17 ウォーロック先生
「やあ、お二人さん。今日も素晴らしいオーラだねぇ」
魔導院院長エドモンド・ウォーロック。
淡い金髪に青い瞳。
黒に赤と青が夜明け色が混ざった、不思議な光沢の宵色のローブは魔導院所属の高位魔導士の証だ。
ウォーロック家はその家名のとおり先祖代々続く、由緒正しき魔導士であり、古文書研究の専門家でもある。
王立学院で教鞭も取っておりアストレアが学院に通っていたころ目をかけてもらったことがある。
――なんでもオーラが素晴らしいらしい。
魔導士には常人には見えないものが見えるのかもしれない。
「やれやれ。騎士団の連中というのはどうしてこう人遣いが荒いのかねぇ。我々にも同程度の体力があると思ってやがる節がある。この身体には堪えるよ。ユリウス君からも何か言ってやってくれないかね」
「若輩者の僕には発言権はありませんね。それでは僕はこれで失礼します」
ユリウスは軽やかな笑顔で躱し、完璧な礼儀作法で頭を下げ、背を向けて去っていく。
その姿はいつもの完璧な騎士だ。だが、ユリウスを見る魔導院の長の表情は怖いほどに真剣味を帯びていた。
そしてそれはまたすぐに人当たりのいい先生の顔に戻る。
「邪魔してしまったかな」
「いえ。そんなことは」
むしろ助かったかもしれない。
(……何だったんだろう)
ユリウスのあの雰囲気は。
完全に飲み込まれてしまった。あのままふたりでいればどうなっていたかわからない。いまもまだ心臓がどきどきしている。
「ああ、そうそうアストレア君。婚約おめでとう」
(――ああ、先生までご存知なのね)
めまいを感じながらも表に出さないように努める。
「ありがとうございます」
「むしろいままで婚約していなかったことに驚いた。創立パーティーで王甥殿下にエスコートさせてたじゃないか」
「あれは、その……パートナーが見つからなくて困っている私を助けてくださったんです。ジーク様はお優しい方ですから」
創立記念パーティーは王立学院の年間行事の中で一番重要なイベントと言われているもので、盛大なダンスパーティーになっている。
パートナーの同伴が必須であるが、肝心のパートナーが見つからなくてアストレアは欠席しようと考えていた。
だが今後の参考のためにも学院でのパーティーがどんなものなのか知っておきたくて悩んでいたとき、学院の卒業生でもあるジークフリートがエスコートしてくれることになった。
特別な意味はない。
困っているアストレアに手を差し伸べてくれただけのことだ。
「王甥殿下はお優しい方だからねぇ。だが、あれでは生きづらいだろうだろうな」
しみじみと呟く。
冗談にしては深みを帯びた声の響きと、憐憫の表情が気になった。
「何かご存じなのですか」
「いや、すまない。いまのは私が悪かったね」
困ったように笑って頭を抱える。
薄いレンズ越しの落ち着いた双眸がアストレアを見つめる。
「君が支えてあげてくれ」
「それは、そのつもりです」
配偶者という立場でなくても支えていくことはできる。そうしたいと思う。そう思っているのはきっとアストレアだけではない。
「先生も、私たちに力を貸してください」
「あぁ、君は……君のオーラは大変美しい」
――偉大なる魔導士の眼には何が見えているのだろう。
「それじゃあ、頑張ってくれたまえ。君には期待しているんだ」
魔導院に向かう恩師に礼をする。
そろそろアストレアも継承者会議に行かなくてはならない。
(正式な発表はされていないのに、どうして皆知っているのかしら)
中庭に向かう回廊をひとりで歩きながらアストレアは顔をしかめた。
婚約からまだ一週間だ。それなのに既に周知の事実となっているのは何故なのか。
このまま会議にいくと変な注目を集めてしまうのではないか。質問攻めされてしまうとうまく乗り切れる自信がない。
それに、ルシーズのことも気になる。
顔だけ出して、用事があるということで早々に退出してしまおうか。
(――ううん)
堂々としていよう。
(婚約者が不甲斐ないと、ジーク様にまでいらない迷惑をかけるわ)
たとえ解消する婚約でも、相手に迷惑はかけない。
アストレアは顔を上げて、姿勢を正し、歩き出す。完璧な貴族令嬢の振る舞いで。
##
バラの季節の継承者会議は、宮殿近くのバラの中庭で開催されることが多い。
晴れた空、済んだ風、バラの芳香――素晴らしい天気の中、花のように美しく着飾った継承者候補たちの視線を受けながら、アストレアは堂々と会場に足を踏み入れた。
どうするべきかはもう知っている。難しく考えなくても、いつも見ている姿を思い出せばいい。
厳格な、そして優しい母。
朗らかで社交的な父
いつも周りに人がいる、可愛い妹。
アストレアはにっこりと笑う。
笑顔は身を守る最強の武器だ。アストレアはその力をとてもよく知っている。
何も答えなくても笑顔は雄弁に語る。相手の心の中で勝手に。勝手に、都合のいい解釈で喋ってくれる。
だから何も言わず、ただ笑う。
一部の隙も無い悠然とした笑顔。優雅さと姿勢。家庭教師から習った礼儀作法。それが社交界での武器となる。
「皆様、ごきげんよう」
笑顔。とにかく笑顔。
心の中で繰り返しながら会場の様子を確認する。しかしどれだけ探してもルシーズの姿はなかった。
どこかで休んでいるのだろうか。それとも帰ってしまったのだろうか。
心配すると同時に、どこか安心している気持ちにも気づく。
(最低だ)
自己嫌悪に押しつぶされそうになりながらも、表面上は笑顔を保つ。とにかく、後で手紙を書いて、家に行ってみよう。会ってもらえなくても手紙を渡すことはできる。
決意し、小さく頷く。
その時、会場の中でひときわ暗い雰囲気を放っている令嬢に気づいた。
誰とも話さず、ぽつんとひとり丸テーブルに着く、栗色の髪の令嬢。
(あれは確か、タチアナ様……なんだろう……陰が……)
雰囲気のせいだろうか。首の後ろの方に薄くモヤがかかっているようにも見えた。目を瞬かせると消えてしまったため、やはり気のせいのようだった。
それでも、見過ごすことはできない。
「タチアナ様。顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?」
栗色の髪の令嬢は、はっと顔を上げる。
「ごめんなさい。ご迷惑をかけてしまって……」
「気にしないで。お隣、いいかしら」
少し口調を砕けさせ、席に着く許可をもらって腰を下ろす。タチアナは張り詰めていた気が緩んだように微笑む。
「今日のアストレア様は、まるで陛下のように美しいですわ」
こういうときどんな返事をすればいいのか。途方に暮れかけたが。
(とにかく、笑え!)
気合で微笑む。
「ありがとうございます。タチアナ様も美しいと思いますわ」
アストレアの顔立ちは生まれつき整ってはいるが、優しい顔立ちのタチアナの方が親しみやすいし可愛らしいと思う。
しばらく二人でお茶を嗜んだあと、タチアナはぽつりと話を始めた。
「わたしは女王になりたかったんです。そんな器ではないのに」
膝に置かれた両手が震えていた。
「……なるしかなかったのに……」
――女王になりたい。その言葉を聞いたのは初めてだった。後継者候補たちはそんな野心を決して口にはしない。本心がどうであれ。
なりたくないとも、決して公言はしない。
その告白には執念じみたものを感じたが、アストレアは不快感を覚えなかった。むしろ羨ましいと思った。
「継承権を持つ方は、王に相応しい器を持つと思います。誰が選ばれるかは、選定される方々次第。今日タチアナ様が選ばれても、何の不思議もありません」
「……アストレア様が羨ましい」
その笑顔は貴族令嬢の完璧なそれでありながら、どこか病的だった。
(羨ましがられる要素なんてひとつもないと思うのですが)
ああ、やっぱり隠し事はよくない。言いたいことも言えなくなる。
「貴女といると、己の足りないところばかりを感じますわ。……今日はこれで失礼します」
タチアナが失踪したことを知ったのは、それから五日後のことだった。
城の図書館に行った折、噂話を聞いてしまった。
タチアナの家が多額の借金をしていたこと。そのため、貴族ではあるが位の低い――だが商会で成功している家の長男とタチアナが結婚することになっていたこと。
恋人と駆け落ちしたとも言われていること。
聞きたくないことばかりだった。
耳を塞ぎたかったのに、聞いてしまう自分も嫌だった。
『ああ、それにしてもまた失踪か……いったい何人の貴族がいなくなった?』




