25 ケンカ
アストレアはウォーロックに頼まれた書類を胸に抱き、騎士団の本部へと足を踏み入れる。
「魔導院長の名代として、王甥殿下にお届け物があります。直接お渡ししたいので、お取次ぎいただけますか」
「僕がご案内しましょう」
「ユリウス様」
アストレアが来たことをいち早く気づいていたかのように、優しい笑みで迎えてくれる。
騎士団の中にあっても、ユリウスは輝くような貴公子だった。
「本来は姫君が足を踏み入れる場所ではありませんよ」
「先生に頼まれると、断れなくて」
女性騎士は主に貴人の警護が任務であり、王城内に近衛隊本部がある。
こちらは戦いを主とする男性の騎士の本部のため、いるのは当然男性の騎士と騎士見習いばかりだ。ピリピリとした張り詰めた空気を感じるのは、昨今の事件ゆえだろうか。
あちこちで響く低い声に、少し威圧感を覚えてしまう。
「騒がしくてすみません。これでも普段よりは落ち着いているのですが」
「いえ、とんでもありません。皆様、とても頼もしいです」
「そう言っていただけると励みになります」
ジークフリートは本部の奥の方にいた。
アストレアを見た瞬間、あからさまに表情が険しくなる。
「ウォーロック様の名代です。失礼のないよう」
魔導院長の名前がますます態度を硬化させる。しかしその名前があるから、正当な理由でここまで来ることができた。
アストレアは毅然とした態度で口を開く。
「ジーク様、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「……こちらへ」
ジークフリートの後をついていくと、奥にある部屋に通された。打ち合わせに使う部屋だろうか。明かり取りの小さな窓と、壁際に机があるだけの簡素な部屋だった。
「ユリウス、人払いを。終わるまで誰も近づけさせるな」
「了解しました」
分厚いドアが閉じられる。
外の喧騒が嘘のように静かになった。
「ウォーロックに何か言われたか」
「いえ。先生とは魔導についてのお話をしただけです」
事実を答える。
危ういところはあったかもしれないが、授業の域を出ていない。
「それでも、私にもわかります。騎士団が、魔導院が、いま何と戦っているか。この王都で何が起こっているのか」
「…………」
無言の威圧感。
ジークフリートをここまで怖いと思ったのは初めてだ。それでも引くわけにはいかない。
本当に怖いものは――……
書類を抱く手に力が入る。
「どうして……」
声が、震える。
ジークフリートを、まっすぐに見上げる。
「どうして、いままで何も言ってくださらなかったんですか!」
息が震え、悲鳴のような声になる。
怖いからではない。
悔しいから。
「あの時、確かに約束しました。またこんなことがあれば、教えてくださいって」
子どものころ、ルシーズと同じように闇落ちした女性と遭遇したあの時。
もし同じようなことが起これば、その時はアストレアの魔法がもしかしたら役立つかもしれないと思ったあの時。
ジークフリートと、確かに約束をした。
それなのに。ずっと、ずっと。何も言ってはくれなかった。
「私だったら助けられたかもしれないのに」
「傲慢だな」
氷のように冷たい声が、胸に刺さった。
「昨日のことで、自分一人で何でもできる気になったのか」
「それ、は……」
「突然現れる闇落ちに、お前が毎回対処できるのか。どうやって? お前を魔導院にでも属させて、闇落ちが現れる度にお前を出せばよかったか。そんなことができるわけがない!」
できるなんて言えるわけがなかった。
そんなことができるわけがないことは、アストレアが一番よく知っている。
身体も、精神も持つはずがない。他のことをする余裕も、時間もなくなるだろう。
自分の勝手さが怖くなった。
綺麗ごとばかり言って、何の覚悟もできていない。
「この話は終わりだ」
アストレアが抱いていた書類の入った封筒を取り上げて、部屋から出ていく。
ひとり残されたアストレアは、立ち尽くしたままドアの閉じる音を聞いた。
身体が動かない。
このままここにいても邪魔にしかならない。出ていかなければならないのに。
流れ出る涙が止まらない。
浅はかだった。
言われて初めて気がついた。己の中の正義感だけに突き動かされて、出来もしないことを言っていたことに。
(最低だ……)
アストレアは勇者ではない。
教育の普及に夢中で、少しだけ魔法が使える、戦いには素人の女王候補。
そんな足手まといを、騎士であるジークフリートが戦いに引き入れようとするはずがなかった。
闇落ちした人間をひとり助けることができたかもしれなくても、戦いには素人のアストレアが出てくることで周囲に負担を与え、周囲の人々や、騎士、魔導士に、もっと犠牲が増えたかもしれない。
信頼に値しない不確定要素を取り入れるよりも、戦い慣れた騎士と魔導士で速やかに対応したほうが安全性が高く、結果犠牲も少ない。確実に。
そうやって、平和は保たれていた。
たとえ表面上でしかなかったとしても。
アストレアは平和だと感じていられた。
――アストレアは自分の力で、目の前の人を助けたいと思った。
ジークフリートは全体の安全を考え、平和を守ろうとしていた。
ジークフリートは何も間違っていない。
戦場に立っていないアストレアは、口を出せる立場ではなかった。
涙でぐしゃぐしゃになった顔をハンカチで拭い、部屋から出る。
きっと目が赤くなってしまっている。すれ違う騎士の前では頭を下げ、アストレアは早足で騎士団の本部から外へ出た。
迎えてくれた空は、泣きたいほど青く、晴れていて。
大きく息を吸い、呼吸を整えて、当てもなく歩き出す。
(ジーク様に謝らないと)
謝るからには早いほうがいい。どこに行けば会えるだろう。
墜落の塔にはいない気がする。騎士団にも、おそらく当分は戻ってこない。アストレアを避けているだろうから。
確実に会えるのは――
アストレアは王族が住む宮殿へと向かった。




