act.3 壊滅的記録、そして待ち合わせ
遅くなってしまい申し訳ありません
まだ春だというのにじわりと汗ばむような午後1時半。
乾いた風が砂埃を立てる。
そしてそれが目に入った。痛い
「よし!集まったな!俺はここの保健体育の教師をやっている柴田だ!」
快活な響きを帯びたよく通る野太い声が言った。
柴田は地味に2年生の学年主任だったりする。
「集団行動は…まぁ、授業数も多くないから省略するとして、まずはアップだな!よし!とりあえず校庭一周!」
柴田は規則にはうるさく言わないが、だからと言って厳しくないという訳ではない。むしろ、授業に不真面目な生徒には人一倍厳しい教師だと言えるだろう。
つまり、非常にげんなりした気分になるこんな指示にも従わざるを得ないのだから悲しいものだ。
あぁ、まだ目がしぱしぱする。
そんなわけで走り始めるわけだが、今わたしは明らかに健康的とはいえない表情をしているのだろう。
隣で爛々とした目で走っているツクモに目を向けて声をかけた。
「楽しそうだね。ツクモ」
ここでツクモに話しかけたのは一種の現実逃避だろう。今日は現実から目を背けてばかりだ。
「うんっ!春休みはぜんぜん身体動かしてなかったから!」
楽しげなツクモの言葉に憂鬱な気分も少しは紛れるというものだ。本来、わたしは身体を動かすのが嫌いなわけではないのだから、今は純粋に楽しむことにしよう。
そんな前向きな考えが浮かんだ時だった。
「あっ」
眼前に地面が現れた。
一瞬の浮遊感。次いで全身から汗が噴き出るような錯覚を覚えた。
そんな一瞬の出来事のもう一瞬後はーー
衝撃。
幸い上手く手をつく形で倒れた為、大した痛みは無かったが何も無い所で盛大にすっ転んだという事実はわたしの硝子の心を完璧に粉砕した。
「……運動なんて嫌いだぁ!」
苦笑いを浮かべたツクモの手を借りながらよろよろと起き上がったわたしは行き場のない感情を今は憎たらしいほどに晴れた蒼空にぶちまけるのだった。
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もう授業もそろそろ終わりだろうといったところだ。わたしは順当に壊滅的な記録を、ツクモはそれなりに優秀な記録を、リアは背丈がかなり違う為配置も離れてしまってよく分からないが悪い記録ではないようだ。
まぁ、今年は記録の割にいじり倒されなかっただけ僥倖だと言える。
いつまでも悲しい気分でいると疲れるのだ。こうやって自分を慰めるのも時には大切だろう。
だから、成績に大きく響くであろう今回の壊滅的記録なんて微塵も気にしてないのだ。そう、気にしていないのだ。
そんな記録のことなんて気にしないわたしの無意味な思考も柴田の号令によって中断される。
「よーし!片付けは終わったみたいだな!では解散!帰りのHRは無いそうだから、これで放課とする!」
そんな大事な情報を生徒を集めもせずに言っていいのだろうか。
「おーい!せっかくハンドボールあるんだからドッヂでもやろうぜ!!」
ため息を吐いていると楽しげな男子生徒の声が聞こえてきた。柴田はまだ聞こえる距離にいると言うのに、彼はきっとアホなのだろう。
幸い柴田は聞こえないふりをして去っていったがそれもどうなのだろうか。
内心でそんなツッコミを入れているとーー
「ね、柳ちゃん」
背後からの不意打ちに思わずびくり、とする。
流石に素直に驚いた返しをするのも癪なので努めて冷静に振る舞うことにする。
「リア…びっくりしひゃ…したよ。どうかした?」
表情は取り繕えても舌の回りまで取り繕うことは出来なかったようだ。これでは素直に驚いた方がマシだったが全ては後の祭りというやつだ。
「ふふっ…びっくりしひゃって…あははっ…!」
案の定リアは楽しげに笑っている。
「ふふ…今日一緒に帰らない?ついでに、話したいこともあるし」
なるほど、そういうことか。
「あぁ、そういうことならわたしは家と真逆のスーパーに行ってから帰るけど、それでも大丈夫?明日にでも話だけ聞く事もできるし…」
少し寄っていく、というのならまだしも方向が真逆なのだ。流石にリアに無駄足を踏ませるわけにはいかない。
「んー…なら、私も一緒に行くよ。せっかくだしお菓子買っちゃおうかなー?」
なんともあっさりした様子でついて行くと言い出した。まぁ、わたしとしては後日話を聞く必要もなくなるためありがたいのだが。
「ならいいけど……じゃあ、準備ができたら正門で。」
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夕焼け、というほどでは無いにしろ陽が傾き始めたよく晴れていて、それでいてどこか霞んだ春特有の空。
とす、とかつては白かったと雄弁に語っている、車の排気ガスと雨垂れに薄汚れた正門の塀に背中を預けた。
この時間だ。多くの生徒達が正門から出て行くが、こうして人が流れ出るのを見るのは各々の関係性がみえてきて意外にも面白いものだ。
普段は一人で誰を待つでもなく帰るため待ち合わせなんてそうありはしなかった。退屈なばかりだと思っていた待ち時間もこれなら存外悪くない。
少しばかり口元を綻ばせながら人の列を眺めていた所だった。
「や、まった?」
またしても背後から脅かされかけるが少し警戒していた甲斐もあってかなんとか平静を保つ。
「ん、そんなに」
特に話す事も無いので、短い言葉を交わすだけだがこれはこれで言い得ない距離の近さを感じて少しむずむずしたのは内緒だ。
それから特に会話は無いまましばらく田んぼとぽつぽつと民家のある田舎道を歩いていたのだが、先程リアが言っていた話したい事とやらが気になったので聞いてみることにした。
「そういえばさ、リア。話したいことって何だったの?」
「あー…それはちょっと長くなるから帰りでいい…かな?」
なんだか歯切れの悪い答えが帰ってきた。
外洋の瞳も今は少し細められているように見える。
ほんの少し沈黙が降り、そして唐突に周囲の景色が住宅街へと変わる。
「それにほら!もうみえてきたでしょ?」
少し遠くに見える何度見ても異常なサイズの駐車場を指差して言うリアは、直前の歯切れの悪さとは打って変わっていつもの凛とした声音とも少し違った快活な声だ。
リアは意外と感情を表に出すタイプなのかもしれない。
そんな事を考えながらわたしは無駄に広大な駐車場のアスファルトの上に転がる砂利で滑って派手にすっ転んだのだった
田んぼ道から唐突に住宅街になったり異常に広いスーパーマーケットの駐車場は田舎あるあるだと思うのですが、実際のところはどうなんでしょうか。おかしくなければいいのですが…