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34 炎の聖女



 建国祭から一週間後。

 王城は平穏な姿を取り戻しつつあった。

 ユリウスは二日間続いた眠りから目覚めた後、魔導院長直々の慎重な調査により、記憶が失われているのがわかった。ユリウスの両親が死んだ直後からの、十二歳から十八歳まで、約六年の記憶がすべて失われていたのだ。

 おそらくその頃に魔王の核と接触したのだろうというのが魔導院長の判断だった。

 魔王の影響だったとしても、記憶が喪失したとしても、犯した罪が消えるわけではない。


 直接的なもの、間接的なもの、全て含めれば、何人にどれだけの危害を加えたのかすら把握できないほどの重大な罪。

 ユリウスは王国を混乱に陥れた罰として、身分剝奪の上、その日に国外追放となった。生家のレスター家は取り潰すまでもなく、すでに一族は滅びていたという。五年前から少しずつ、壊れ、綻び。家人は消え、使用人も屋敷を去り、建国祭の夜には誰もいなくなっていたという。


 ユリウスの極刑を強く望む声も多数あったが、魔王の器だったものを国内で始末するとどんな影響があるのかわからないという意見もあり、最終的には女王が国外追放の判断を下した。

 極刑こそ免れたものの、親類縁者は既に絶え、頼る者も助ける者もおらず、生きるための知識も記憶もない状態での追放だ。実質処刑にほかならない。


 そして追放されるユリウスに、エリスがついていってしまった。

 アストレアは建国祭のあと三日三晩眠り続け、やっと意識を取り戻したときに最初に聞いたのがエリスの家出だった。家族や友人、使用人に当てた手紙も残されていたので、かなり以前からの計画的なものだったかもしれない。

 驚きはしたが、納得せざるを得なかった。

(あの子はそういう子だもの)

 一途で前向きで破天荒で。そうまるで、三女神の末妹のように。

 寂しくはあるが、エリスならきっと幸せになるだろう。

(エリスが幸せじゃない姿なんて想像できないわ)

 エリスは強い。

 どんな場所でも、どんな時でも、自分で自分を咲かせ、輝くことができる。




 王城の回廊をひとり歩く。

 あちこちで木々や小さな森が消失しているし、建物にヒビが入っている場所もある。美しい王城は戦火で焼かれたかのような姿となっていた。

 しかし、眩しい青空の下、大勢の職人が入り復興に向かっている姿を見ていると、人の強さを感じられて嬉しくなる。その姿はただ整い、美しいだけのものより、何倍も輝いていた。

 幸いなことに、魔王が顕現したあの夜にも犠牲者はひとりも出なかった。闇落ちした人間が城内に何人も現れたようだが、魔導院が開発していた新しい魔法で浄化できたため、死者や重傷者は出なかったらしい。


「もう動き回っていいのか? 炎の聖女様」

 横からの声に、アストレアは足を止めてそちらを見た。

「ジーク様だけにはそう呼ばれたくありません」

 建国祭以降――

 アストレアは「炎の聖女」という二つ名で呼ばれている。魔王と戦った時のことはジークフリートしか知らないはずなのだが、炎で闇を払い、魔王を浄化した聖女として、何故かその話が広まり、讃えられてしまっている。


(たぶん先生の仕業だろうけれど……)

 新しい魔法アストライアーが大々的に活躍したこともあり、それがアストレアの存在と重ねられている気配がある。

 大広間で騎士団や魔導士ともに剣で大立ち回りをしたというエリスの方が聖女と呼ばれそうなものなのだが――エリスはもう国にはいない。

 だからその分も期待や希望がアストレアにかかってきているのかもしれない。

 次の女王はアストレアではないかという噂まで広がっているという。

 アストレアの肩には重いが、それで背を丸めるわけにはいかない。

 凛とあれ。母のように。女王のように。


 ジークフリートを見上げる。

 疲労の色が少し残っている気がした。

「もう体調の方は万全です。ジーク様は?」

「最初からなんともない。……少し歩けるか?」

「もちろん」

 頷くと、隣に来たジークフリートに手を差し伸べられる。

 アストレアは込み上げるものがあったが、親切心だと受け止め、手に手を重ねた。

 横に並んで、ふと気づく。

 佩いているのがいつもの剣ではないことに。



##



 ジークフリートに連れてこられた先は、宮殿近くのバラ園だった。

 ここも無傷ではなく、消えてしまっているバラもあった。だが残っているバラも多くある。アストレアが大好きな、女王の名前を冠したバラも。

「きれい……」

 懸命に、色鮮やかに咲き続ける花に、感嘆の声が零れた。

「あ、私が休んでいる間もお花を贈ってくださったみたいで、ありがとうございます」

 建国祭の夜、魔力切れで三日三晩眠り続けていた間にも、ジークフリートは毎日花を贈ってくれたと聞いた。

 目が覚めたときも、寝室は生命力に溢れた花に囲まれていた。

 ジークフリートは曖昧な返事をし、振り返らないままバラ園の奥へ歩き続ける。

 その足が、ふと止まった。


「レア。お前は……ユリウスのことが憎くはないのか」

「いまはただ、寂しいです」

 少し考えたあと、アストレアは素直な気持ちを言葉にした。

 多くの人を不幸にしたのは事実だ。被害者はわかっているだけでも十二名。

 ルシーズもタチアナも、アストレアがいなければきっとその中に加わっていた。決して許されることではない。

 ないのだが――

 魔王は魔王でしかない。そういう存在として世界によって生み出される。

 その宿命を、どう思えばいいのだろう。どう受け止めればいいのだろう。


「ユリウス様は……ひどいことをしたと思います」

「そうだな」

「思いますが……憎いというより、悲しいです」

「同情しているのか」

 首を横に振る。

「同情……ではないと思います。私にはユリウス様の心の内はわかりません」

 どんな話も、噂も、呪いの言葉も。ユリウスの心の本当のところなどわからない。

「……なら、どうしてそんな風に思える」

「泣いていたんですもの」

「泣いていた?」

 意外そうに繰り返す。

 頷く。

「私にはそう聞こえました。ユリウス様自身の声か、魔王となったユリウス様の声かは、もうわかりませんけれど」

「……そうか」

 子どものように泣いていた声を忘れることはできない。その声を思うとき、胸に生まれるのは憐憫の情だった。

 誰だって、望んで魔王になろうとはきっとしない。一時的な気の迷いはあるだろう。それでも、ずっと昏い衝動を持ち続けられるものはいないから。

 人は光を求める。あたたかさを、太陽を求める。

 前を向こうとする心を、闇に繋ぎ留め続ける楔。撃ち込まれ続ける負の衝動。魔王がもしそんな存在だとしたら。

(きっと私も正気ではいられない)

 それは予感ではない。確信だった。


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