ」
「じゃあ、私のお金はどうなるの!? あんなに……あんなに出資したのに。倍になって返ってくればもっと贅沢な暮らしができるのに!」
「貴女のお金ではなく、侯爵家のお金ですけどね」
憮然と言い返したカインに、王太子が声を掛ける。
「カイン、調査報告ご苦労だった。それでは宰相、詮議の結果を発表してくれ」
王太子の言葉にカインは一礼するとセシリアと共に姿勢を正す。
指名された宰相は王太子に向かって恭しく頭を下げると、厳かに判決を言い渡した。
「ウェールズ侯爵家の資産を横領していたのはセシリアではなく、侯爵夫人であり、夫人は我が国の同盟国と交戦中の隣国の貴族へ多額の資産を流していた。隣国の貴族は受け取った金で多数の兵器を購入しており、このことが同盟国に伝われば当然我が国に抗議が来るのは必定である。よってウェールズ侯爵夫人、並びに妻の蛮行を阻止できなかったウェールズ侯爵は国家反逆罪により投獄する。またその娘アリーは修道院行きとし、今後一生外の世界へ出ることを禁じる。そして内部告発をしたセシリアには酷なことだが、ウェールズ侯爵家は二階級降格として子爵とし正当なる当主セシリアに継承させるものとする。以上」
「衛兵は人一倍神経をすり減らす仕事をしているにも関わらず、税金泥棒などとあらぬ誤解を受けないように、罪人を引っ立てる見事な仕事ぶりを見せつけてやるがいい」
「はっ!」
下された判決に呆然としていたウェールズ侯爵家の面々だったが、王太子の皮肉めいた発破に奮起した衛兵が近づいてきたことで恐怖に顔を引き攣らせる。
「いや! やめて! 放して! 私は侯爵夫人なのよ!?」
「修道院なんて嫌! 私はカイン様と結婚するんだから! 汚い手で触らないでよ!」
「セシリア! 助けてくれセシリア! 俺は何も知らない! こいつらとは縁を切る! だから父を助けてくれ!」
抵抗する義母とアリーを押しのけ、みっともなく今更自分に助けを求めてくる父親にセシリアの紫水晶の瞳が微かに揺れる。
「お父様……」
「俺を助けて、またあの屋敷で一緒に暮らそう。な? セシリアなら解ってく……」
思わず呟いてしまったセシリアの迷いにつけこむように、父親が媚びるような笑みで言い募ったが、背後から伸びてきた巨大な影により途中で遮られてしまう。
「この期に及んで虐げていた娘に命乞いか。情けないの、カトレアが選んだ男は……」
そう言うなり侯爵の顔面に二回拳を叩き込んだドルトン辺境伯は、怒気も顕に倒れた侯爵の襟を掴み引っ張り上げると、鼻血を噴き出し窪んだ顔を覗き込んだ。
「儂の可愛い孫娘に二度も手をあげたお返しだ。まだまだ足りないがこれで勘弁してやる。 これから牢獄で痛めつけられるであろうしな」
「手をあげた……? セシリアに? ……そうか、あの頬、あれはやっぱり殴られた跡だったのか……! セシリアの父親だからと遠慮していたが、刻んでおけばよかった……!」
ドルトン辺境伯の言葉に反応したカインから黒いオーラが噴出し、群青の瞳を憤怒の色に染める。
「カイン様、もういいのです。もう……」
父親の情けない姿を寂しそうに見ていたセシリアだったが、自分のために怒りを隠しもしないカインに微笑むとその場に起立する。
「お父様……。お母様がいた頃の貴方との日々は幸せでした。本当はあの温かい日々でさえ偽りの幸せだったのかもしれませんけれど、私は確かに幸福で貴方のことが大好きでした。ですがもうダメなのです。もう私の心にお父様を慕う気持ちはないのです。父を愛せなくなってしまった娘で申し訳ありません。さようなら」
深々と頭を下げたセシリアに、何かを言おうと口を開きかけた父親を辺境伯が引き摺って連行してゆく。
会議室を出て地下牢獄への回廊を歩く頃、侯爵は悲痛な叫びをあげた。
「は、放せ! ご、誤解だ! 私はセシリアを愛していた! 娘を愛さない親などいるものか!」
「愛しているなら何故、蔑ろにした」
義父にあたるドルトン辺境伯の怒りの圧に怯えながらも、侯爵は泣きながら本音を吐露する。
「怖かったんだ! 無能な私に幻滅するんじゃないかと。私は顔がいいだけの無能だと言われ続けて、ずっと劣等感を抱いてきた。だから優秀なカトレアやセシリアに、いつか見放される日が来るんじゃないかと怯えていたんだ!」
「なるほど。お前が後妻やその娘に甘かったのは、暗愚で無能な者同士お前が劣等感を感じずに済むからか」
嘲りを込めて辺境伯が呟けば、侯爵が責めるように喚き散らす。
「カトレアが先に死ぬから悪いんだ。私が一人では何も出来ないということを知っていて先に死ぬから!」
「カトレアが亡くなったのは、信じていたお前に愛人がいたことによる心労が祟ったからだ」
「そんなわけはない! カトレアは愛人が孕んだと知った時も謝ったら許してくれたのだから!」
「……お前は本当に愚かだ。自分さえ良ければ他者などどうでもいいと思っているから、愛を捧げてくれた妻や娘であろうと平気で裏切り傷つける。謝ったら許してくれた? そんなのは生まれてくるセシリアに、いらぬ心配をかけたくなかったカトレアの親心だと何故わからん? 浮気を許す伴侶など聞いたことがないわ!」
目を見開いて驚く侯爵に辺境伯は舌打ちすると、地下牢獄への扉の前で待機していた衛兵に侯爵を引き渡し、忌々しそうに吐き捨てた。
「この屑が……! 二度と日の目を見られると思うな! 今のお前の状況は全て自らが作り出したものだと後悔しながら死んでいけ!」
「う、うわあぁぁ! 私はどこで間違えたんだ。こんな、こんなはずじゃなかったのに……!」
木霊する侯爵の悲痛な声は、やがてガシャーンという鉄格子が閉まる音と共に掻き消えた。