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35 救国の英雄



 手をつないだまま。

 その手を離さないように。

 バラ園の中を歩き、突き当りの角を曲がる。少し開けた休憩所――バラに囲まれた庵とベンチがそこにあった。

 ジークフリートはアストレアをベンチに座らせる。

「俺は、お前がユリウスに襲われているのを見たとき」

「…………」

「許さないと思った。なのに……斬れなかった」

 座ったまま、ジークフリートの顔を見上げる。

 青い空に映る強張った表情があまりにも悲しくて、手を両手で握りしめた。

「私はちゃんとここにいます」

 ここに生きている。

 それを伝えるために手に力を込める。

「だからそれで良かったんです」


 ユリウスの中から魔王が消えた時も、ジークフリートはどうするべきか迷っていたように見えた。

 魔王が行なってきたことを考えれば斬るべきだと思ったのかもしれない。

 だが斬らなかった。

 それで良かったとアストレアは思う。

「騎士の剣は守るための剣でしょう? ジーク様の剣は、ずっとそうでしたもの」

 怒りや憎しみによって振るわれるものではない。

 迷いのまま振るえば、きっとジークフリートの生涯に暗い影を落としただろう。そんな姿は見たくなかった。


「ユリウス様に大切な剣を渡したのも、そのつもりだったんでしょう」

 ――ユリウスが追放されるとき、その直前に、ジークフリートは愛用していた剣をユリウスに与えたと聞いている。

 記憶を失い、すべてを失い、身に覚えのない罪で国を追われる青年に、守護剣として渡したのだと。 

 これからユリウスの行く道はきっと多くの苦難があるだろう。何もない旅路をその剣と、押しかけていったエリスが支えていくはずだ。

 大罪を犯した者にこんな感情を持っていいのかわからないが――

(それでも生きてほしいと願ってしまう)

 どれだけ困難な道でも。


「記憶を失ったあいつは、俺の顔を見ても誰だかわかっていなかった」

「…………」

 ユリウスは六年分の記憶が消えている。

 ジークフリートの従者だった時の記憶はすべて。

「いまの俺にしてやれるのは、あれくらいだからな」

「きっと支えになります」

 寂しげな手をぎゅっと握る。

「覚えていなくてもか」

「覚えていないからこそです。忘れてしまっても、確かにその時間は存在したという証ですから」

「……そうか」




「あと、その、エリスのことは、その、元気出してください」

「お前の妹がどうかしたのか?」

 不思議そうな顔をする。こちらが不思議になるくらい。

 なんだろうその動揺のなさは。

「舞踏会で逢引きしてたじゃないですか。ジーク様は、その、エリスのことが好き……なんでしょう?」

「なっ……! あれは、お前が呼んでいるとユリウスに聞いて――お前の妹もだ! ユリウスに呼び出されてあそこにいたと言っていたぞ!」

「ああ、なるほど……罠だったんですね。随分と地道なことを……」

 アストレアにショックを受けさせて、付け入る隙をつくるための罠。なんて地道な工作なのか。

 それでもあの光景を見て魔女化しかけたのだから、狙いは正しかったと言える。

(それにしても)

 ここまで動揺しているところを見ると、やはり好きだったのではないだろうか。自覚がなくても。


「わかったような顔をするな! お前の妹の剣は大したものだと思う。騎士団の連中も、父上も褒めてた。騎士叙勲ものだと。だが、恋愛的な感情はない!」

「わかりました」

 そういうことにしておこう。

「わかっていないだろう」

「いえ、ちゃんとわかっています」

「そもそも俺にそんな権利は――」

 言いかけて、黙る。言うつもりのなかったことを口にしてしまったことに気づいたかのように。


(――ああ、やっぱり)

 ジークフリートはきっと、誰かと幸せになるような権利はないと思っている。

 婚約は、本人の言っていた通り周囲に無理やり進められて仕方なく、アストレアが断ることがわかってて相手に選んだのだろう。

(そんなの悲しい)

 怒りよりも悲しくなった。

 ジークフリートはたくさんの人を助けてきたのに、助けられなかった人々のことを悔やんでいる。

 その問題は国を救った功績により不問になったと、アストレアはウォーロックから聞いている。英雄を処罰などできないと。

 だが当人は一生それを背負い、一生幸せに過ごす気などないのだ。それが当然だと思っている。

 それが悲しい。

 そんな贖罪は悲しい。


「私があんな分不相応なお願いをしなければ、ジーク様お一人で背負うことなどなかったのでしょうね……」

 十一歳の子どもが、周りの苦労も苦しみも何も知らずに、闇と戦いたいだなんて。自分の責務を果たしたいだなんて。

「レア、それは――」

「先生に聞いたのですが」

 違うと言われる前に、不躾に言葉を遮る。

「今回は魔王が完全に育つ前に倒された影響なのか、世界に溜まっている闇があまり浄化されていないんですって。だからまた近いうちに魔王が誕生するかもしれないって、おっしゃられていました」

「なんだと……?」


「もしかしたら、のお話ですけれど。救国の英雄も、炎の聖女も、お互いまだまだ休めませんね」

「その呼び方はやめろ……」

 アストレアが炎の聖女と呼ばれているように、ジークフリートも救国の英雄と呼ばれている。

 これもまた誰が広めだしたかはわかっていない。アストレアはウォーロックから聞いていたが。

 本人はとても居心地が悪い思いをしていることも共通していた。

「ふふっ。ジーク様は私の英雄です。ずっと前から」

 十年前から。

 もしかしたら、もっとずっと前から。

「ずっと前から、私の大好きなひとです」


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