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14 指輪


 夜は滞りなくやってくる。

 約束の時間通りに王城からの馬車がレーヴェ家に到着し、騎士の正装をしたジークフリートが来訪した。

 黒髪青眼、黒い外套を肩にかけた青年は、まずは両親に頭を垂れた。

「レーヴェ卿、こちらの申し出を受けていただきありがとうございます」

「わたくしたちもうれしい限りです。両家にとってこれ以上ない良縁となるでしょう」

 母が答えたあと、アストレアがジークフリートと向き合う格好となる。アストレアは顔が強張らないように気をつけながら精いっぱい微笑んだ。

「ジーク様、お久しぶりです」

「ああ」

 短い、そっけない一言。そして沈黙。目を合わせようともしない。

 ため息をつきそうになるところをぐっと我慢する。

 挨拶の後は夕食会となったが、アストレアは何を話していたか覚えていない。いつもより豪勢だった食事の味も覚えていないが、ジークフリートが料理人の腕を褒めていたのが嬉しかったのは覚えている。


 夕食会の後は気を利かせてくれたのか、応接室でふたりきりになった。

 政略結婚が決まったふたりの初顔合わせとは通常どのようなものなのだろう。いまこの時と同じような重い沈黙が続いているものなのだろうか。

 ため息をつきそうになるところをぐっと我慢する。

 向かいのソファに座るジークフリートを見つめる。


 昔、ジークフリートはアストレアの太陽だった。暴君と思えるほど理不尽な時もあったけれど、道を明るく照らしてくれる人だった。

 だがいまのジークフリートは、まるで氷のようだ。

 表情は硬く、人を寄せ付けない雰囲気をまとっている。生来の精悍な顔つきも相まって、石の彫像のようだ。

 しかもアストレアの目を見ようとしない。結婚を申し込んだ相手にする態度とはとても思えない。

「どういうおつもりですか。私に結婚を申し込むなんて」

「俺ももうすぐ成人だ。婚約者を決めろと言われたからお前にした」

(ああ、やっぱり)

 ――適当なところで済ませたかった。そう言われると納得できる。年齢家柄ともに釣り合っているし、十年以上の付き合いでもある。周囲から反対される要素はない。ジークフリートにとっては都合のいい相手だろう。

「こちらの了承もなしに勝手に決めないでください」

 貴族の結婚は本人の意思とは無関係に決められるのが普通だが、それでもアストレアを選んだのはジークフリート本人だ。ならば事前に相談してくれてもよかったのではないか。

 アストレアは友人関係に近いものだと勝手に思っていたけれども――親分子分の関係のほうが近いかもしれないが――ともかく。

 どうしてジークフリートの口からではなく、親から決定事項として聞かされなければならないのか。

 アストレアの気持ちは完全に無視された。それが悲しかった。


「どうしても嫌だったら、お前が成人するまでに解消すればいいだろう」

 この国の成人は男女共に十八歳。結婚はお互いが十八歳になったら認められる。

 つまりあと二年。

 その時までに解消したかったらすればいい、その程度の婚約なわけだ。

「つまり偽装婚約ということですね。お断りします」

 きっぱりと断る。そんな婚約、受けたくない。

 ひやり、と室温が下がった。

 ジークフリートの青い瞳がまっすぐにアストレアに向けられていた。

「そんなに嫌か」

「うっ……」

 背筋が寒い。怖い。今度はアストレアが目をそらしてしまう。

「私は愛しあう方と結ばれたいのです」

「そういう相手がいるということか」

 圧が。

 いままで感じたことのないような圧がかかってくる。


「それはその、い、いませんけど……とにかく、このお話は撤回してください」

「絶対にしない」

 乗り気ではなさそうだったのにどうしてここまで頑ななのか。

 ジークフリートなら山ほど結婚話や見合い話が来ているだろう。本人がまだ全然そのつもりがないならそれはもう面倒だろうとは思う。

 だからといって適当に済ませていい問題ではない。絶対に。

「そんなに私と婚約したいのですか?」

 煽るような言い方をすれば彼の性格上「そんなわけない」と言い出すはずだ。

 はずだった。

 しかし返ってきたのは気まずい沈黙。これでは何もわからない。

「……わかりました。偽装婚約は私にもほんの少しメリットがありますし、王甥殿下には大恩があります。このお話、お受けします」

 ジークフリートの眉間が引くつく。彼も納得はしていないのが感じ取れた。

 上着から何か小さいものを取り出す。

「それは良かった。では婚約者殿、手を」

 こんなに甘くない「婚約者」という響きがあるだろうか。諦めて左手を差し出すと、薬指に指輪がはめられた。

 ジークフリートとアストレアの瞳と同じ青い宝石を、白銀の竜が守る意匠。

 おそらくヴィルヘルム家に代々伝わる指輪。白銀の竜はヴィルヘルムの紋章だ。

 なんて大切なものを偽りの婚約者に預けるのか。

 呆れつつも見入ってしまう。家族以外から宝石を贈られたのは生まれて初めてだった。



 ジークフリートを送り出して自室に戻ったアストレアは、椅子に深く腰を掛けて天井を仰いだ。

 婚約してしまった。偽装婚約とはいえ。

 こんなはずではなかったのに。

 慶事なはずなのに後悔しかない。

 婚約自体はアストレアにもほんの少しメリットはある。

 これでもう婚約者探しから休めることだ。舞踏会に出て見染めてもらったりする必要がなくなった。これからはもっと時間を有効に使えるようになる。

(いざとなったらスキャンダルでもあれば話が流れるわよね)

 そんな相手もいないけれど。

 醜聞がある相手を高位貴族の結婚相手にすることはないだろう。もし本当にそんなことになればアストレアの結婚もピンチなのだが、アストレアの相手は高位貴族でなくてもいい。適当な家柄の次男三男でも、商家の息子でも婿に迎えれば、領地を継いで領主になるのには問題ない。むしろその方が面倒がない。

 ――正直、誰でもいいのだ。反対さえされないような相手なら。

 でも、ジークフリートはいけない。

 王甥だからではない。現王家と血の繋がりが持てるのは家の地位を強固にすることに繋がる。

 人格にも問題はない。アストレア自身がよく知っているし、騎士として立派に勤めを果たしているのも知っている。悪い噂のひとつも聞かない。

 嫌いなわけでもない。

 嫌いではないから、この話を受けたくない。


 ため息をついて椅子に深くもたれかる。

 視界の端で、左手の指輪が光った。

 指輪を見つめる。

「きれい……」

 ジークフリートの瞳と同じ色。

 貴族はほとんどが青い瞳だが、同じ青でも人によって微妙に色合いが違う。この指輪の石は深い青。

(奥に星が入っている……)

 石の中心に、より深い青で。

 ますます、似ている。

(ジーク様、いまごろどうしているだろう)

 アストレアが乗り気ではなかったことに怒っているか呆れているか。早々と考え直して明日にでも解消すると言ってきてはくれないものだろうか。

 解消するならば、話が広まる前のほうがいい。


 ――嫌いなわけではない。

 相手がこちらに気持ちがないのがわかっているのに、こちらだけが一方通行な気持ちを持っていたら、必ず辛くなる。理由といえばそれくらいのものなのだ。

(そう。これは、私の問題)

 こんな気持ちを持っていなければ、普通にこの話を受け入れていただろう。


 あのとき、言葉をひとつくれていたら。

 何も迷わず、胸に飛び込んでいたのに。

「……ありえない話」

 指輪を外し、宝石箱の一番特別な場所に置く。

 いずれ返すのだから落としたり傷つけたりしたら大変だ。

 この気持ちとともに、大切に閉じ込めておくことにした。


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