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02 再会


 アストレアは十六歳だ。そう思っているのは自分だけで、世間的には六歳である。

 子どもがかかる一過性の思い込みではないかと自分でも疑いそうになったが、幸か不幸か思い込みを確信に変えられる出来事がひとつあった。

 本が読めるのだ。

 子ども向けの絵本ではない。大人向けの難しい学術書だって読める。この歳では知っているはずのない単語も言い回しも理解できる。

 これは明らかに十六歳の知識である。知識が生かせる。それは意味のあることなのかもしれない。一縷の希望に縋りつくようにアストレアはその日から本の虫になった。その習慣が続いたのは書物の持つ魔力に魅せられたからかもしれない。知識を生かし知識を蓄えることは寝食を忘れるほどに楽しかった。

 屋敷の図書室にはアストレアの読書欲を満たすには十分なほどの蔵書があったことも幸いした。


「おねえさま、こちらにおられましたか」

 窓際に置いたお気に入りの椅子に座って本の世界に没頭していたアストレアを、エリスの声が呼び戻す。

 レースでふくらんだ白いドレスを着た妹が、うれしそうに笑って図書室に入ってくる。ずらりと並んだ書架の間をまっすぐに進んでアストレアの前まで来た。

「今日はお城にいくんですって。おねえさま早くいきましょう」

「ああ、継承者会議の日だったわね……」

 白銀の週の光の日は、月に一度の女王候補の継承者会議の日。

 そんなところに行くよりも、日当たりのいい窓辺で風を感じながらずっと本を読んでいたいが、継承者会議への出席は王位継承候補の義務だ。会議といっても高位貴族の女性たちが集まってお茶会をするだけのものではあるが。

 行きたくないと言えば、母は顔を青くして悲鳴を上げ、父は貴族の責務とは何たるかと懇々と諭してくるだろう。両親に心配をかけるのは避けておきたい。

 読みかけだった歴史書に花の栞をはさんで机の上に置く。

 椅子から降りて、自分の姿を窓に映して確認してみる。今日は髪色にあった赤と黒の落ち着いた雰囲気のドレスに、ピンクのバラの髪飾り。いつでも城にいける正装だ。どうりで今日は身支度にいつもより時間がかかっていたわけだ。

「エリス、いきましょう」

 手近の本を書架から引き出して開いて、挿絵がなくてつまらなさそうに本を閉じて別の本を取り、そちらにもまた挿絵がないのを見て閉じるを繰り返しているエリスを呼んで図書室から出る。

 早く帰れるといいなと思いながら、部屋の外に控えていたメイドに出発の意を伝えた。



##



 王都の北側にある白く美しい女王の城。

 城を取り囲む塀の中には、女王と王族が住まう宮殿や離宮、政治の中枢である城と貴族院、王国を守る騎士団の本拠地と演習場と宿舎、魔力の研究が行われている魔導院、その他もろもろの施設が集まっている。それらの施設すべてをひっくるめて王城と呼ばれる。

 貴族街から馬車に乗り、貴族専用の厳重な警備がなされる城門をくぐり、広い敷地内を馬車に乗ったまま移動する。

 本日の継承者会議は宮殿にほど近いバラの中庭の東屋で行われた。


 晴れ渡った青空の下、華やかな色のドレスがバラのように咲き誇っている。現在の継承候補の人数は二十四人だが、今日は二十人が集まっている。

 ちなみにアストレアの継承順位は十五位。エリスは十八位。

 順位は家柄や生まれた順に与えられるが、順位の数字に意味はない。席を決めたり名前を呼ぶ順を決めるだけの番号付けに過ぎない。


 アストレアに近しい年頃、十歳未満の少女たちやエリスは南方から取り寄せたお茶と、王城付きの菓子職人による繊細な砂糖菓子と、たわいないおしゃべりを無邪気に楽しんでいる。

 にぎやかな少女たちから少し離れたところでは、成人に近い令嬢たちの間で静かな戦いが繰り広げられていた。自分こそが次期女王にふさわしいとの自信を武器にして、表面上は穏やかなおしゃべりに興じながら静かな牽制の応酬が行われている。

 そこまでの自信はない、だが女王の座を諦めたわけではない令嬢たちは、花に集まる蝶のように存在感のある令嬢の周りに集まって、その美しさや素晴らしさを称えている。


(やっぱり、本を読んでいればよかった)

 アストレアはお茶を飲みながら、どの輪にも入らず傍観していた。

 継承者会議とはいっても、次期女王を選ぶのは現女王陛下と貴族院だ。いまここで継承候補の間でやり合ったとしても意味はない。継承候補と戦うよりも、自分を強力に推してくれそうな貴族と繋がりを作ったほうが将来的にも役に立つ。

 この会議にある政治的な意味は、女王になりそうな候補と友好関係を築いておくことにある。

 もし見誤って敵対派閥に身を置こうものなら、次代は冷遇される可能性がある。際立った才能もなく甘い蜜を得たいのならば誰につくかは冷静に見極めなければならない。

 継承者会議は次代を担う少女たちの集まりであり、自身の有能さ、家の力を同世代にアピールする場なのだ。

 アストレアも本当ならば自分自身と家のために「仲良く」しなければならないのだが、どうしてもそんな気にはなれない。

 前の自分はどうだっただろう。黒歴史だったような気がしてあまり思い出したくない。

 アストレアは小さく頭を横に振り、暗い思考を追い出す。

 せっかくのいい天気なのだから、ひとりで座ったままでいるより散歩へいこう。いまはバラの季節だ。咲き誇るバラたちを間近で見ずには帰れない。

 アストレアは軽い足取りで継承者会議の場から抜け出した。気にするものは誰もいなかった。




 さすが王城のバラ園。

 職人によって完璧に整備されたバラの小道を、浮き立つ心のままに進む。令嬢たちのドレスよりも鮮やかな花と葉がまぶしい。フェンスやアーチに仕立てられたつるバラも多く、中はまるで迷路だった。歩いても歩いても終わりがない。

 バラたちの中でも特に目を引くのは、歴代の女王の名を冠したバラたちだ。

 美しく強い女王のバラの中で、アストレアが一番好きなのはユースティティアのバラだ。初々しいピンク色のとてもしなやかで丈夫なバラ。顔を近づけるとほのかに香る。

(ああ、やっぱり素敵だわ)

 頬が緩む。

 見事なバラ、晴れ渡る空、暖かな陽光、時折吹く優しい風。なにもかもが最高だった。

 突き当りの角を曲がると、少し開けた休憩場所があるのが見えた。少しの間だけそこで休憩しようかと思ったとき、先客がいたことに気づいた。

 継承者会議の出席者ではない。そこにいたのは少年だった。この国では男子は王になれない。

 ざわり、と風が葉音を鳴らす。少年の短めの黒髪が風に揺れた。

 少年は空を見上げていた。

 澄み渡った青空を、一羽の黒い鳥が悠然と飛んでいた。


 胸が早鐘を打つ。

 ――会ってはいけない、と本能が警鐘を鳴らす。


 アストレアはぎゅっと胸元を押さえた。

 彼を知っている。

 女王の妹の第一子。王家で生まれ、宮殿で暮らす唯一の子ども。


 ――会いたかった、と胸が喜びに震える。


 逃げないと。駆け寄りたい。

 矛盾するふたつの衝動で動けない。

 立ちすくんでいると、少年が気配に気づき振り返った。

「なんだレアか」

 少し機嫌の悪そうな、ぶっきらぼうな声が愛称を呼ぶ。

 貴族の証である青い瞳がアストレアに向けられる。そこにあるのは苛立ちと、親しさからのぶっきらぼうさ。

 八歳の少年としては少し大人びた顔が、いじめっ子のように笑う。

「久しぶりに顔を見せたな」

「ジーク様……」

 愛称を紡ぐ声がこわばっていた。


 ジークフリート・ヴィルヘルム。


「おい、どうした。真っ青だぞ――おいっ?」

 遠ざかる意識の中、名前を呼ぶ声が何度も何度も聞こえた気がした。


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