婚約破棄された悪役令嬢がヒロインと結ばれるお話
それは王城にて王家主催で行われている夜会でのことだった。国王がやってくる前に第三王子ウルア=グランドフォーリアは高らかにこう宣言したのだ。
「シルヴィア=ローズフィール公爵令嬢っ。貴女との婚約、今この場で破棄させてもらう!!」
第一や第一の王子は元より宰相や騎士団長、果てはローズフィール公爵家当主さえも参加しているというのにお構いなしに、だ。
──昔から、この男は予測不能ではあった。
第三王子ウルア=グランドフォーリアは貴族としての常識なんて無視して度々『やらかす』男であると、幼い頃からの付き合いであるシルヴィア=ローズフィール公爵令嬢は嫌というほど思い知っている。
とはいえ、だ。
まさかここまで『やらかしてくれる』とは、流石のシルヴィアでも想像すらしていなかったが。
「いきなり何を言っているんですか? 今回ばかりは『やらかした』では済みませんよ?」
「婚約破棄だ」
「大体どうして婚約破棄という話になっているんですか? わたくしにとっても貴方様にとっても妥協できる婚約であると、そう思っていたのですが」
「婚約破棄ったら破棄なんだ」
「……まさかとは思いますが、隣国で騒ぎとなったように他の令嬢に心を奪われ、唆された、なんて話ではありませんよね?」
「おっと、そうだ忘れていた。シルヴィア=ローズフィール公爵令嬢っ。貴女がミラーナ=スイートビー男爵令嬢に嫌がらせをしているのはとっくの昔に判明している! 守るべき民を傷つけるような女が第三王子たる俺の婚約者でいられると思うなよ!!」
「忘れていた!? 今忘れていたっておっしゃいましたよね!? そもそもどうしてわたくしがミラーナに嫌がらせをしているという話になっているんですか!?」
「とにかく!!」
普段も大概『やらかす』男ではあるが、ここまで無茶苦茶ではなかったはずだ。
今日の第三王子は普段にも増して強引だった。シルヴィアの問いかけを無視して話を進めていく。そう、国家中枢に君臨するお偉方へと喧伝するように。
「皆様方っ。事前に周知した通り今ここに俺とシルヴィア=ローズフィール公爵令嬢との婚約は破棄された! さあ、存分に見届けてくれたまえ!!」
こうして何の説明もないまま、一方的に、シルヴィアは第三王子から婚約破棄を突きつけられることになった。
ーーー☆ーーー
「あの馬鹿、何を考えているんですかっ」
夜会会場を半ば追い出される形で後にしたシルヴィアは月明かりの中、王城の中庭にあるベンチに腰掛けて悪態をついていた。
腰まで伸びた金髪に宝石のように輝く碧眼。その美貌は異性だけでなく同性までも魅了し、国内外にその名を轟かせているほど……なのだが、その美貌も今は荒ぶる感情に歪んでいた。
月明かりの下、父親より『第三王子と話があるから、しばらく席を離してくれ』と言われたシルヴィアは頭を冷やすためにも中庭で夜風にあたっていたが、やはりこの程度で冷えるものでもないようだ。
「いつもの『やらかし』では済まないのに……本当、あの馬鹿っ!!」
第三王子とシルヴィアとの婚約はあくまで政略的なものだ。幼い頃からの付き合いであり、仲が良いほうではあるが、それはあくまで友情。どうしても、どうあっても、第三王子に恋することはなかった。
友人としてなら見ることができるが、男として見ることはできない。それでも将来的に結婚し、長い間付き合うというのならば、気心の知れた彼に不満はなかった。……妥協しているに過ぎないとしても。
それは第三王子のほうも同じだと思っていた。少なくともこうして向こうから一方的に婚約を破棄してくるほどに嫌われていたとは思えない。というか、色々と雑すぎる。
「もしかして……」
だとするならば、と。
一つの可能性に思い至ったシルヴィアへと声をかける影が一つ。
「シルヴィアさまっ」
声のするほうに視線を向けて、シルヴィアは思い至った可能性が真実であると確信を持った。
そこにはシルヴィアが妥協する必要がない未来が広がっていたのだから。
ーーー☆ーーー
彼女との出会いは別に劇的なものではなかった。
学園内にて困ったように彷徨っている彼女に声をかけたのがはじまりだった。
『貴女、何か困っているのではなくて?』
『え、あ、はいっ。すんごく困ってます!』
困っていると、元気よく答える姿に困惑したものだが、逆にいえばそれだけだ。途中入学らしい彼女はどうやら道に迷っていたようなので、案内をしてあげただけ。
そう、それで終わる話のはずだった。
『シルヴィアさまっ。この間はどうもありがとうございます!! お礼に何かさせてください!!』
肩で乱暴に切り揃えた茶髪の彼女──ミラーナ=スイートビー男爵令嬢は令嬢としての嗜みなんてカケラも感じさせない勢いでもって距離を詰めてきた。
天真爛漫とは、まさしく彼女のためにある言葉だろう。
『お、おおっ。なんていうかシルヴィアさまってすっごいねっ。ただ紅茶飲んでいるだけでも、こう、優雅ぁっ! って感じがするもん』
彼女は元は平民の身分ながら母親が亡くなってしばらくしてから血の繋がりのあるという男爵家当主に身元を引き取られ、こうして学園に通うようになったらしい。
彼女の貴族社会では見ることのない勢いは、そもそも育ちが違うことが影響しているのかもしれない。
『学園主催のパーティーってなんで強制参加なんだよう。しかも踊りのパートナー用意しないといけないとか。成り上がりだなんだと色んな人に嫌われているわたしにそんなの用意できるわけ……あっ、そうだ! シルヴィアさま、わたしと踊りませんか!?』
貴族としての常識に染まっていない彼女はたまに突拍子もないことを言い出すものだった。いつしかそれを好ましく感じていたのは、シルヴィアが毒されていったからだろう。
『シルヴィアさまぁ。むにゃむにゃ……だい、すき』
その毒は、シルヴィアの奥深くまで浸透していた。政略的な婚約。これまで不満なんてなかったそれが、魂を縛る鎖に感じられるほどに。
貴族として当然だと思っていた生き方、その道の先でシルヴィアの横に並ぶ相手は彼女ではないということが、ひどく悲しかった。
『シルヴィアさま……わたし、は』
だから。
それでも。
『えっへへ。呼んでみただけっ。うん、うん、呼んでみただけだから。それだけ、だから』
妥協しなければならないと、シルヴィアは己に言い聞かせた。
己の望みに正直になるには、シルヴィア=ローズフィール公爵令嬢という立場は重いものだったから。
ーーー☆ーーー
「シルヴィアさまっ」
夜会会場の近く、王城の中庭にあるベンチに腰掛けていたシルヴィア=ローズフィール公爵令嬢へと声をかけてきたのはミラーナ=スイートビー男爵令嬢だった。
令嬢らしく着飾ってはいるものの、彼女本来の天真爛漫な雰囲気が強く噴出している。
ドレスでもお構いなしに彼女らしく走ってきたのだろう。荒い息を吐きながら、額に浮かぶ汗を手で乱暴に拭うミラーナ。
「あの、シルヴィアさまぁっ!! さっき聞いて、その、第三王子さまと婚約破棄だって!!」
「落ち着きなさい。令嬢たるもの、いついかなる場合でも人の目がある時は取り乱さないものですよ。……先程のわたくしにも言ってやりたいものですが」
「いや、でもっ、だって!」
「だってではありません。まったく、仕方がない人ですね」
咎める言葉であっても、どこか柔らかい声音であるとシルヴィアは自覚できているのか。
ミラーナ=スイートビー男爵令嬢がそばにいるだけで、あんなにも荒ぶっていた感情が穏やかになっていると気付いているのか。
それが、シルヴィアの本心を示していた。
「それより、ミラーナ。どうしてわたくしが婚約を破棄されたことを知っているのですか? 先程の夜会には参加していない貴女がこんなにも早く知ることができるとは思えないのですが」
「それは、さっき王城まで連れてきてくれた第三王子さまの使いの人がそう言ってて!」
その答えを、そう、第三王子によるものだという答えをシルヴィアは予想していたのだろう。ミラーナからの返事に驚くことなく、ただ一つため息を吐くだけだった。
第三王子には、言いたいことは山ほどある。だけど、そんなものは後回しにするべきだ。決死の『やらかし』を無駄にしてはならない。ここまでお膳立てされたならば、シルヴィアもまた答えなければいけない。
ここまできて妥協なんて、できるものか。
「わたくし、ミラーナのことが好きです」
「…………、へ?」
ぽかんと、見事に呆気に取られているミラーナへとシルヴィアはさらに言葉を紡いでいく。
「ですから、ミラーナが好きなんです。友人としてではなく、恋人としてそばにいてほしいんですよ」
「え、えっ、えええええ!? シルヴィアさまっ、その、それは、ええーっ!?」
ばっばばぁーっ!! とそれはもう慌てに慌てて飛び退くミラーナ。距離を取ろうとするミラーナへと、ベンチから立ち上がったシルヴィアは距離を詰めていく。
いつもと違い、シルヴィアのほうから。
「ミラーナ、返事を聞かせてほしいのですが」
「いや、だって、わたしとシルヴィアさまとでは身分に違いがっ」
「あれだけ身分に関係なく接しておいて何を言っているんですか。もちろん障害がないとは言いませんが、そちらに関してはわたくしが対処します。……あの馬鹿にここまでお膳立てされたのですもの、多少『やらかした』としても障害など取り除いてやりますよ」
「女同士、だよ?」
「それがどうしたというのですか。わたくしが好きになったのは性別ではなくミラーナ本人です。世間一般的な『当たり前』で愛を語れるわけないじゃありませんか」
「第三王子さまとの婚約は、ってそうだよ破棄になったんじゃん!!」
「ええそうです。……あの馬鹿、背中の押し方が強引すぎるんですよ」
「だって、だったら、ええっと、そのっ!!」
わちゃわちゃと両手を振り回し、じりじりと後退するミラーナだが、やがて中庭を囲む壁にぶつかる。それ以上、後退できなくなる。
そこにシルヴィアは踏み込み、そして──あと一歩で触れ合うといったところで歩みを止める。
「ミラーナ。貴女の気持ちを、聞かせてください」
待つ。
待って待って待って──やがて、ミラーナはこう叫んだ。
「ああもう!! わたしだってシルヴィアさまのこと大好きに決まってるじゃん!!」
ミラーナから一歩、踏み込む。
互いの距離はゼロとなって、最愛を抱きしめる。
「良かったです。本当に」
「言っちゃった……。言っちゃったよお!! ねえシルヴィアさまやっぱりダメだってっ。そりゃ第三王子さまとの婚約は破棄になったんだろうけど、だからといってわたしとシルヴィアさまとでは身分が違うんだよっ。絶対色々面倒なことになるじゃんっ。わたしのせいで、シルヴィアさまを苦しめたくないよ……」
「そうは言ってもわたくし覚悟を決めてしまいましたからね。ええ、ええ、あの馬鹿が全てを賭けてでも強引に背中を押すものですから。ミラーナと一生一緒にいるためならなんだってやってやりますよ!!」
「一生一緒!?」
「……嫌なんですか?」
「嫌じゃない、全然まったく嫌じゃないよ!!」
「ならよろしいではありませんか」
「よろしい、のかな? これ本当によろしいで終わらせていいのかなぁ!?」
「いいんですよ。なぜなら、こうしてミラーナを抱きしめているのがこんなにも幸せなんですもの。それが、全てです」
「シルヴィアさま……。わかった! そこまで言うならわたしも覚悟決める!! わたしだってシルヴィアさまとずっと一緒にいられたらいいなって望んでいるんだから!!」
ーーー☆ーーー
夜会会場にて。
ローズフィール公爵家当主は呆れたように首を横に振っていた。
「まさか本当に『やらかす』とはな」
「事前に周知していたと思うけど?」
サラリと第三王子はそう返した。
そう、この夜会で『やらかす』ことは事前に第三王子の口から公爵家当主をはじめとした『関係者』に伝えていたのだ。
シルヴィアと、国王だけを除いて。
「確かに聞いてはいた。周囲に与える影響を最小限にしたいから協力してくれと頭まで下げてな。それでも実際に目にするまでは半信半疑だったのも無理はないだろう。俺が王家から追放されることを前提に進めてくれなんてことも言っていたとなればな」
「といってもこれが最善だろ? 婚約破棄なんて『やらかす』ような、しかも婚約者が男爵令嬢に嫌がらせをしていたという嘘に振り回された第三王子が全部悪く、王家や国家に罪はない。ならば第三王子を切り捨てればいい。そういう風に持っていければ、影響を最小限にできる。というか隣国のがまさしくそれだしお手本にしないとな!」
「……、どうしてそこまでできる?」
「友人のためなら、これくらい安いものだ」
迷うことなき即答だった。
どうしても、どうあっても、シルヴィア=ローズフィール公爵令嬢に恋することはなくとも──彼女は大切な友人だから。
最後まで女として見ることはできなかったが、友に妥協することのない幸せを掴んで欲しいと望むのは当たり前のことだ。
そのためなら、国だって相手にしてやる。
「しっかし、良かったのか? 俺としてはシルヴィアに幸せになってもらうためならなんだって『やらかす』が、公爵家当主としてはこのままシルヴィアとミラーナがうまくくっつくものなら困り物だと思うんだが」
「今回の件で最低限の利益は回収する。その褒美として好きにさせてやるだけだ」
「つまり、なんだかんだと公爵家当主だって娘には甘いってことだな!」
「……、ふん」
と。
第三王子は何やら外が騒がしいことに気づく。そう、騒ぎを聞きつけた国王が近づいてきているのだ。
「そうだ、問題は親父だった。他の奴らと違って事前に言いくるめることはできそうにないから先手必勝、勢いで押し流してやるつもりだったが、うまくいくと思うか?」
「ここまできたならば、やるしかないだろう」
「あっはっはっ。そりゃあそうだっ。ようし、最初で最後の親子喧嘩、ド派手にぶちかましますか!!」
その後、なんだかんだと殴り合いにまで発展した末に婚約破棄と自身を王家より追放することを国王に受け入れさせたのだった。
ーーー☆ーーー
「あの馬鹿、実は自分のために『やらかした』んじゃないですか?」
婚約破棄騒動から一ヶ月。
無事(?)王家から追放された第三王子はというと、元気に大陸の『外』まで飛び出していた。
送られてくる手紙には大天使やら宇宙人やら悪魔王の分化体やら聖女の奥に潜むものやら幻の『魔の極致』第零席やら魔王ミーナやら世界には強い奴がいっぱいで毎日が楽しい喧嘩日和だと、それはもう興奮した様子が綴られていた。
王族なんてかたっ苦しくて性に合ってない、と常にぼやいていた彼にとってこの結末はご褒美以外の何物でもなかったのだろう。
そもそも、今回の婚約破棄騒動の影響を抑えるためだけなら、わざわざ第三王子が身分を捨てる必要はなかった。もう少し上手いやり方はあったはずなのだから。
それでもどさくさ紛れにこんな結末に持っていったのは、第三王子自身のためだろう。
シルヴィアだけではなく、彼もまた妥協することなく幸せを掴むために。それでいて影響を最小限に抑えたというのだから、王族にふさわしい能力はあるのだろう。
……色々と『やらかす』あの男に権力を握らせるのはそれはそれで問題がありそうなので、このような形に落ち着いたのが一番なのかもしれない。
「ま、馬鹿は馬鹿なりに幸せならそれでいいです」
この一ヶ月、公爵家から追放されることも覚悟にシルヴィアはミラーナとの仲を周囲に認めさせようと行動してきた。幸運なことにシルヴィアは公爵家から追放されることなくミラーナとの仲を認められていた。
だから。
シルヴィア=ローズフィール公爵令嬢は誰に遠慮することなく踏み込むことを決めた。
その手には指輪。
その視線の先には大手を振って駆け寄ってくる最愛。
ゆえにシルヴィアは迷うことなくこう言った。
「ミラーナ。わたくしと結婚してください!!」
「うっ、ええええーっ!?」
ばっばばぁーっ!! とそれはもう慌てに慌てて飛び退くミラーナへと、シルヴィアは大きく踏み込んで逃がさないと言いたげに抱きしめるのだった。
しばらくしてミラーナのある指に輝く指輪がはめられるのだが、そんなものはわざわざ語るまでもない必然である。