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16 祝福の言葉



 定められたことというのは、こちらの都合に合わせずやってくる。朝があれば夜が来て、白銀週の光の日になれば継承者会議がくる。どんなに憂鬱であっても。

 気乗りしない足取りでアストレアは馬車から降りる。

 エリスは今日は用事があるとのことで先に出ている。王城内の人気菓子店レブランで友人と新作ケーキを味わうらしい。

 高くそびえる城を見上げる。

 次期女王はまだ決まっていない。

 たいていの場合は戴冠したらすぐに次期女王が決まり、本格的な女王教育が施される。だがもう十年以上、次期女王は未定のままだ。アストレアもまさかここまで決まらないとは思っていなかった。

 生まれながらにして女王と評された女王陛下は、次代についてどう考えているのだろう。


 城の回廊を歩きながら考え事をしていると、白石の廊下の先に青いドレス姿の女性が、待ち構えるように立っていることに気づいた。さらさらとした薄い色の髪が、光を受けて金のように輝いている。

「ごきげんよう。アストレア」

「ルシーズ」

 十一歳の時のあの継承者会議の件以来、ルシーズとは何度もアストレアの方から意見を交わしにいくようになって、いつの間にか敬称無しで呼び合う仲になっていた。

 ルシーズの物事をはっきり言うところと生まれながらの気高さは、アストレアにとってとても好ましいものだった。

 ルシーズは羽扇を口元に当て、切れ長の涼やかな瞳でアストレアを見つめる。

「あら。ジークフリート殿下と婚約が決まったにしては浮かない顔ね」

 城で噂が広まる速度はツバメが飛ぶより早いと言われているが、事実なのだと今日わかった。


(偽装婚約とはまだ言わない方がいいかな……)

 どうせ今日明日に結婚するという話ではない。いまのところは偽装婚約と広まることの方が問題がある気がした。

 ルシーズが誰かに言うとは思っていないが、王城ではどこで誰が聞いているかわかったものではない。伝えるならば他に誰もいない時を見計らうべきだろう。

「まあ、結婚するとしてもまだ先の話だし、途中で話が変わるかもしれないから」

 結婚前の婚約者変更はままあること。

 よくある話で濁しつつ、この話から逃げようとした。

「あら。なら、わたくしにもまだチャンスがあるということかしら」

「え?」

 意味を瞬時に理解できず呆けた声を上げる。

 ルシーズは艶のある笑みを浮かべて続けた。

「わたくし、ジークフリート様がずっと前から好きなの。協力していただけるわよね」

「えっ……ええーっ! そうだったの!」

 本気で驚いてはしたなく叫ぶ。ルシーズは頭を抱えた。

「はぁ……本当に、あなたの鈍さはいったいどういうことなのかしら」

「うっ……」

 人の気持ちに疎いとはよく言われるが。

 色恋沙汰については本当に鈍い。

 アストレアにとってはそれは別の世界の話のようで、その渦中に自分がいても現実感がわいてこない。

 無駄に精神年齢だけが高いせいで、興味が欠けているのだろうか。


「いや本当にお恥ずかしい限りです……」

 それにしても協力とは言ってもどうすればいいのだろう。

 頼まれても何をすればいいのかもわからない。

 ――胸の奥が苦しい。

 ルシーズの気持ちに気づかなかった罪悪感。そして友人の頼みを快く受けられない、名前のわからない感情。

「……あなたは、自分の気持ちにも鈍いのね。本当に大切なことは本には書かれていないのかしら?」

「うう……」

 そんなことはない。アストレアが読み取れていないだけだ。

 恋の物語はたくさん書かれているしたくさん読んだ。巷の女性に人気のある恋愛小説も読んだ。そこで描かれる恋愛に切ない思いも感じたが、やはり自分とは別世界の物語だ。

「ごめんなさい。いま言ったことは忘れて。わたくし、とっくに諦めているのだから」

「えっ、でも……」

 諦めることはないのではないか。ずっと好きだったのなら尚更。

 アストレアとジークフリートのそれは近いうちに解消される偽装婚約なのだから。

 ルシーズを説得しようとしたアストレアの口を、羽扇の柔らかい感触が遮る。

「もう何も言わないで。……好きな方の好きなひとくらいわかるわ」

 優雅な動作で流れるように去っていく。

 アストレアは声をかけることもできずに、遠ざかる後ろ姿を見つめることしかできなかった。


(バカだ、私は)

 人の気持ちも自分の気持ちもわからない。

 けれど、ルシーズを、大切な友人を傷つけてしまったことはわかる。

(どうしよう……)

 ルシーズはジークフリートが好きで、失恋したと思っている。とにかく、ルシーズに本当のことを伝えよう。これから継承者会議なのだから、ふたりきりになれる機会はあるはずだ。

 それで許してもらえなくても自業自得だ。

 何度も深く呼吸をし、心を落ち着かせる。

 ――行こう。



##



 会場に近づいてきたとき、見知った人影が見えた。

 銀髪の従騎士は、アストレアに気づいて笑顔を見せた。

「姫」

 周囲にきらきらと光を舞わせて、アストレアの方へやってくる。

 まるで、おとぎ話の王子様だ。

「ご婚約おめでとうございます」

 ジークフリートの従騎士だからもちろん知っていて当然なのだが。

 いまはあまり聞きたくない言葉だった。だが言葉に罪はない。

「あ、ありがとうございます」

 ――アストレアが偽装婚約にしたことは、おそらく知らないと思われる。ジークフリートはそこまではたぶん誰にも言わない。

 それにしても不思議な感覚だった。

 もしかしたら結婚するかもしれなかった相手に婚約を祝われるのは。

 しかもその相手がユリウスだということが。


 ユリウスはとにかく完璧で、令嬢たちの憧れの君である。騎士団の訓練場ではユリウス目当ての令嬢たちが色とりどりのドレスの花を咲かせ、黄色い声を上げていることも珍しくない。

 そしてユリウスは応援に必ず笑顔で応える。令嬢に答えるのは騎士の仕事の一つでもあるからだそうだ。

(ジーク様も割と人気があると思うけれど、愛想の類を一切返さないからなぁ)

 自然と人気は偏る。


 ユリウスは理想の騎士だ。あまりにも完璧すぎて、大昔に結婚を申し込まれたとは信じがたい。おそく本人は知らないことだろうけれど。

「覚えていますか。僕たちはこの城で出会ったんですよ。迷子になった姫を、僕とジークが見つけて」

 ユリウスは回廊の向こうを見ながら、懐かしそうに言った。


 ――覚えていない。思い出せない。

 ずっとずっと小さい頃、おそらく四歳くらいのころ、城で父とはぐれて迷子になったことは強烈な印象として残っている。とにかく不安で、父を探して城中歩き回って。

 言われてみれば、助けてくれたのは男の子ふたりだった気がする。記憶としては曖昧すぎて、顔も思い出せないけれど。

 ユリウスは寂しそうに呟いた。

「あの時も、僕が先に見つけたのに」

「……ユリウス様?」


 冬の夜空と同じ色の瞳が。

 アストレアを見つめる。

 心の奥まで見られてしまいそうで、目を逸らしたいのに、逸らせない。

 全身が痺れてしまったかのように、指先ひとつ動かせなくなった。

 流れ込んでくる感情が、どんな名前なのかわからない。

 そこに「完璧な騎士」はいない。いるのは、同世代の男性で。

 伸ばされた指先が、赤い髪に、触れる――


「おやこれは。私の可愛い教え子たちじゃないか」

 朗らかな男性の声が回廊に響く。

 はっとして顔を上げると、宵色のローブをまとった眼鏡をかけた初老の男性がこちらに歩いてくるのが見えた。

「ウォーロック先生!」


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