act.1立入禁止の屋上で
こつこつ、と規則的な足音が響く。
教室中がその足音だけになった様な錯覚を覚えたのはわたしだけではないだろう。今まで体験したことがないほどに教室が静まり返っているのがいい証拠だ。
そして彼女の姿は教室中を支配するに足るほどの圧倒的な存在感を放っていた。
ウェーブのかかったセミロングの淡いブロンドに透き通ってその下の血の色すら見えてしまう程に白く美しい肌。髪と同じ色のかわいらしい眉と長くかたちのいい睫毛の下にあるのは西洋人らしい彫りの深い切れ長の凛とした目。その瞳は濃い外洋の色をしていたがそれよりも遥かに美しかった。
「私は、リア・エイミスです。こんな見た目だけど日本生まれ日本育ちのほぼ日本人です。よろしくね?」
しん、と静まった教室に鈴の鳴るような声が響き、そこでわたしの脳はやっと機能を再開したようだった。他の生徒たちも我に帰ったようで小声で何やら話している。
「じゃ、柳の隣…窓際の椅子空けてあるからそこ座って〜」
「はい」
軽薄な様子の担任教師の言葉に頷き、その端々に育ちの良さを感じさせる動きで教室中に微笑みかけて入室時と同じようにこつこつ、と規則的な足音を鳴らしながらわたしに歩み寄ってくる。
教室中から彼女に集まる視線を微塵も気にしないように自然にわたしの隣の椅子に手をかけて一言
「柳さん?だよね。これからまだ長い付き合いになると思うけどよろしくね?」
脳裏に鈍痛が走る。朝と同じで痛みに意識を痛みに向けた途端に消えてしまったけれど。
ーー朝?わたしは朝、何を考えていたのだったかーー
そこまで考えて今自分の置かれた状況を思い出す。
何か返さなければ。
「よ、よろしく。わたしは柳 翔子。柳でいい。仲良くしてくれると嬉しい…わたしは友達が少ないから」
少し引き攣ったような声が出たがまぁ許容範囲だろう。おかしな事を言っていなければいいのだが。
静かに椅子を引き、姿勢正しく座っていた彼女がこちらに顔を向けて嬉しそうな表情をしていた。
不覚にもどきり、としてしまったのは多分明るい彼女が少し、眩しかったからだろう。
「じゃあ、私のことはリアかエイミーって呼んで?エイミスは苗字なのに愛称なんて、変な話だけれどね。」
そう言って彼女ははにかむように笑った。
わたしは じゃあリアで、と返して少しの間小声でリアと雑談していると、未だ自己紹介の無かった担任教師が言った。
「それじゃ最後は俺の自己紹介で締めるか。俺は笹木進。一応これでも美術の教師をやってるが…ま、好きなように呼んでくれ」
雑な自己紹介と共に授業終了を告げるチャイムが響いた。
笹木は満足げな顔をしているがいまいち締まってないのは内緒だ
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ね、貴女は屋上が好きなの?ううん、答ようとしなくてていよ?貴女はいつもここに居るから……だから少し気になったの。
そんな意外そうな顔しないでよ。私だっていつも貴女を見てるわけじゃないんだから!
でも……たくさん貴女を見てきたのは確かかもね…
ううん、なんでもないよ。ひとりごと。
気にしなくていいからさ、眠たいならもうおやすみ。キス、してあげるから…
じゃあ、またねーー
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ーー眩しい。
いつも通り屋上で寝ていたはずなのに何故だか陽の光が網膜を焼くかのような眩しさだった。
反射的に目を伏せる。何かが頬を伝った気がした。
驚いて頬に触れると、そこには雨でも降っているのかと疑いたくなるほどの大粒の涙が流れていた。
「あれ…」
悲しいわけではない。何か夢でも見たのだろうか?
そんな思考を巡らせかけた時だった。
じくり、と鈍い頭痛が走った。反射的に鈍痛に意識を向けるとそれきり痛みは消えてしまった。
今朝にも、同じ事がーー
じくり、じくり、じくり、消えたはずの痛みが蘇る。今度は痛みに意識を向けても消えない。
「っ…ぃい…」
その場に蹲りかけたが凛とした鈴のような声が鼓膜を叩いた。
「だ、大丈夫?」
心配そうな表情で仰向けに寝転がりながら額に手を当てているわたしに規則的で、今は少し乱れた足音を響かせながら駆け寄ってくる。
「だい、じょぶ……なんか急にあたまいたくなって……」
なんとか声を絞り出すあまり平静を装えたとは言い難い。やはりリアも気付いたようでかわいらしいポーチから何かを取り出そうとしている。
「これ頭痛薬。少しはマシになると思うから」
そう言って中身の減ったペットボトルとこれもまた何錠かは既に入っていない錠剤のシートを渡して来た。わたしはそれらを受け取ると急いでペットボトルの水で錠剤を流し込む。
「んぐ…ありがとう…水飲んだからかな、少しらくになったよ」
微笑んでそう言った翔子の顔色は優れない。だがその表情からは微かだが苦痛の色は減っているように感じられた。
「動ける?ちょっと休んだら保健室行こ?」
「ん…もう大丈夫。なんか治ったかも」
先ほどまでの頭に響くような頭痛は僅かな痛みの残滓を残して消えてしまった。
おそらく、耳鳴りのようなものなのだろう。
きっと新しい環境に戸惑って疲れたのだ。
元々屋上で寝ていたのだって隣の席のリアに人が集まってその喧騒に嫌気が差したからだ。そういえば、どうしてリアはーー
「え、そんなにすぐ治るものなの?私には長引きそうに見えたのだけれど…」
不安そうにこちらに目を向けてくるリアを見据えて笑いかける。
「大丈夫。多分変な夢でも見たんだよ。それよりリアはどうしてここに?転校初日から立ち入り禁止の屋上なんて、かなりのワルみたいだね」
「ううん、そんな事ないよ。私校則なんて聞いてないもの。扉の張り紙も掠れててよく読めなかったし」
頭痛も治ったので少しからかってやろうと意地悪をしてみたのだが、リアは澄まし顔と悪い微笑みを混ぜたようななんとも腹黒そうな表情で平然とそう言い放った。
確かに校則の説明は最低限しかされていないかもしれないが貼り紙は掠れてはいるが読めない程ではない。つまり、分かってやっているのだ。
リアは案外おてんばな性格なのかもしれない。
「真面目な話、私他人に囲まれるの好きじゃないの。こんな見た目してるから珍しがってみんな集まってくるんだけど、見せ物みたいで、ね?」
そう言った彼女は、1秒よりもずっと短いほんの一瞬、彼女は遠くを見ていた気がした。その瞳には先ほどまではなかった無機質で、重く昏い全てを諦めているような、そんな目だった。
「どうしたの?私の顔になにかついてる?」
慌てて目を逸らして なんでもない、と返す。
その時、おそらくはその前から彼女は先ほどまでの柔らかい目に戻っていた。
見間違いだったのかもしれない。
そんな考えが頭を過ぎるがきっと見間違いではないのだろう。彼女にも色々あるということだ。それは他人がおいそれと触れて良い事でもない。
「それじゃ、そろそろ午後の教科書類配布があるから行こうか」
そう言って半ば無理矢理に話題を切り替える。
リアは そうね、と返してまた規則的な靴音を鳴らしながらわたしの後に続いた。
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あの時のリアの昏い瞳。その理由を知る事はおそらく無いだろう。
今は、まだーー