act.2憂鬱な朝と愉快な昼食
「スポーツテスト」と言う行事がある。
それは、生徒各々の身体能力を測るための学校行事だ。
だが、それは同時に「運動音痴」が炙り出される魔の行事でもある。
何故わたしが脳内でこんな現実逃避じみた解説をしているかというとーー
新学期早々、そのスポーツテストという名の苦行が今日この日に迫っているからだ。
わたしは極まって運動音痴という訳ではないが運動が人並みに出来るわけでも無い。
つまりスポーツテストで炙り出され嘲笑の的になる素質をしっかりと持っていると言うわけである。
「はー…」
憂鬱な気分に浸り全力で溜息を吐きながら通学路のアスファルトをいつも通りのつもりで踏むがやはり足取りが重い。まるで鉛の靴を履いている気分だ。
「やなぎちゃ〜ん!!!」
鉛の靴を引きずりながら歩いていると、いつもより元気そうな声が背後から騒がしい足音とともに近づいてくる。
「あぁ、ツクモ。」
「そうで〜す!ツクモちゃんだよ〜!」
そんなツクモの活き活きとした快活な言葉に朝の苦手なわたしは頭痛を堪えるように首を振った。
「今日スポーツテストだよ!たのしみだねぇ!」
案の定スポーツテストを前にして絶好調の運動大好きツクモちゃんだ。こいつめぇ
「いやぁ、わたしはあまり運動が得意ではないから…ははは…」
などと、少し苦い思いをしつつも憂鬱な気分が紛れた事に感謝しながら学校へ向かってツクモと雑談をしているとーー
「あら、柳ちゃん?こっちだったんだ?」
交差点の信号待ちをしていると背後から凛とした鈴のような声が聞こえる。
振り向くとリアがいた。朝だというのに眠気が微塵も感じられない完璧な身だしなみでそこに立っていた。
「ああ、リアこそ。ここで会うなんて意外と家が近いのかな?わたしたち」
「ええー!?エイミスさん!?ヤナギちゃんもう仲良くなったの!?」
通学路がほぼ同じ、という事に親近感が湧いたところに鼓膜を粉砕する勢いで大声を出すツクモ。
「うん。先日屋上で会ったの。それで少し話が弾んじゃって…ね?」
こちらに藍の瞳をちらりと向けてくる。
「そうだね。意外とおてんばさんみたいだよ?」
「もうっ…そんな事まで言わないでよ!」
少しからかうと気恥ずかしそうな顔で目を逸らされてしまった。
その後はツクモとリアが改めて自己紹介をし、3人で雑談をしながら学校へ向かうのだった。
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「さぁ、次…正確にはこの後の昼休み後にはお前らの大好きなスポーツテストだ。美術なんぞやってたら動きたくてウズウズするんじゃあないか?」
授業開始の号令と同時に笹木が言い放つ。
「まぁもっとも、俺の授業でサボりは許さんがな」
サディスティックな笑みを浮かべながら出席を付けていく笹木だが、美術で厳しくする事など有るのだろうか?まったく、よくわからない事を言うものだ。
実の所わたしはまったくと言って良いほど彼の人柄を掴めていない。
一年生の頃から彼は似たような事を言っていたのだが至って普通の授業だったため気にも留めなかったが、今年担任を務める教師の人柄を掴めていないと言うのも考えものだ。
その点、去年から引き続き美術を選択したのはある意味良かったのかもしれない。
「まぁ、そんなわけだ。画用紙とテープ、ボンドはそこにあるから好きなようにしろ。絵でもペーパークラフトでも作りたいものを作れ」
思考に沈んでいるわたしをあまりにも大雑把な指示が現実へと引き戻す。
「え…?いや、美術ってもっとこう方向性が決まってるもんじゃないんですか?」
1人の男子生徒が引き攣ったような声で質問を飛ばすが笹木はそれを鼻で笑った。
「生徒の創造性を鍛えるのが美術だからな。今年は少しやり方を変えてみた。」
なんと言うことも無さそうに言う笹木だがいきなりやりたいようにやれと言われても困るのが生徒というものだ。
ちらりと教室を見回してみると地平線の向こう側まで見ているような表情をしたツクモが目に入った。
運動以外はからっきしなツクモにはやはり厳しいのだろうか。
そんな事を考えていると笹木が再度号令をかけた。
「まぁそんなわけだ。さっさと作業に取り掛かれ」
仕方ないので画用紙を一枚机の上に置き、アレコレ格闘しているうちに一つの紙ヒコーキが出来ていた。
久々に作ったからか少し歪なそれはどこか懐かしく感じる。
そうして紙ヒコーキを量産して遊んでいると授業終了を告げるチャイムが響いた。
「んじゃ、各自席についたままで良いのでこれで終わりとする。五限目までに着替えを済ませておけよ」
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紅茶が飲みたい。
そんな事を考えながら毎日放課後に買って帰っている特売の菓子パンを鞄から引っ張り出す。
「はぁ…」
まったく、毎日毎日昼はこの菓子パンというのも飽きてくるものだ。せめて紅茶でもあれば変わるのだが、それは望み過ぎと言うものだろう。
日々の食費と消耗品だけで何も残らない仕送りでは朝と夜に飲む紅茶すら贅沢品だ。
まぁ、その程度の贅沢すらできないのは精神衛生上よろしくないと思うのだが、アルバイト禁止の学校でアルバイトをするわけにもいかない。
つまりわたしにとって紅茶は手が届かない雲の上の存在なのだ。
「はぁ…飽きたなぁこれ」
砂糖の味以外何もしない菓子パンを無心で咀嚼していると机に弁当箱が置かれる少しくぐもったような音が聞こえる。
「浮かない顔してるね。お昼ご飯、それだけ?」
「ちゃんと食べないと身体壊すよ〜?」
ツクモとリアだ。2人はもう仲良くなったのだろうか?ツクモは昔から人懐こい性格をしているから一方的に懐かれているのだろうか?どちらにせよ、微笑ましいことだが。
「ん、夜はちゃんと食べてるよ。それに、わたしは昔から食が細いから」
苦笑混じりにそう答えながら2人の弁当箱にちらりと目を向ける。すぐに目を逸らしたので幸い気付かれてはいないだろう。
「じゃあ、たべよっか」
そう言って2段式のかわいらしい弁当箱を開けるリア。ツクモは塩昆布のおにぎりを食べている。
「食べる?柳ちゃん」
はっと見返すとリアは困ったように笑っていた。
「そんな物欲しそうな顔してたらあげたくなっちゃうじゃない」
バレていた。
これは少し恥ずかしい。いやかなり恥ずかしい。中学生の頃のポエムが出て来た時と同じくらい恥ずかしい。
「あ、いや。ち、ちがうんだ。そういうわけじゃ…」
「ほら卵焼き。口あけて」
ここまでされて拒むのは逆に失礼に当たるだろう。顔を両手で覆ってしまいたくなるような恥ずかしさだが言われるがまま口を開ける。
「んむ………おいし…」
これは…かなり美味しい。甘くない卵焼きという時点でわたしとしてはかなり嬉しいのだが、出汁醤油ではなく醤油で味付けしているのもとても嬉しいポイントだ。好みは分かれるだろうが凄い…と言わざるを得ない。
「ふふ、気に入ってくれたならよかった。私も、甘い料理好きじゃなくて」
「私甘いの好きだなー!」
聞けば、弁当は全てリアが自分で作っているらしい。これほどの腕前があるのなら料理の出来ないわたし的には未来の旦那さんが羨ましいと言わざるを得ない。
そして楽しく雑談を交わしながら食事を終えたわたしたちはジャージに着替え、チャイムが鳴るのを待つのだった。
次回はスポーツテスト本編です!お気長にお待ち下さい。