本物の当主
咳払いした宰相はチラッとだけドルトン辺境伯を一瞥すると、飄々と話し出す。
「まずはセシリアの生い立ちから話そうか。前ウェールズ侯爵は自分の息子が愚鈍だと解っていたから、秀才と名高かった辺境伯の娘カトレアを嫁に迎えて息子の代わりに当主代行をさせるべく画策したことが、全ての始まりだった。
幸い見目だけは良かった侯爵子息にカトレアは心奪われ、甘えた所がある侯爵子息もしっかり者の辺境伯令嬢に惹かれ二人は恋に落ちた。そこまでは侯爵の思惑通りだったが、婚約を結ぶ前にカトレアが妊娠してしまったのだ。無論相手は手が早いことで有名な自分の息子で間違いなかったのだが、問題はあろうことかその数か月後に侯爵令息が愛人まで孕ませたことが発覚した。
カトレアの父であるドルトン辺境伯は当然そんな男との結婚を大反対したが、別れたくないと懇願する娘と腹の中にいる孫に免じて結婚を許した。ただし、ある条件をつけて、だ。
その条件とは、仮にカトレアが夫より先に亡くなった場合は、カトレアとの子にウェールズ侯爵を継がせること。その子が父親より先に亡くなっても、当主は父親並びに父親の子以外の親戚を立てること。息子のせいで負い目を感じていた前ウェールズ侯爵は、その条件を呑むしかなかった。
つまり現ウェールズ侯爵はセシリアが成人するまでの仮の当主というだけで、正当な当主ではないんだよ。そのことは当然王家も承知していたから、カトレアが亡くなった後の当主の仕事をセシリアがすることを認めていた。辺境伯が信頼を置く執事がフォローするという条件付きではあるけれどね。そうでなければ当主なんて大の大人でも難しい職責を、年端もいかない令嬢に任せるわけないだろう?
そんなわけでウェールズ侯爵、そもそも貴殿はセシリアを訴えることなど出来ない。当主が侯爵家の資産をどう使おうが勝手だし、当主代行である貴殿にそんな権限はないのだからね」
宰相の長い説明を途中から目をしばたたかせて聞いていた父親が、唖然としたようにゴクリと喉を鳴らす。
「私が……当主代行? セシリアが当主?」
虚ろな目になり放心状態になった父親を押しのけて、アリーと義母が泡を食ったように反論を始める。
「で、でもセシリアは逃げたじゃない! 侯爵家を捨てた女が当主だなんておかしいわ! 他の親戚だって、疎遠だもの! そんな人間に侯爵家を渡すわけにはいかない! 辺境伯が勝手に結んだ条件なんて無効よ!」
「そうよ! ウェールズ侯爵家はアリーが継ぐの! 私達には潤沢な資産と高い権力で、傳かれる暮らしが約束されているのよ! そのために今まで出資したんだから!」
「出資? それは貴女が今まで使用した侯爵家の使途不明金のことですか?」
義母の言葉に、カインに抱かれたままだったセシリアが反応を見せた。
「な、何のこと?」
セシリアの指摘にギクリと肩を揺らした義母が動揺を隠すように扇を広げて顔を隠したが、セシリアは糾弾することを止めない。
「とぼけても無駄です。ここに証拠があります」
カインの腕を離れ、持っていた侯爵家の帳簿を開くと赤字で示した箇所を次々と指し示してゆく。
しかし義母はそんな金は知らぬ存ぜぬの一点張りだ。どうやら帳簿だけでは証拠にならないと高を括っているらしい。
セシリアは小さく溜息を吐くと、言い含めるように義母へ指摘した。
「黙秘も言い逃れも諦めた方がいいですよ? これ以上ない証拠ですから」
「ふん、そんな帳簿の何が証拠になるって言うのよ? 言えるものなら言ってみなさいよ!」
「この帳簿をよく見てください。全てのページに王家の押印がございますでしょう? これはウェールズ侯爵家へ王家から監査が入った証拠です。そしてそれは、この帳簿に記載してある全ての使途不明金について、王宮の監査員が調査したことの証でもあるのです。
本当は監査の要求などしたくなかった。けれど逃げた私に貴方達が追い打ちをかけるような真似をするから、私も覚悟を決めるしかなかったんです」
悲しそうに父親を見つめて告白したセシリアだったが、未だ放心状態の父親は気が付かない。そのことが酷く寂しい気持ちにさせたが、既に賽は投げられたのだと諦めたように軽く目を伏せ、セシリアは言葉を続けた。
「そもそも私が疑念を抱いたのは使途不明金の金額の多さでした。ウェールズ家は侯爵家の中では標準的な資産額ですが、それでも他の伯爵家以下の貴族からしてみれば莫大ともいえる資産がありました。その資産の大半をたった数年で使い切ってしまうなんてことが有り得るのでしょうか?」
「それはドレスを買ったり宝石を買ったりしたから……」
「あぁ、アリーに続き貴女も私ではなく自分が購入したと認めるのですね。もうこれで完全に私の横領疑惑は晴れましたね」
「うっ!」
アリーに続き自ら墓穴を掘った義母にセシリアは乾いた笑みを浮かべたが、追撃の手を緩めようとはしない。カインが隣にいる、そのことがセシリアにたくさんの勇気を与えてくれた。
「横領疑惑は晴れたとはいえ、問題は貴女方が実際に購入した金額と支出した資産が合わないことです。確かにドレスも宝石も高価な物ですが、使途不明金には全く届きません」
「それは装飾品以外も買っているからよ!」
「そうですね。高級茶葉から馬車に別荘まで様々なものを購入されていましたものね?」
「そうよ。だって侯爵夫人ですもの。それなりのものを揃えないと恥をかくのは侯爵家ですからね!」
セシリアの誘導に開き直ったのか義母が居丈高にふんぞり返って白状したが、扇を持つ手は震えている。それでも不貞腐れたようにセシリアを睨んで悔しそうに唇を噛んだ。
「恥をかくかどうかは品性の問題で、物の有る無しで決まるわけではありませんが、私が言っている使途不明金というのは、貴女が購入した別荘などを売却して得た現金のことです」
「何で、売却したことをアンタが知ってるのよ?」
思わず義母が言い返したことに、セシリアは大きく溜息を吐く。
「別荘や美術品の管理も当主の仕事の一つだとご存じなかったのですか? 貴女が購入した別荘や美術品を勝手に売り払って現金を得ていたことは知っていましたよ。ですが、あれだけ多額の現金を頻繁に手にしていたはずなのに、そんな大金をどこに隠しているのか不思議でした。それに多額の現金を動かせば、何らかの痕跡が残るはずなのに出入りの商人に聞いても誰も何も知らなかった。それが少額の使途不明金ならばともかく、あまりに高額なためずっと不審に思っていた私は、あの日侯爵家を出奔する際に自分の身を守る切り札として、帳簿を持ち出したのです。ちなみに不明金のことは一度だけお父様には確認をしましたわ。けれど、知らない、余計な詮索はするなと罵られただけでした。
ところで貴女は先程、出資したと仰いましたよね? それは侯爵家の使途不明金の使い道でよろしいのでしょうか? でしたら出資先を今ここで説明してくださいませ。私が横領したのではないと証言されましたけど、何に使用したのです? 私も王家からの監査の結果は知らされておらず不安ですので」
「わ、私は侯爵夫人なんだから、侯爵家のお金をどう使おうと自由でしょ!」
「そ、そうだ! ふざけるな! いくら王家といえども侯爵家の金の使い方にまでとやかく詮索される謂われはない!」
ギリギリと扇を握りしめ何とか言い逃れしようと喚く義母に、漸く放心状態から立ち直った父親も憎々し気に言い捨てる。アリーだけは何の話をしているのか理解できていないようで黙っていたが、視線だけは恨めしそうにセシリアを睨んでいた。
そんな視線からセシリアを守るように身を乗り出したカインが、厳しい声音で義母へ告げる。
「我々貴族は体面を重んじます。それゆえ少々贅沢が過ぎたとしても、それが貴族の矜持を保つため使用されたのなら、王家もわざわざ調査したりはしないでしょう。しかし何に使用したのか解らない、しかもそれが莫大な金額ともなれば話は別です。貴族の資産は全て領民の血税によるものなのですから。ちなみにウェールズ侯爵家の不明金は、セシリアの母君が亡くなってから四年足らずの間で約一年分の国家予算額と同等です」
「そんなに?」と重鎮達が責めるような視線を投げつけてくることに、唇を噛んだセシリアへ、カインは安心してというように彼女の手を固く握りしめると、にっこりと微笑んだ。