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33 騎士の剣


 ――夢を見ていた気がする。

 一瞬のようで、一生のような。

 長い、長い夢。


 満ちる。

 冷たかった身体に熱い熱が。

 目覚める。

 ずっと眠っていた衝動が。

 風が吹き、赤き炎が白へと変わる。ただ闇を焼く白い炎へと。

 立てる。

 力の入らなかった身体を起こし、ユリウスと向き合う。

 揺れる。

 視界が自らの熱によって。

 窓の外には暗い空。地上には建国を祝う光。命の光。アストレアが守るべき光。

「馬鹿な……なぜ、どうして」

 冷酷な感情だけを湛えていた瞳は見開かれ、アストレアを信じられないものを――まるで化け物を見るかのような眼差しで見ていた。


「騎士の剣は守るべきものがある限り折れない」

 折れてはいけない。

 かつてユリウス自身から教えてもらった騎士道。

 アストレアは騎士ではないが、騎士道には、その矜持には共感できた。だからよく覚えていた。

 だからこそ、いまのユリウスを許せない。

「いますぐこの馬鹿げた八つ当たりをやめてください」


 遠くから聞こえる悲鳴。

 城に漂う闇の気配。

 大広間で何が起こっているのか想像できる。アストレア自身が何度も目にしてきた闇の力が、王城の人々を苦しめている。

「八つ当たりだって?」

「あなたには同情します。ですがそれは他人を傷つける理由にはならない。あなたが騎士だろうと、魔王だろうと、何者でもなくても」


「レア!」

 力強く引っ張られる。

 アストレアの立っていた場所に鋭い斬撃が走る。床に竜の爪痕のような軌跡が生まれた。

 ユリウスの真後ろの影が大きくなる。影とは思えぬ大きさと動きで悪い夢のように揺らめいた。

「守るものを見捨てた騎士と、出来損ないの魔女が」

 ユリウスの顔からいつも浮かんでいた微笑が消えていた。

 この世のすべてを憎悪する目が、アストレアとジークフリートに向けられた。

「見捨ててなんかいません! ジーク様はいつだって――」

 前に出ようとしたところを押し止められる。

「お前は下がっていろ!」

 ユリウスの足元に広がる暗闇から手のようなものが伸びる。

 剣が抜かれる。銀の閃光が、木の枝のように節くれだったそれを切り払った。

 断たれた闇はアストレアの残り火で焼かれ、消える。


「もう終わりだ……なにもかも、すべて」

 地の底から響く低い声。

 ユリウスの姿が、背後にいた影に取り込まれる。影は本体を得てより濃くなり、より異形の姿となった。

 頭に角のようなものが生え、体躯が一回り以上大きくなる。全身からは漆黒の炎のように闇が立ち上り、目だけが赤く鋭く輝く。

 そこにいるのはもう人間ではない。

 異形の魔物の姿。

(魔王……?)

 その言葉が自然に浮かんでくるほど、その異様さはいままで読んだ本の中の魔王と言う存在によく似ていた。

 風が吹く。

 室内に、魔力の風が吹きすさぶ。


「星の――風よ!」

 アストレアは白い炎を起こし、吹き付けてくる闇の魔力を燃やして防いだ。

 そのまま押し切ろうと思ったが、魔力の質量が圧倒的に違う。アストレア自身とジークフリートを守るだけで精いっぱいだった。

 近づけないほどの濃い魔力。

 部屋の窓が割れる。窓の外が、空が、暗闇よりも暗く。

 うごめく手が、外の樹の枝に絡まりつくと一瞬で樹の姿が消えた。命を刈り取っているのだと、わかった。

 これが世界の理と対峙するということなのか。

 魔王という理に対抗するには、勇者という理でしか無理なのか。

(そんなことない)

 吹き付ける純粋な暴力が、壁を、床を、城を闇に染めていく。アストレアの炎など些末事と言わんばかりに。

 その光景に、違和感を覚えた。

 この魔力量の差なら、決定的な一撃を放たれればアストレアは対抗できない。確実に敗れるはずなのに。どうして魔王はそうしないのか。

 ――声が、聞こえた気がした。

 アストレアは胸に痛みを覚えた。 


(泣いている……?)

 ――ああ、そうだ。

 いままでだって、闇に落ちた人々は泣いていた。声なき声で泣いていた。

 目の前の魔王は――違う、ユリウスはきっと泣いている。だからこんなにも悲しみが胸を締め付ける。

 堕ちたくて堕ちる人なんていない。

 闇は一瞬の隙をついて心の中に潜り込み、楔となって心を穿ち続けるのだろう。

 その痛みはアストレアには想像できない。

「…………」

 左手を見る。

 竜の涙から生まれたという青い魔石が光っていた。

 アストレアの魔力では足りなくても、この魔石ならきっと――


「ジーク様、行きましょう」

 魔力を通した剣で、うごめく手を斬り払っていたジークフリートに声をかける。

 自分でも驚くほどに落ち着いた声だった。

「信じていますから。相手がもし魔王だとしても怖くありません」



 両手を魔王へと、その奥にいるユリウスへと伸ばす。

 ――いままで。

(私が未熟だから力になれなかった)

 けれど、もう違う。

(私も、この国も、歴史も。この世界のすべての力で)

 炎を燃やす。

 自分の中にある炎。

 命さえ薪にして、すべての力と魔力を白き炎へ。

(魔王なんてものに打ち勝ってみせるから)

 指輪が青く光る。

 流れ込んでくる。自分の持つ以上の力が。

 燃えろ、星の炎よ。原初の闇を照らすほどに。

 大切なものを守る。たとえ命に代えても。

 自分自身との約束を、果たしてみせる。

「覚悟、しなさい!」


 燃えろ。燃えろ。

 星の炎よ。


 空が白く光る。光が厚い雲を突き抜け、たった一時、すべての闇を消し、世界を白く照らした。

 魔王を構成していた闇すらも、すべて。



 纏っていた異形の影が消え、人間の姿を取り戻したユリウスの身体がゆっくりと倒れる。

 開かれた口の中から、どろりとした何かが這い出してくる。

 黒い泥のようで、丸いかたちの漆黒の闇。

「ジーク様……!」

 アストレアは倒れそうになるのを一瞬耐えて、走り出したジークフリートの剣に星炎を通す。


 白き炎を纒った剣は、闇の塊を両断する。

 まっすぐな、歪みのない軌跡。

 闇の塊が一瞬灰色に変化し、ヒビが入った。ガラスの割れるような音を立てて、崩れ、霧散する。

「消え、た……?」

 静かだった。

 何もかもが動きをなくし、ただ時だけが流れる。アストレアは穏やかな静けさの中、その場に座り込んだ。



##



「お姉様!」

 静寂の中に透き通った声が響く。

「エリス?」

 声の方を振り返ると、エリスが走ってくるのが見えた。

 手には細剣。ドレスの裾は走りやすいように裂かれている。服や髪のあちこちに焦げた跡があり、額には汗が浮かび、綺麗に結っていた髪は乱れている。

 激しい戦闘の痕跡だ。

 剣はエリスが使い慣れているものだ。ドレスの下に仕込んでいたのだろうか。

 そしてその剣でついさっきまで戦っていたのだろう。

 エリスは息を切らせてアストレアの元へ走ってくる。

 アストレアはまだこの妹を理解していなかったかもしれない。


「他の場所は心配するなと、ウォーロック先生が。ユリウス様は?――ユリウス様!」

 意識を失っているユリウスの元へすくまさま駆け寄り、すぐそばで膝をついて顔を覗き込む。

 血の気がなくなっていたユリウスの顔は、少しずつ赤みを取り戻しつつあった。

 その頬には、幾筋もの涙の跡。

 瞼が震え、ゆっくりと開かれていく。宝石のような青い瞳が、虚空をさまよい、エリスを映す。

「あなたは誰……?」

 問いかける声は無垢な子どものようで。

 透き通った瞳は、不思議そうにエリスを見ている。

「ユリウス、様……?」

 エリスの苦しそうな声が、アストレアの胸を締め付ける。

「うっ……父上……母上……」

 ユリウスは顔を顰め、両手で頭を抱えて。そしてそのまま意識を失った。

 エリスは静かにその姿を見つめ、頭をやさしく撫でた。

「……だいじょうぶです。わたくしがお守りしますから」




 ジークフリートは剣を携えたまま、ずっとユリウスを見ていた。

 何も言わない、悲しそうな顔で。

 アストレアは胸が締め付けられる。

 抱きしめたいのに、身体が動かない。それどころかもう、起きていられない。

 ゆっくりと焦げた絨毯の上に横になる。

 割れた窓から見えた夜空は、青く晴れ渡っていて。

 顔の横に置いた左手にある指輪が、星の光を受けて光っていた。中にあった星が消えてしまっても、石は美しく輝いていた。



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