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18 塔の上で



 墜落の塔。

 処刑のできない高貴な血の持ち主を幽閉し、身投げを促したという伝説がある場所。

(伝説よ、伝説。そんな記録ひとつもなかった)

 静謐な冷たい空気に満ちたそこを、アストレアはひとりで上っていく。ドレスの裾を踏まないように気を付けながら、階段を一歩ずつ。ゆっくりと。

 三層構造とはいえ高い塔だ。落ちれば怪我は免れない。

(たまたま事故で落ちた人はいたけれど)

 アストレアの読める記録の範囲では、運悪く亡くなった人物はいれど、処刑代わりに利用された事実はない。それでも何となく薄気味の悪さを感じてしまうのは、人の気配がまるでない場所だからか。

 だが、掃除はきちんとされている。空気は埃っぽくはなく、壁に手をついても汚れない。ここも城の一部なのだ。

 最上階まで上り、息を整えてから、扉に手をかける。ここに入るのは初めてだ。そもそも開くのだろうか、とか。

 中はどうなっているのだろう、とか。

 逡巡しながらも勇気を持って、少し重い扉を押し開ける。

 冷えた向かい風がアストレアを出迎えた。



(やっと、見つけた)

 大きな窓のある部屋だった。

 空しか見えない窓だった。

 ガラスはなく、防風のための木製の建具しかない。そしてそれはいま開け放たれ、光と風を部屋に満たしていた。

 石造りの壁と床、天井。カーペットもなく、立派なベッドと机と椅子、本が一冊もない本棚と、花のない花瓶だけはあった。

 部屋の壁にもたれかかって、ジークフリートは寝ていた。

 床に座って、腕を組んで。

 無防備なことに周囲に護衛の気配はない。もしアストレアが刺客だったらどうしたのだろう。

(せめてベッドで寝ればいいのに)

 ベッドのシーツも清潔だ。ピンと張っていて、誰かが使った形跡もない。部屋の中には蜘蛛の巣もない。内装は質素なれど、この塔は充分手入れされている。まるで誰かがいつでも休めるように。


(お疲れなのかしら)

 すぐそばまで近づいて、しゃがみこんで顔を覗き込む。起きる気配はない。

 眼の下には隈。眉間には皴をつくって。寝ているというのに険しい顔をして。

 どれほど大変な仕事をしているのだろうか。

 騎士団の仕事をアストレアが知ることはできない。塔に来る前に立ち寄った騎士団本部はとても慌ただしくて、忙しそうだった。

 ベッドを使っていないのは、推測だが寝すぎないためだろう。

(毛布もない……下の階にならあるかしら。毛布を探して、掛けたら帰ろう)

 起こすのは忍びない。いちおう目的―――ジークフリートを見つけること――は達せられたわけだから。

 ああ、それにしても。

(きれいな顔……)

 見とれてしまう。


 こんなに間近で父以外の男性の顔を見たことはなかったかもしれない。

 本当にここにいるのだろうか。幻ではないだろうか。確かめるように、無意識のうちに手を伸ばしていた。

「あ、いっ!――痛たたたっ?」

 気がついたら身体が反転していて、床に倒されていた。

「レア?」

 ジークフリートの驚きの声とともに、捻られた手首が解放され、抱え起こされる。

「なんでお前が」

「探したんです! 大変だったんですから。騎士団本部に宮殿に、城中歩き回って」

「騎士団に行ったのか」

「行きました。テオドリック様にもう来ないようにきつく言われました。もしかしたら、と思って最後にここに来たところです」

「……悪かった」

「いえ、私も、お休みのところを邪魔してしまって……」

 ひっくり返されてパニックになった勢いで、言いたいことを吐き出してしまった。

 元はといえば寝ているところに手を伸ばしたアストレアが悪い。それにしても触れてもいないのに、一瞬で組み伏せられるなんて。

 無防備だと思ったがとんでもない。

 目線を上げるとジークフリートと目が合った。距離の近さに驚いたとき、抱き起こされた体勢のままだと気づく。

 同時に身体を離した。

 アストレアはジークフリートに背を向けて、身を縮めるようにうずくまる。

 心臓が。

 心臓が。

 口から飛び出してしまいそうだ。


「……それで、何の用だ」

「……い、いえ、特に何も。ただ、ジーク様にお会いしたくて。それだけです」

「……お前の考えていることはよくわからん」

「その言葉、そっくりそのままお返しします」

 きっぱりと言い返す。

 いつの間にか心臓も少し落ち着いてきていた。

 座ったまま、肩越しにジークフリートを見る。ジークフリートもまた床に座ったまま、部屋の壁を見ていた。


 ――本当は会いたくなかった。


 ルシーズのことがあったから、できるだけジークフリートとは会わないようにしようと思った。まだ、ルシーズからは手紙の返事も来ていない。会いに行こうにも玄関先で断られた。

 それでも。

 最近、世間の雰囲気が暗くて。なんだか不穏で。

 ルシーズとは連絡が取れない。タチアナは姿を消してしまった。貴族の間の噂話は聞くに堪えなくて。騎士団は騒々しく、王城内がざわついている。

 こんな時、意地を張って会わないままでいたら、何かあったとき後悔しそうだったから。

 だから探し回って。墜落の塔まで来た。


「やっぱり、会えてよかった」

 安堵の息をつき、座り直す。ジークフリートと向き合う格好に。

 正直ここ数年間、疎遠になっていたのは寂しかった。こうしてまた顔が見られるだけでも素直に嬉しい。

「お花、ありがとうございます」

 直接礼を言えることが嬉しい。

「……ああ」

 素っ気ない返事をして目線を外す。

(やっぱり、お邪魔だったかしら)

 用もないのに、大切な秘密の場所に足を踏み入れて、休憩の邪魔をしてしまって。

 立ち上がったアストレアの髪を、風が揺らした。



 窓からは青い空だけが見えて。

 少し近づくと、城下町も見える。その向こうには平原、森、ずっと向こうに蒼い山脈が。飛び交う鳥の姿も、街道を行く馬車も、農地や住居などの人の営みも見える。ここからは世界が見える。

「すごい……」

 鳥の姿を借りているようだった。

「ここからは未来が見えますね」

 国の姿が、人々の姿が、世界の姿が見える。

 歴史と現在と未来を想える。

 なぜジークフリートがこの場所を気に入っていたのか、わかった気がした。

 アストレアの隣に並ぶようにジークフリートが立つ。同じ方向を眺めて。

 顔を見上げることができない。抱きかかえられた腕の力強さや、逞しい身体の感触を思い出して。

(はしたない……!)

「初等教育とやらは順調みたいだな」

「あ、はい。皆様方のおかげです。私ひとりではここまで来れなかったです」

「お前がどれだけ努力していたか、少しは知っているつもりだ。頑張ったな」

 その言葉がとてつもなくうれしい。

 そんな風に思ってもらっているなんて思わなかった。胸があたたかくなり、もっと頑張ろうという気力が湧いてくる。

 明日から、いや今日から、もっともっと頑張ろう。

「それじゃあ、そろそろお暇しますね。お休み中のところ失礼しました」

 礼をして出ていこうとしたら、手首を握られる。

 またひっくり返されるのかと思ったが、今度の握り方はとてもやさしい。

「送る」

「だいじょうぶです。今日は歩いて帰るつもりですし。ジーク様はゆっくり休んで――」

「家まで送る」

 ――やさしいのに、緩やかに振りほどこうとしてもぴくりとも動かない。

 一度決めたことは覆さないところは、大人になっても変わっていない。


 塔を降りるとき、ごく当たり前のように手を差し伸べてくれた。こういうところも変わっていない。

 手のひらを重ねる。しっかりとした感触に、何の不安もなくなった。

(騎士様だ)

 いまだけは、アストレアだけの騎士。



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