04 魔力の目覚め
王城の図書館への入館許可を得たアストレアは、水の日には欠かさず登城するようになった。
一日中図書館にこもって持ち出し不可の貴重な本を読んでいたいが、もちろんそれを許すジークフリートではなかった。
アストレアは半ば強引に書架の間から引きずり出され、ジークフリートの剣術稽古の傍らに置かれることになる。
もちろん稽古の役には立たないし、危険なので充分離れて安全性が確保された場所に、であったが。
そうしてアストレアの水の日は、図書館から借りた本を読みながらジークフリートの剣術稽古の背景になるのが定番になっていた。
(私がここにいる意味はあるのかしら)
甚だ疑問だが、両親も剣術指南役もこれを良しとしている。
稽古の時間さえ終わればあとは自由で、図書館に戻り貴重な読書を思う存分楽しめるから、文句はない。
めずらしくジークフリートが駆け寄ってくる。
「おいレア、いまの見てたか?」
汗が浮かんだ顔を喜びで満たして、身を乗り出して聞いてくる。
「いいえ」
「ちゃんと見てろよ。せっかく初めて一本取ったのに」
「剣なんてわかりません。動きなんて見えないですし怖いです」
剣をガンガンキンキンとぶつけ合って戦っている姿を見せられても、何が起こっているかわからないし、本当は音だけでもう怖い。
だから稽古の最中はいつもよりも集中して本の世界に入り込んでいる。
だがそうしようとしても、音は聞こえる。
姿を目で追ってしまうこともある。
手厳しくやられたときの悔しそうな顔を知っている。
彼の努力を知っている。
八歳の子どもが、ハンデがあったとしても指南役に勝つというのはすごいことだ。王族の指南役なのだからもちろん弱いわけではないだろうし、そうでなくても大人と子ども。体格も経験も途方もない差があるというのに。
「剣はわかりませんが」
アストレアは本を膝の上に置いて、不貞腐れているジークフリートを見上げた。
「あなたがどんどん強くなっていることはわかります。さすがはジーク様です」
素直に感心して褒めると、ジークフリートは得意満面になる。
「わかればいいんだ、わかれば」
「ほら、先生が待っていらっしゃいますよ。騎士様とは礼を尽くすものではなかったですか」
指南役のところに急いで戻っていくジークフリートの背中が、まぶしい。
彼の成長は若木のように明るく、正しい。しっかりと根を張り、まっすぐに伸びて、いつか王国を支える大樹となるだろう。
自分とは違うから、まぶしく感じる。
自分はといえば、読んだ本の数は増えれども、一向に成長している気がしない。
六歳の自分に十六歳の意識が入っているからなのか、心と身体が噛み合っていないため、どれだけ日が経っても、本を読んでも、同じ場所で足踏みしている気がして仕方がない。
その足元すら、泥たまりのようにぐらぐらだ。
アストレアには自分を支える芯がない。
「私には何ができるのかしら」
ひとり呟く。
自分の立場を考えれば次期女王を目指すべき。
しかしその目標はあまりにも遠すぎて、道筋が不確かで。
もどかしさを振り払うために、アストレアは本の世界に戻る。
##
次の週の水の日。
その日の剣術稽古は休みだった。どうやら指南役が変わるらしく、その準備が間に合わなかったため毎日行っている基本の練習だけで終わったらしい。
なら今日はひとりでゆっくり図書館に籠もり放題かと思ったが、そんなわけがない。
アストレアが連れてこられたのは、ジークフリートいわく「秘密の場所」だった。
城の中から人気のない回廊を通って向かった先は、西の塔だった。
かつては貴人を閉じ込めるために作られたという場所。別名、墜落の塔。
(絶対近づきたくない場所なのですが)
本で読んだ数々の逸話や怖い話を思い出しながら、引きつった顔でついていく。
「ここなら誰も来ないし、もし来てもすぐわかる」
ジークフリートは得意げに塔の入口を開ける。厳重そうな鍵は壊れていてあっさりと開く。
希望が打ち砕かれるときとは、こんなにも容赦のないものなのか。
中は螺旋階段が上まで伸びていた。
最初に思い浮かんだのは巻貝の貝殻。
ぐるりと一回転した場所に踊り場があり、部屋がある。踊り場の数は三つ。三階建ての塔だった。
推測だが、一番上は貴人の部屋、真ん中が使用人の部屋、一番下が兵士の部屋になるのだろう。
ジークフリートはなんの悩みもなくどんどん階段を登っていく。よほどここに慣れているのか、足取りに一瞬の躊躇もない。
引きこもり系令嬢にはつらい道のりだったが、ジークフリートにはこちらを気遣う様子はまったくない。
アストレアも意地になって弱音を吐くことなくついていく。
誰もこないに場所にしては埃っぽくもなく、よく掃除されているなと思いながら。
ジークフリートは一番上の踊り場まできて、しかし部屋の扉は開けない。もし誰か来たときにすぐにわかり、下からは見えない場所。
何を計画してアストレアをここに連れてきたのか、まったく読めない。
「おもしろいものを見せてやる」
息が上がったアストレアとは対象的に、汗ひとつかいていない涼しい顔でポケットに手を入れる。
中から出てきたのは小さな石だった。無色透明の、結晶。
「これは、魔力の才能を調べる貴重な石なんだってさ。俺には魔力はなかったから、これはまだ使える。欠片しか持ち出せなかったけど、まあ大丈夫だろ」
「…………」
言葉が出なかった。
輝きのない石に意識のすべてを持っていかれる。目が、離せなかった。
魔力というのは強大な力であり才能だ。魔力の持ち主は国に厳正に管理される。
魔力の測定は騎士見習いや王立学院の生徒くらいしか受けられないため、庶民の中では魔力の才能があることに気づかないまま一生を過ごすこともある。
魔力の才が認められたものは王国の魔導院で魔力を伸ばし、制御する訓練と研究に身を捧げる。それは女王の国に生まれたものの義務であり、名誉なことだ。
魔力は力である。強大な武器である。力あるものには義務がある。
既に貴き義務を持っている高位貴族は、そんなものに大切な子どもを取らせないため才能を調べさせたりしない。
だから、アストレアも試験石を見たのは初めてだった。
「試してみろ。もしお前に魔力があっても誰にも言わないから」
ジークフリートはアストレアの手を取り、手のひらに試験石を乗せる。
「…………」
包み込むように、軽く、握る。
何も起こらない。
もっと強く、力を込めた瞬間。
手の中から、炎が立ち上る。
真っ赤な炎が、目の前を染める。
熱くはない。むしろ心地よくあたたかい。
「レア!」
炎の中、ジークフリートがアストレアの手を取り指を開かせる。
炎は一瞬で消え失せ、手の中は無事で、やけどもしていない。ただ、試験石は燃え尽きて消えてしまっている。
「痛くないか?」
「はい、どこも。ジーク様は大丈夫ですか?」
「あ、ああ。試験石の炎は熱くないらしいし。本当だったな」
アストレアの手に握ったまま、試験石が消えた手のひらをじっと見つめる。
「レアは火の魔力の持ち主なんだな」
独り言のように呟くジークフリートは、なぜか、どこか寂しげに見えた。
「ジーク様、ありがとうございます。貴重な石をいただいて。このお礼はいつか必ず」
「そんなものいらない。だから、お前に魔力があること、他の誰にも言うなよ。魔導院に連れて行かれれば出てこれなくなるからな」
「はい。約束します」
「……ん」
小さな頷きと共に離された手が、遠ざかる体温が、なぜか、名残惜しいと思った。