06 【11歳】ルシーズ
魔法の自己鍛錬を始めて五年。
薪を一瞬で燃やし尽せるほどになったころ、アストレアは十一歳になっていた。
そして、行き詰まりを感じていた。
魔導研究部屋の机に突っ伏し、魔導書をぱらぱらとめくる。
偉大なる先祖が遺してくださったこの魔導書は、最初こそそれなりに丁寧に書かれていたものの途中から完全に覚書を記すものとなり、最後のほうは何も書かれていなかった。
大量の研究ノートもアストレアには意味不明の宝の山のままである。
なにせ、一般的な言葉がほとんどない。おそらくは古代の言い回しや、造語ばかりが書かれている。
「いまのままだと火打石にしかなれないわ。師がいればなぁ」
自分の能力が強いか弱いか。どんな方向に発展できるか。道を示してくれる存在がいてくれれば。
いまのアストレアは火をつけて燃やすだけの能力しかない。
五年自己鍛錬して、火力は強くなっても応用力はない。
魔導院にいけば、何かは確実に変わる。
けれどまだジークフリートとの約束を破ることはできなかった。
「いまはまだ私の先生はひいお祖母様ね」
遺してくれた魔導書の後ろのほうのメモ書き部分をぱらぱらとめくる。何か新しい閃きが降りてこないかと。
――闇を燃やす炎。
ふと、その文字が目に留まる。
闇を燃やす炎とは、珍しい言い回しだと思った。闇を払うのは光のはずだ。
魔力の元素の属性は地水風火、そして光と闇。
闇を払うのは光。火も光を発するが、闇と対と考えられているのは光だけだ。
「ものではなく、元素を、それも闇の元素だけを燃やす……」
足は自然と魔法陣の中に向かう。
魔法に大切なもの。それは想像する力。想像を現実化させる意思。最後に魔力。魔力だけは先天的な才能で、あとはすべて努力で伸ばせる。
イメージする。
いつも目にする赤い炎ではなく、白い炎を。
熱くもなく冷たくもなく。
何も燃やせないが、燃えないものを燃やせる。闇の中に火を灯せるもの。
光によく似た、いいえ。光の、源。
「星の風」
闇夜を照らす灯火。
目を焼くほどに強くはないけれど、決して闇に飲み込まれない星の輝き。その息吹。
ふわり、と。
真っ白な炎がアストレアの手の上に生まれる。
熱くもなく冷たくもない。まばゆくもなく、闇の中で咲く花のような。
きれいな火だった。
「ランタンがないときは便利かな」
ゆらゆらと揺らめくさまが愛おしい。
強い光ではないから、ランタンとしても足元を照らすには光量が足りなさそうではあるが。
夜に本を読むのにいいかもしれない。そう思うと頼もしい相棒の気がして、笑みがこぼれた。
##
白銀の週、光の日は継承者会議。
いまだ次の女王は決まらず、今月もまた継承者会議が開かれる。五年もたてば候補者の顔ぶれも少しずつ変わっていく。十八歳になり成人を迎えたものは、自動的に順位を失う。現在アストレアの継承順位も九位。エリスは十二位。
人が入れ替わろうと、継承順位が上がろうと、アストレアの行動に変化はない。
どこの輪にも入らずに、邪魔にならないところで読書をする。本日はサロンの隅にある目立たないソファ。
たまに挨拶はするしされるが、誰かと盛り上がることはないし周りも慣れたのか背景として扱ってくれている。
「ちょっとそこのあなた。邪魔なのですけれど」
めずらしく、声をかけられた。
驚いて顔を上げると、ルシーズが怖い顔で立っていた。
ルシーズはアストレアの一つ年上の十二歳。継承順位は六位。さらさらした金髪の美しい少女で、同世代の中では中心的存在だ。ルシーズと特に仲の良い令嬢が三人、ルシーズの後ろに並んでアストレアを友好的とは言えない眼差しで見ている。
「それは失礼しました」
友人たちといっしょに座りたかったのだろう。他にも座る場所はたくさんあるけれど、ここが良い理由があるのだろう。
ひとりで占拠して申し訳ないことをした。さらに隅っこの邪魔にならないところにいこうと立ち上がる。
「待ちなさい。あなた、どういうつもりなのかしら。大切な会議の日に毎回毎回本を読んでばかり。女王候補の自覚はないの」
アストレアはびっくりした。
いままで会議でのアストレアの振る舞いに苦言を呈してきた人はいなかった。なんて真面目で心優しいのだろう。わざわざ他の候補者の心配をしてくれるなんて。
ルシーズは青い瞳できつく睨みつけてくる。心の底からの怒りを燃やして。
「あなたは女王にふさわしくないわ。女王は美しく賢く、皆に愛され、人々の中心にならなくてはならないの。あなたにはそうなろうとする気持ちさえ見えない。邪魔なのよ。はやく辞退してちょうだい」
「気に触ったのなら謝ります。でも、誰が女王にふさわしいとかふさわしくないとかなんて、私たちが決めることではないと思います」
熱心に忠告してもらえるのは嬉しい。けれど誰が女王にふさわしいかを決めるのは、女王陛下や貴族院の大人たちだ。
候補者たちが勝手に基準を決めて、そぐわないものを切り捨てていいものではない。
ルシーズはますます怒りの炎を強くした。
「どうしてあなたみたいな人が……!」
唇を噛んで、アストレアに背を向ける。
いっしょにいた友人たちもルシーズの後ろについていった。
##
城から帰る馬車の中。
アストレアは窓から見える王城をぼんやりと眺める。
ルシーズに言われたことが、頭の中で何度も繰り返される。
女王にふさわしい人とはなんだろう。
王とは、なんだろう。
国の最高権力者とは、どういった存在であるべきなのか。
女王の後継者候補だというのに、その問いと初めて真剣に向き合った気がした。
いまの女王陛下は素晴らしいお方だと皆が言う。アストレアもそう思う。聡明で公正で気高く、王国のもっとも貴き存在。
自分はそうなれるかと問うことさえおこがましいような。
「おねえさま、だいじょうぶですか?」
同じ馬車に乗っているエリスが、心配そうに声をかけてきた。よほど心ここにあらずという感じだったのか。
「ルシーズ様は王甥殿下とお近づきになりたいから、おねえさまに嫉妬しているのです」
「えっ? そうなの?」
まさかの方向からの情報だった。
アストレアには、ルシーズは純粋に女王候補という地位に誇りを持っていて、だからこそアストレアに立腹しているように見えた。
それは間違いではないと思う。そしてエリスの言葉もきっと間違いではない。
ジークフリートとアストレアの関係は、五年たっても変わっていない。主役と背景。暴君と子分。かなり力関係に差がある友人。羨ましがられるものではない。
ルシーズとジークフリートの関係は知らないが、アストレアとのそれよりもよほど対等なものだろう。対等なものを築いていけるはずだ。
「私はだいじょうぶよ。少し考え事をしていただけ。エリスは何かあったの?」
大きな瞳が更に大きく丸くなる。
いつもよりそわそわしているというか、落ち着きがないというか、それくらいアストレアにもわかる。
「懐かしい方とお会いできたんです」
頬が赤く染まっている。色づき始めたつぼみのようなかわいらしさだった。
「よかったじゃない」
「それで、その、おねえさまにお願いがあって……いや、やっぱり、まだいいです……!」
首まで真っ赤に染めてうつむく。
いったい何があったのだろう。
「そう。いつでも言ってね。私にできることなら協力するわ」