28 お見舞い
全身から力が抜けて膝から崩れ落ちそうになったところを、ジークフリートに受け止められた。
そのまま抱き上げられ、横抱きの体勢となる。降ろしてと強がる余力すらない。いままで感じたことのない倦怠感が全身を襲った。
「いやぁ君は魔力持ちだったんだねぇ。全然気づかなかったよ。素晴らしい、闇がすべて払われているじゃないか」
静かに横たわるタチアナの傍らに意気揚々と歩み寄り、両手両足の拘束と目隠しを外す。
目隠しを外されたことで、タチアナは意識を取り戻した。瞼を重そうに開き、焦点の定まらない視線を漂わせる。
「あ……わたし、は……?」
「言語機能も問題なし」
指先で軽く額を押す。
その瞬間、再び瞼が閉じられる。
「はい、おやすみ。まだ家には帰せないが、療養所に移れるよ」
規則正しい寝息を繰り返すタチアナにやさしく声をかける。寝顔はとても安らかなものだった。
「さて、と。これから実用化に向けて進めてみるよ。魔法というのは素質が大きいから、火の魔力があるものすべてが星炎アストライアーを使えるわけではないが」
「アストライアー?」
ジークフリートが訝しげに繰り返す。
アストレアは顔を伏せ、表情を見られないように努めた。
「……そんなに複雑な魔法ではないと思うのですが」
顔を伏せたまま問いかける。声は思っていた以上に弱々しくなっていた。
ランタンの魔法の出力を最大限にまで上げて、闇を吹き飛ばしているだけだ。
他の魔法のことはよくわからないが、魔導に関してはほとんど素人のアストレアが使えるのだから、魔導士なら簡単に使えそうなものなのだが。
「火の魔法を使うとしたら、普通の魔導士はそのための魔導が内に完成されている。アストライアーは普通の火とは理屈がかなり違うから、熟練の魔導士ほど習得に苦労するだろうな」
――つまり、アストレアは魔導の勉強をしていない素人だからこそ、普通の理屈とは違う魔法が使えたということらしい。
「先生。私も魔物と戦います」
いま闇落ちから救える魔法を使えるのが自分だけならば、やはり自分が動かなければならない。
戦うのは怖い。怖いが、傍観しているのはもっと恐ろしい。身体が傷つくことよりも、よっぽど。
「君を戦いに出すつもりはないよ。普通に邪魔だし」
決意はバッサリと切り捨てられる。
「ハハッ。こちらも命がかかっているからねぇ。女王候補に万が一のことがあれば私の首が飛ぶ。物理で」
「物理で」
背筋が凍る。嫌な想像が頭の中を駆け巡った。
継承者会議の時以外はほとんど自覚していないが、アストレアもまだ次期女王に選ばれる可能性のある貴族だ。ありえないとは言い切れない。
自分がリスクを負うのは平気だが、他者に多大なリスクを負わせることはできない。
「それに、いまの段階で君の力を表沙汰にすれば、魔王側に狙われる恐れがある。君は弱いから真っ先に殺されるだろう。だからヴィルヘルムは君を秘匿し、保護していた――そういうことだろう?」
にっこりと笑い、ジークフリートの顔を見る。
ウォーロックは『ジークフリートはアストレアを魔王から守るために、魔力持ちであることを隠していた』というストーリーを描こうとしている。
「そう来たか」
「飲み込めよヴィルヘルム」
老練の魔導士は決定事項と言わんばかりの重みを声に含める。
「清濁併せ呑んで正義を掲げるのが、上に立つ者の役目だぞ」
ジークフリートは答えなかった。
ウォーロックの言葉はいつも正道がある。
ただし正道は個人の正義といつも合致するものではない。
「君が青い正義に殉じようとも勝手だが、残されるもののことも考えてみたまえ。守るべきものは何なのかを」
「…………」
「アストレア君は、どうしても戦いたいなら、もっと強くなりなさい。魔力切れで倒れるようなお子様はいらないよ」
ぐうの音も出ない。
アストレアは弱い。そのうえ自分の責任を取ることもできない子どもだ。いまだって立つこともできずにジークフリートに抱えられている。
勇ましく吠えるには実力が全然足りない。
「けど、うまく闇落ちを捕らえられたときは君の力も借りるかも」
「……はい! 私にできることは、全部やります!」
「うん、頼もしい」
ウォーロックは嬉しそうに頷く。
「その指輪。加護の魔石だね」
節くれだった指がアストレアの指輪を差す。
「竜の涙からできたとも言われるヴィルヘルム家の至宝だ。大切にしなさい」
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その夜は宮殿の客室で過ごした。
翌朝には問題なく動けるほどまでには回復し、屋敷に戻ったが、戻った瞬間熱を出して寝込んでしまうことになる。
おそらくは連日の魔力切れの余波で、体力が尽きたのが原因だ。
自室のベッドで休みながら、アストレアはウォーロックに言われた言葉を実感していた。
――魔力切れで倒れるようなお子様。
(身に染みる……)
熱が出たときのように立ち上がるとふらふらしてしまう。本を読んでいても頭が揺れるので読書も書き物もできない。
無為な時間を過ごしているとアストレア付きのメイドが部屋に入ってきた。
「ジークフリート殿下がいらっしゃいました」
婚約者の肩書きは便利だ。
自室に呼ぶことも、人払いをすることも咎められることがない。
「ごめんなさい。こんな格好で。少し疲れて熱が出ただけなのでお気になさらず」
ベッドに座ったまま、寝着にストールを肩にかけた格好で婚約者を迎える。
「大した用じゃない。様子を見にきただけだ。すぐ戻る」
言って椅子も固辞し、部屋を満たしている花を眺める。
「すごいな」
「きれいでしょう?」
毎日贈られてくる花は、毎日メイドがきちんとアストレアの部屋に飾ってくれる。毎日丁寧に世話をしてくれているから花持ちもいい。だから、アストレアの部屋は花でいっぱいだ。
入りきらないものや香りの強いものは他の場所に――普段目につく場所に飾ってある。
「ジーク様、もう少しこちらに来ていただけますか? あ、もう少し」
入口のところに立ったままだったジークフリートをベッドのすぐ近くまで呼ぶ。
人払いはしてあるが、声を落として言う。
「ジーク様、闇落ちしているのは貴族街に住む人ばかりなのでしょうか」
アストレアが最初に出会った闇落ちは、貴族街で働いていたメイドだった。
心が弱っていることが闇に狙われる理由となるのなら、対象は住んでいる場所に因らないはずだ。
「市街も調査はしているが、いまのところそういう例はない」
「そうですか……」
ひとまず安心する。
「魔王の正体は不明だが、貴族と関わりが深いのには間違いないだろう。それでも対象者が多すぎて絞り切れないのが現状だがな」
せめて闇落ちしていた人間が、直前のことを覚えていれば何らかの手掛かりが得られるはずなのだが。アストレアが出会った人々は、何も覚えていなかった。
タチアナも、前回の継承者会議でアストレアと話をしたことすら忘れてしまっていた。
星炎はおそらく、闇に触れた時点の記憶から焼却してしまう。
頭がぐらりと揺れる。熱が上がってきたかもしれない。
「いまは休むことを優先しろ」
「はい……」
頷き、ベッドに横たわる。
熱のせいか、視界まで霞んできた。ジークフリートの、どこか悩んでいるかのような顔も、おぼろげになってくる。
「……レア。俺はお前が弱いとは思わない。なんというか、勇気がある」
かなり言葉を探して褒めようとしてくれている。
「ただ、なんでも自分でやろうとするな」
それはアストレアがジークフリートに言ったことだ。
――万能な存在なんていない。神も竜も巨人も、悪魔も魔王も。勇者も。完全すぎて不完全で。
それなのにアストレアが自分でなんでもしようなんて、最初から間違った話だった。
自分で言ったことなのに、自分がわかっていなかった。
(傲慢だわ)
ジークフリートにはっきりと言われたことがあるのに、まったく反省できていない。
情けなさが込み上げてくる。
「大丈夫か? どうしても辛いなら魔石を――」
「寝ていれば治りますから」
魔石は希少で高価で、とにかく貴重品なのだから、軽々しく使おうとしないでほしい。
指輪だってそうだ。家宝の魔石をアストレアに贈るなんてどういうつもりだったのだろうか。
それでも。
体調を気遣ってくれるのは嬉しい。見ていてくれるのは嬉しい。
「手を握ってもいいですか?」
突然の『お願い』にジークフリートは戸惑ったようだったが、アストレアが差し出した手に手を重ねてくれた。
大きい手。
この手にずっと支えられている。守られている。
「ジーク様。私の勇気はジーク様からいただいているものです」
自分が弱いことを認める。
ひとりでは勇気だってきっと足りない。
「もう、ひとりで無茶はしません」
自分にもできることがあることを、成し遂げたいことがあると知ったから。
「建国祭までには治せよ」
やさしい声音が心に響く。
「はい。ありがとうございます」




