07 ユリウス
王城に通い続けて五年。アストレアは初めて、ジークフリートが同じ年頃の少年を連れているのを目撃した。
いつもの訓練場の、いつもとは違う風景。
ずっとひとりだったジークフリートの隣に、銀髪の美しい少年が控えるようについている。
「レア!」
アストレアに気づいたジークフリートが嬉しそうに声を上げる。
「こいつはユリウスだ。こっちはアストレア」
(紹介が雑ですジーク様)
十三歳になってもまだ紳士には遠い。ジークフリートとの立ち位置を見るに、立派な家柄の子息であり従者なのだろうけれど。
「はじめましてユリウス様。アストレアと申します」
ドレスの裾をつまんで淑女の礼をする。
顔を上げて目が合うと、ユリウスが一瞬だけ、ほんの一瞬だけさみしそうな顔をしていたのが見えた気がした。しかしそれは穏やかな微笑みにかき消される。
銀色の髪が光を受けてきらきらと星のように輝した。
「ユリウスです。この度ジークフリート様の従者にしていただきました。以後お見知りおきを。姫」
騎士様だ。
立ち居振る舞いが完璧な騎士様だ。ここに令嬢たちがいれば、みんな心を奪われていただろう。
ジークフリートが太陽なら、ユリウスは月光。
おそらく同い年で、背格好も似ているのに雰囲気が全然違うから対のようだ。
「そろそろ行くぞユリウス」
「はい、殿下」
ふたりは一緒に剣の稽古をして、ユリウスは時折ジークフリートの世話をする。
お互いとても楽しそうに見えた。
主従関係ではあるけれど長年の親友のように親しげに見えた。
(ジーク様、お友だちができたのね)
自分のことのように嬉しかった。
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家族での夕食後のお茶の時間に、エリスがアストレアに話を振ってきた。
「おねえさま、ユリウス様とお会いになられたのですか」
なぜ知っているのだろう。ユリウスに会ったこともだが、ジークフリートの従者の名前まで。目立つ容姿ではあるけれど。
「ええ。ジーク様の従者のユリウス様になら、今日お会いしたわ。エリスはユリウス様を知っているの?」
「はい。……ユリウス様はかわいそうな方なのです」
エリスの話では、ユリウスは高位貴族レスター家の嫡子だったが、両親が領地と王都を移動中に事故に遭って亡くなってしまったという。幼いユリウスには爵位を継ぐ資格はなく、王都の家も領地も財産もすべて親戚が継いだ。ユリウスは温情で家に置いてもらっていたが、居場所がなく別の親戚に保護されていたところ、たまたまジークフリートに気に入られ無理やり従者にされたそうだ。
(暴君ジーク……!)
ユリウスの身に降りかかった不幸は気の毒ではあるが、ゆくゆくは従騎士になり王族の片腕となるのだから、ジークフリートに気に入られたのは幸運なことではないだろうか。
(私もジーク様に何度も助けられているのよね)
彼がいたから屋敷で引きこもり続けることにもならず、城の貴重な本を読むことができ、自分の魔力の才能にも気づくことができた。
ジークフリートには人の運命を強引に引っ掻き回す力がある。
それは王甥という地位の力もあるが、彼自身の性格にもよる。強引で、強欲で、素直。
(それにしてもエリスの情報収集力は大したものね)
継承者会議でもエリスを取り囲む令嬢の数は着実に増えている。
もしかしたら、次の女王に選ばれるのはエリスかもしれない。
継承順位はアストレアのほうが上だが、順位の数字に意味はない。席を決めたり名前を呼ぶ順を決めるだけの番号に過ぎない。
エリスが女王になるとしたらそれはとても喜ばしいことだ。両親も祖父母も叔父叔母も大喜びだろう。もちろんアストレアも嬉しい。
嬉しいはず、なのに。
何故だろう。胸の奥がざわざわする。黒いもやが沸き上がって喉に詰まりそうだった。
実の妹に対してこんな気持ちを持つのはよくない。アストレアは気持ちを切り替えようと、気になっていたことを父に聞いてみることにした。
母との歓談が途切れるタイミングを見て話しかける。
「ねえお父様、私もしかしてユリウス様にお会いしたことあるのかしら」
はじめましてと言ったとき、ユリウスは一瞬だけ悲しそうな顔をした。もし昔に会ったことがあんのならとても失礼なことをしてしまっている。
「ユリウス君はレア君に結婚を申し込んでいたことがあるんだ」
「「えっ……ええっ?」」
声が重なる。隣を見るとなぜかエリスもアストレアとおなじように驚いていた。
「レア君に言ったことはなかったけどね。君は昔からジークフリート殿下が好きだったから」
父は寂しげにため息をついて肩を落とす。
(昔から? 昔は、ではなくて? お父様もしかしてとんでもない誤解をしている?)
「婚約は保留のまま立ち消えになったんだ。レア君とユリウス君の間には面識がなかったはずだが、ユリウス君はどこかで君を見初めていたのかもね」
「ええー……」
政略結婚目的と言い切られたほうが納得できる。「ジーク様」で頭がいっぱいで常に浮かれていたころのことはアストレアの中で黒歴史になっている。それに性格にもかなり難があった覚えがある。そんな姿を見られていたかもしれない、と思うと。
「昔のことですよ。お忘れなさい」
静かにお茶を飲んでいた母が、ティーカップを置いた。
「過ぎてしまったことを持ち出すのは、貴女にとっても相手方にとっても良いことではありません」
「はい、お母様」
エリスとふたりでそれぞれの寝室に向かう途中、アストレアはずっと気になっていたことを聞いてみた。
「エリスはユリウス様のことが好きなの?」
ぽっと頬が染まる。わかりやすい。
「会えるようにしてみる? ちゃんと席を設けるのは無理でも、偶然会えるようにするくらいなら、水の日だったら」
「いいえ、いいえ! いまはまだ早いのです。わたくしまだ子どもだから」
相手も子どもなのだからそこは問題ではないはずなのだが。エリスの意思は強固だった。
「ユリウス様も、いまはまだそれどころではないと思いますし。それにその、ユリウス様の気持ちを考えると……おねえさまにお願いするのは……」
ぐさり、と。言葉のナイフが突き刺さる。
社交から逃げ続けてきた罰がこれか。
エリスの言うとおりだ。人の気持ちが全然わかっていない。
寝室の前でエリスと別れ、自分の部屋に入る。メイドに就寝の準備をしてもらい、ベッドに入るも、眠れそうになくてすぐに起き上がった。
カーテンを開けて外を見ようとすると、窓に映る自分の姿が目に入った。
十一歳。
まだまだ子どもだ。ただ、少しだけ大人に近くなり始めている。
身長も伸びた。手足も長くなった。
魔力も成長した。読んだ本の数も増えた。
中身は、「十六歳」と気づいた時とあまり変わらない。
人の心はよくわからないし、人付き合いもよくわからない。友人のひとりもいない。
たまに会う親戚や父や母の友人からは大人になったとよく言われるけれど。
それはきっと「十六歳」になる前の自分と比べてのことだろう。小さい頃の自分はわがまま放題で、周囲を困らせていた。物語に出てくる「いじわるなお姉様」のように。
そういうお姉様は物語の中ではいつも悲惨な結末を迎える。「主人公」の妹のように清く正しく美しく生きましょうという教訓のように。
(……このまま眠ってしまったら、嫌な夢を見そうな気がする)
一番地味なローブを取り出し、頭から被る。闇に紛れるための真っ黒なローブ。
アストレアは誰にも見つからないように屋敷の地下に降り、秘密の隠し通路を通って屋敷の外へ出た。