19 アイスクリーム
城から出て貴族街に入ったとき、ジークフリートが腕に手を添えて歩くように促してきた。
「どうした」
「いえ、その……さすがに外では……」
声が引きつる。
誰もいない場所ならともかく、外で腕を持って身を寄せて歩くのは、さすがにはばかられるものがある。貴族街はそれなりに人目があるし見知った相手も多い。屋敷も馬車の行き交いも多い。
「いいから持て。勝手にどこかへ行かれたら困る」
信用がない。子どもではないのに。
仕方なくジークフリートの左腕に右手を添える。
触れるたび、体格の差を実感する。いつの間にこんなに背が伸びたのだろう。
「ジーク様には好きな方はいらっしゃらないんですか」
ジークフリートが大きく咳払いをする。
「仮にも婚約者に向かって聞くことか?」
「仮ですし」
もし好きな人がいるのなら、往来でこんな誤解されそうな姿をするわけにはいかない。
「……わからん」
たっぷり考えて答える。
「うん、それならいいんです。もしできたら教えてくださいね」
「お前はどうなんだ」
問われて、目を瞬かせた。
聞かれるまで考えたこともなかったかもしれない。考えないようにしていたのかもしれない。
――好きな人。
――好きな人なんて、つくりたくない。
恋をしてしまったら、すべてが壊れてしまいそうで。
恋愛は怖い。
恋に溺れることは、自分を失うことだ。
その怖さがあるから、いままで意識しないようにしていたのかもしれない。
「私もわかりません」
公園の近くまで来たとき、行列ができている店が見えてくる。
魔導院が技術協力しているアイスクリーム店だ。温度を下げる魔導石を使うことで、暑い季節になっても冷たいアイスクリームが気軽に食べられるという、貴族の女子の間で人気の店。
実は今日歩いて帰ろうと思ったのは、あそこのアイスクリームが食べたかったからだった。馬車での寄り道は、護衛の人数や停車場所の確保、周囲への影響など、意外と面倒が多い。
王都内、とりわけ貴族街はあちこちに衛兵がいるため治安がとても良いから、昼間に大通りを女がひとり歩きしていても問題はない。
だから今日はこっそりと食べ歩きするつもりだったのだが。
ジークフリートの心配症さえなければ、今日こそ魔導アイスクリームが食べられたのに――
ジークフリートが小さく吹き出す。
「レアはすぐ顔に出るな」
顔が赤くなるのがわかった。そんなに物欲しそうな顔をしていたのだろうか。
「だ、だって、ずっと食べたかったんですから、仕方ないじゃないですか。いいからもう行きましょう」
「なに遠慮してるんだ」
背中を押して無理やり先に行かせようとするアストレアだったが、両手を使ってもまったく進まない。
勝てない攻防をしているうちに、ジークフリートはあっさりとアストレアの手を握ると、店の方へ歩き出した。
「ん〜! 美味しい! 最高!」
陶器のカップからアイスクリームをスプーンですくい、口に入れる。冷たさとレモンの爽やかさが広がり、溶けるとクリームの濃厚さとミルクの風味が際立つ。
「ジーク様はどうですか?」
「ああ、美味いな。甘い雪を食べてるかのようだ」
アストレアはレモンアイスクリーム、ジークフリートはバニラアイスクリームを選んだ。
「よかった。バニラも美味しそうですね」
近くの公園でゆっくりと甘い時間を過ごす。陽気の中で味わうアイスクリームは最高だった。
太陽の光が公園を眩しく照らす。
五年前、多くの樹が枯れる事件があったが、すぐに新たに植樹されたため、傷跡はもうどこにも見えない。
「ふふっ、幸せ」
あたたかくて、平和で、美味しくて。
アストレアはふと、ジークフリートが自分を見ていることに気づいた。
「楽しそうに食べるんだな」
「楽しいですから!」
アイスクリームを最後まで堪能し、容器を返却してからまた歩き出す。公園からはもう屋敷は近い。
「ああ美味しかった。また行きましょうね」
「ん、ああ……それは構わないが、ひとりでは行くなよ。最近は物騒だからな」
「物騒?」
「王都から離れていたお前は知らないかもしれないが。ここ最近、王都周辺の魔物の動きが活発化している」
「領地の方ではそんなことありませんでしたよ」
「ああ。王都の周りだけ顕著に増えている」
「それは、物騒ですね……」
「貴族の失踪事件も数件起きてる。いまの王都の治安は以前より悪い」
噂話を思い出す。失踪したタチアナの噂話。駆け落ちとは言われていたが。『またか』と言っていた貴族の嘆きも思い出す。
悩みのない人間なんてそうそういない。
誰にだって姿を消したくなる時はある。
自主的な失踪も考えられるし、何か事件に巻き込まれている可能性だってある。
「それは貴族だけなのですか?」
「いまのところは市街ではそういう報告はないな」
「そうですか……」
もし犯人や犯行組織がいるのなら、貴族だけを特別に狙っているということになる。
騎士団に立ち寄ったとき、張り詰めた空気を感じたのはそのせいだろうか。
ふと。
ウォーロックの言葉を思い出した。魔導院の長は騎士団の人使いの荒さを嘆いていた。そしてジークフリートのことを気にかけていた。
騎士団と魔導院が互いに協力して対応に当たっているのかもしれない。そうなると、確かに尋常ではない。
アストレアの屋敷に到着する。名残惜しさを感じながらも手を離し、ジークフリートに礼をした。
「送っていただきありがとうございます。あたたかいお茶でも飲んでいかれませんか」
「そうしたいところだが、これから仕事がある」
「じゃあ馬車を出します」
「いや。見回りがてら歩いて戻る」
ジークフリートが自らそこまですることに、アストレアは驚きを覚えた。
ジークフリートも騎士団も魔導院も、この事態に真剣に取り組んでいる。それだけ深刻ということなのか。
(私にできることは何だろう)
アストレアも青い血を継ぐ貴族。国のため民のため、この事態にどんな行動するべきか。
国の一大事とはすなわち戦いだ。
前に立って戦うこと。後方で支援すること。戦力、食料、治安、資金。備え、調えなければならないものはたくさんある。
「ところで指輪はどうした」
「えっ……その」
不意をつかれて言い淀む。
――ああ、やっぱり。会いに行くときぐらい付けておけばよかったかもしれない。
「……落としたり傷つけたらと思うと怖くて」
返すものなのだから、万が一のことがあれば大変だ。
「無くしても壊してもいいから、身につけておいてくれ」
「はい……」
ジークフリートは返答に満足したのか、アストレアに背を見せて城に向かう。しかし、その足が止まり、躊躇いがちに振り返るとまっすぐに戻ってくる。
「レア、笑ってくれないか」
「えっ?」
難しい顔をして言うものだから、何事かと思った。
目を丸くするアストレアに、ジークフリートは言いにくそうに続ける。
「お前が笑っていると、何と言うか、安心する」
「なんですかそれ。ふふっ、ジーク様のお役に立てるならいくらでも」
なんだかおかしくて、自然と笑みが込み上げる。
「……ジーク様?」
「――ああ、いや、その、あれだ。じゃあな!」
「あ、お気をつけて」
今度は走って行ってしまう。
アストレアは呆然と遠ざかる後ろ姿を眺めた。
いったい何だったのだろう。
(ジーク様の考えていることは、まったくわからないわ)




