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21 本音


 鍵は開いていた。体当たりするように扉を開き、中に転がり込む。

 玄関ホールは当然のように暗闇に閉ざされていて、無理やり開けた扉から差し込む星光だけが儚く差し込む。

「ランタン!」

 頭上に光の炎を掲げる。

 夜に慣れた目には充分なほどの弱い光は、玄関ホール内の輪郭を浮かび上がらせた。

 見える範囲、感じ取れる範囲には誰もいない。乱暴な侵入者が堂々と玄関から現れても、出てくる家人はいなかった。

 だが、悲鳴は確かに聞こえた。誰かいるのは間違いない。

 奥へ足を踏み入れようとした時、背後から片腕で腰を抱えあげられる。あっさりと床から踵が浮いた。

「は、離して。離してください」

 抜け出そうとしてもまったく動かない。足先がむなしく泳ぐだけだ。力が緩む気配もない。いったいどうしてここまで力の差があるのか。

 諦めずに足掻こうとしたとき、あっさりと離される。


 ジークフリートの両手が剣にかかった。左手が鞘を。右手が柄を。

 見据えるのは正面階段を上がって左側奥に行ったところの、二階の廊下。

 コツコツと、規則正しい足音が、ジークフリートの視線の先から響いてくる。

「あらあら。騒がしいこと」

「ルシーズ!」

 ずっと会いたかった姿が、ずっと聞きたかった声が。

 やはり影の正体はルシーズだった。ひとまずは無事を喜ぶ。ここから見える限りは怪我もない。

「あら……どこのお猿かと思ったら」

 ルシーズはアストレアを見下ろし、羽扇で口元を覆って楽しそうに笑う。ただ、目は笑っていない。青い瞳は憎々しげにホールを照らす魔法を睨みつける。

「なぁにこれは……嫌な光だこと」

 ヒールが床を軽やかに叩く。ルシーズは優雅な動作で階段の手前まで来ると、ドレスの裾を持ち礼をした。

「ごきげんよう。ジークフリート殿下。こうしてお会いできるなんて夢のよう」

 にこりと笑う姿は思わず見とれるほど美しい。

 しかしその瞳の奥には、いつもの凛々しい輝きがなかった。

「わたくしの気持ちを知っていて、そこにいるのかしら。アストレア?」


「ルシーズ……?」

 ルシーズはアストレアには物事をはっきりと言ってくれる。素直な気持ちでまっすぐに切り込んできてくれる。だがいまは何かが違う。

 声の中に隠さない悪意がある。

 ルシーズの右手が階段の手すりを持つ。

「アストレア。あなたはいつも、きれいな場所からわたくしたちを見ていて。何もいりませんって顔をして、わたくしの欲しいものすべてを持っていく」

「…………」

「愛も、称賛も、成功も」

 一段、一段。

 ドレスの裾を蹴るようにして、美しい姿勢で階段を下りてくる。

「どうしていつもあなたばかり」

 声に、言葉に、悪意を乗せて。


「殿下。その女のどこがいいのかしら」

「協力者はどこだ」

 ルシーズの言葉をまったく意に介さず、刃のような鋭い眼差しで見据え、問い質す。

「誰がお前をここに呼んだ。それともお前が首謀者なのか」

 ルシーズは悲しげな表情になる。

「あんまりですわ……わたくしはずっと、あなたのことだけを想って……」

(会話が成立していない)

 酒か薬に酔っているのかもしれないと思った。普段と様子が全然違うことも、感情の発現が激しいのも。こんな誰もいない場所に来ていることも、それなら納得がいく。


「殿下は一度だってわたくしのことを見てはくださらない。いまだって」

 ルシーズの部屋目がアストレアを睨む。

「その女さえいなければ!」

 叫びと共に、闇が足元から吹き上がった。インクのような闇はルシーズの顔を覆い、青い瞳から色が消える。

「ルシーズ!」

「諦めろ! あれはもう手遅れだ!」

 駆け寄ろうとしたアストレアを押し止め、ジークフリートが剣を抜く。鋼が鞘を滑る音が、刀身の白い輝きが、鈍い鉄のにおいが。胸を締め付ける。

(いやだ)


 どろりとした黒い水のようなものが、ルシーズの足下から流れ出してくる。溢れるそれは階段を一段一段染めていき、端から零れたものは玄関ホールまで滴り落ちてくる。

 それは見覚えのある光景だった。

(こんな、こと)


 騎士の判断が間違ってるとは思わない。

 それでも。

 アストレアはルシーズの悲鳴を聞いた。

 泣いていたように聞こえた。助けを求めているように聞こえた。

 たとえ本人に断られても。嫌われても。恨まれても。

「ジーク様、諦められません」

「なら、やれるだけやってみろ」


 広がりつつあった闇の中から、腕のようなものが伸びてくる。

 ジークフリートの剣が一瞬赤みを帯びて、それを斬り払った。切り離された部分は霧散し、光に溶けるように消える。

「もっと光を増やせ。あいつの背後の道を断つんだ」

「ランタン! 炎よ! もっと炎を!」

 命令通りに光の炎を飛ばす。こんな数を出すのは初めてだ。歯を食いしばってもついていけるのは毎晩のランタン訓練のおかげだ。こんな日が来るとは思ってもいなかったけれど。

 光は確かに闇に効いていた。闇は明らかに光を避け、合間を縫うようにしてアストレアに槍のような鋭さで伸びてくる。ルートを限定されているそれは、剣によって斬り払われる。

 貫かれれば死ぬかもしれない。

 恐怖はアストレアの精神を更に研ぎ澄ませた。守りたいものは、自分の命ではない。

 ランタンの魔法をルシーズの周囲に一気に生み出す。苦しそうな、声なき声が聞こえる。


「ルシーズ! 私はっ! ルシーズが大好きだから!」

 ――私の中の、魔力は。

 魔導によって集められ、望む姿で現実化する。奇跡を起こす力、魔法となる。

 ――ここに来て。

 炎よ。

 私の炎よ。

 風を巻き上げて、あたたかな光を発して。

 この闇を吹き飛ばして。

「絶対に、諦めないから!」


 光の風が。

 歌いながら、すべてを白く変えていく。あたたかな炎の香りを満たして。

 アストレアの魔力を使って、世界の姿を変えていく。広がる闇も。ルシーズを覆う闇も。

 すべて。



 光の砂が少しずつ消えていく。夜の静寂に包みこまれるように。

 穏やかな闇に目が慣れてきたとき、アストレアはルシーズの姿を探した。階段の途中で寝そべるように倒れている姿を、すぐに見つけることができた。

 剣を収めたジークフリートが、先に近くへ行く。アストレアも重い倦怠感に襲われながらも、気力を振り絞ってルシーズのもとへ向かった。

「あ……アストレア……」

 か細い声。

 目は閉じられたまま、唇だけがわずかに開かれていた。

「あり、が、とう……」

 ルシーズの目元と頬には、涙の跡があった。



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