27 闇払い実験
「宮殿でお前と食事を取るとは思わなかった」
ジークフリートの部屋のテーブルにセッティングされた宮殿料理を、向かい合って食べていく。
「いつもはおひとりなのですか?」
「特別な会以外はひとりだな。お前のところは違うんだろうな」
「私の家は朝食も、夕食も、基本は家族揃ってです」
アストレアの家は家訓により、食事はできる限り揃って食べるようになっている。もちろん仕事や用事があったり外出していれば別だが。
「ああ。お前の家でもてなされたときは、少し不思議な感じがした……何と言うか、あたたかかった」
宮殿の食事も、あたたかい。
毒味を挟んでいるため少し冷めたものもあるが、できる限りあたたかいものを、という心遣いが感じられる。
けれどそういうことではないのだろう。
ジークフリートの両親のことはアストレアも知っている。
女王の姉である母はとても美しい人で、社交界の華として、宮殿で国内外の要人を歓待していること。
父は元々騎士団長で、怪我が元で引退してほとんどの時間を領地で過ごしていること。
ジークフリートはおそらく、家族揃っての食事はほとんどないのだろう。
どんなあたたかい美味しい食事も、ひとりで食べるのは寂しい。
「私は、この食事もあたたかくて、美味しいです」
「ああ、そうだな」
その表情は穏やかで、同じように思ってもらっていることが嬉しく感じる。
「お父様のことをお聞きしてもいいですか? 元騎士団長でしたらやはりすごくお強いのでしょうね」
「時折稽古をつけていただけるが、まだ勝てたことはないな。父上は鬼のように強い」
「まあ」
その稽古の風景は、さぞかし迫力があるだろう。
「……ユリウスの御父君は、父上の前の騎士団長で、父上よりも強かったらしい。一度稽古をつけていただきたかった」
ユリウスの両親は移動中の事故で亡くなったと聞いている。ジークフリートがユリウスを従者にしたのは、たまたまではなく、ふたりの父の繋がりがあったからかもしれない。
(ただ、放っておけなかったからかもしれない)
わからないけれど。
ジークフリートはいつも自分の正義にはまっすぐだ。正しいと思ったことをする。昔は暴君のように思っていたけれど。
(素直で、強くて、やさしい人)
「……何を笑っている」
「ジーク様ってすてきだなって」
食事をする姿勢で固まる。何か変なことを言っただろうか。
「あ、そうだ。お聞きしたかったんですけれど、いつも贈ってくださる花は、誰に言われてやっているんですか? ジーク様らしくないなぁって、実は思ってて」
ジークフリートは何度か咳払いをした後、喉を整えるように水を飲む。
しばらく黙って揺れる水の姿を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「母がよく話してくれた。求婚者はたくさんいたが、毎日花を贈ってくれた人と結婚したと」
「まあ、すてき。あのお二人にはそんなロマンスがあったのですね」
なるほど。だから婚約者には花を贈るものと思っているのか。疑問が解けてすっきりする。
デザートまで終わり紅茶を楽しんでいたところで、魔導院からの手紙が届けられる。
表にはジークフリートとアストレアの名前が並んでいた。
ジークフリートが悪態をつきながら開けると、中には短く一文だけ書かれていた。
――食事が終わったらふたりで魔導院に来るように。
##
夜の魔導院は深くて暗い。
外から見ればほとんどすべての窓に明かりが灯る不夜城だが、中は夜の暗闇に満たされている。通路に灯る明かりは弱く、足元も見えないほどに。
「やあ、いらっしゃい」
院長室の長椅子に寝そべったまま、ウォーロックは片手を上げる。
「何故こちらの動向を知っているのか聞きたい」
「ハハッ。城の中にプライバシーなどあるものか」
不機嫌なジークフリートの質問に、朗らかに笑って答える。
「ここは別だから安心するといい。気に入らないなら殿下はお帰りいただいて構わないが」
ジークフリートがぽつりとスラングを零したのを、アストレアは聞かなかったことにした。
「早速レーヴェ家に寄贈していただいたんだが、どうにもうまくいかなくてね」
仕事が早すぎる。ウォーロックはいったいいつ休んでいるのだろうか。
寄贈の話をしたのは今日の日中だ。アストレアがまだ家に話を通していないうちに。
自分の手落ちで実家に迷惑をかけてしまったことを猛省する。
「ああ、ご当主には快く譲っていただいたよ。もう必要ないものだからとね」
(あの部屋は、いちおう隠し部屋のはずなのだけれど)
母もあの部屋に入ったことがあったのだろうか。
帰ったら謝らなければならないし、昔の話を聞いてみたいと思った。
「君たちに見てもらいたいものがあるんだ。少し歩くよ」
長椅子から立ち上がり、散歩に行くかのような気軽さで歩き出す。アストレアが追いかけると、ジークフリートも渋々と後ろについてきた。
魔導院は外観から受ける印象どおりの広さと複雑さを持っている。通路もまっすぐではなく微妙に曲がっていたり折れていたりするので、先が見通せない。まるで迷宮だ。案内がなければ容易く迷うだろう。
何度も短い階段を降りていく。
そのうちに地下に辿り着き、空気が急激に冷える。
「ウォーロック!」
突然の怒声にアストレアの身体が跳ねる。
ウォーロックは悠然とした態度で振り返った。
「何かなヴィルヘルム」
「あれを見せる気か」
「必要なことだ」
険悪な雰囲気が漂う。いったいこの先には何があるのか。
ウォーロックは壁のランタンを取り外し、それを掲げて石で囲われた通路を進んだ。
通路の行き止まりには大きな牢があった。
地下に作られた石造りの部屋に、鉄格子がはまっている。
扉には鍵がかけられ、中には簡素なベッド。その下には大掛かりな魔法陣が書き込まれていた。
ベッドの上には、両手両足を拘束され、目隠しをされた女性が眠っていた。アストレアはその女性に見覚えがあった。
(タチアナ様?)
「名前を呼んではいけないよ。ここにいるのは魔物のなりかけ。個人の名前はもうない」
開きかけた口が、そのかたちのまま強張る。
「もう、自我すらない」
(そんな――)
タチアナはまだそこにいる。眠っているのか動かないが、まだ魔物になんてなっていない。それなのに、もう存在も認められないということなのか。
特別親しかったわけではないが、付き合いは長い。失踪前にも話をしたのだ。そんな簡単に割り切れるわけがない。
重い金属の音が響く。ウォーロックは牢の鍵を開け、鉄格子の扉を開いた。
「このままだともうすぐ闇に落ち、魔物になってしまう。君ならどうする」
まるで授業の時間のような、アストレアを試す問いかけ。
答えは決まっていた。
迷う時間なんてない。
開かれた牢の中に入ろうとすると、ジークフリートがアストレアの前に手を伸ばして止めてきた。
ジークフリートの手に手を重ね、顔を見上げる。
「……何かあれば、何を斬り捨ててもお前を守る」
「ありがとうございます」
「心配しなくていい。魔導院の中のことは、最大級の機密扱いだ。私たちは共犯者だよ」
その言葉がとても頼もしく、とても恐ろしい。
ここを進めばもう戻れない。それでも足を踏み出さずにはいられない。
重ねた手を軽く押すと、道が開けた。
知らないうちに、闇に消えてしまった人たちがいる。
助けられたかもしれないのに、いなくなってしまった人たちがいる。
「ランタンの火よ」
この闇を照らしてほしい。
やわらかな火は、薄暗かった牢屋の中をやさしく照らす。石造りの牢屋の姿が、光と影で描き出される。
タチアナが嫌がるように身をよじる。目隠しで何も見えないはずなのに。
何かを叫ぼうと開かれている口からは何の音も出ない。身体から立ち昇り続ける闇に取り込まれているかのように。
魔力に反応するかのように、魔法陣が淡く光る。
(タチアナ様……)
継承者会議で出会った、思いつめた姿を思い出す。あの時きちんと話を聞いていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。
タチアナとまた会うことができたのは、奇跡なのかもしれない。
「星の輝きよ」
火を増やす。
熱もなく何もあたためられない、何も燃やせない炎でも、光を灯すことはできる。
(ルシーズも思い悩んでいた)
悩み迷っていただけで、闇に近寄られなければならないのか。
悩むことくらい誰にだってある。
心が弱ることぐらい誰にだってある。
闇がそこに付け込むというのなら、すべて燃やしてみせよう。
この炎で。
この怒りで。
「星炎の風よ、吹け!」
揺らせ。すべての悪意を吹き飛ばすほどに。




