7話 変身魔法
物置部屋で父と別れて、俺は二階にある書庫の扉を開いた。ここもカリーナがきっちり掃除をしているようで、埃の一つも見つからない。
とにかく、必要な本をいくつか探す。
俺が求めているのは変身系の魔法が記された本だ。さすがにこの顔で連中に会いに行ったら速攻でバレるだろう。
少し顔を変えられればいい。
それらしい背表紙を見つけて手に取る。『変身魔法 序』という初心者向けの魔術書だが、今の俺にはちょうどいい。
簡単な攻撃系の魔法しか使えない俺は、これくらいの幼児向けから始めるに限る。
大きな文字で簡単な変身魔法の発動の仕方が書かれている。変身する上で必要な物はイメージ力と揺るぎない精神力だそうだ。
この魔法を習得し、奴等の前に立った時、俺は平常心を保てるのだろうか。
「いや今は考えてもしょうがねぇ……できるようになってからだ」
近くのテーブルに本を置き、本と同様の格好をする。
まず利き手で顔を覆う。目を閉じ、自分が何になりたいかを想像する。
この際、慣れないうちは自分と体型の似た人物にするのがいいそうだ。俺と背丈がほぼ一緒なのはディアラくらいしか知らない。
さらさらの金髪、エメラルド色の瞳、形のよい鼻。
思い出せる限りにディアラの外見的特徴をイメージする。ピリッと顔に静電気が走ったような気がした。
成功したのかどうか確認したいが、ここに鏡が無いのを思い出した。
「隣にあったよな」
書庫の隣にある兄の部屋に入る。昔と変わらず、綺麗に整頓された部屋だ。散らかし癖のある俺とは正反対だ。
壁際のスイッチに触れると天井の魔石が部屋を明るく照らした。身だしなみを整えるように兄がいつも使っているドレッサーの前に座る。
スキンケア等々、肌に気を使っているのは女子のようだと一度言ったら、長々と美肌の重要性を語られたのを思い出した。
どうやら女にモテると何かの本に書いてあったらしい。それが功を奏したのかは俺は知らない。
思い出に浸りつつ、鏡に目を向ける。
なんとそこには見たことのない男が映っていた。濁ったような緑色と、金になりきれていない茶髪の妙な男だ。
ディアラに寄せたが、やはり憎んでいる相手になりきるのは心の奥底で否定したのだろう。
何はともあれ町を歩く時はこの顔でいるしかない。幸い、こんな顔なら探せばどこにだっている。
「よし、あとはこの顔を定着させるだけだ」
明かりを消して外に出た。と、ちょうどカリーナと遭遇した。
「どちら様ですか?」
「俺だよ、俺」
変化を解く時は利き手ではない方で顔を覆う。再び静電気のようなものが流れるのを感じた。
「あらぼっちゃま。変身魔法とはどうされたんですか?」
「今後必要になるからな……今のうちに練習さ」
「ぼっちゃま才能はあるんですから魔法の道に戻りませんか?」
「悪いなカリーナ、俺は剣士として生きていく。この信念は変えられないよ。いくらカリーナに泣かれてもな」
「昔は私の嘘泣きに引っ掛かりまくりでしたものね」
「そうだったな。おかげで雑用をやらされたな」
「ふふ、懐かしいですわ。そういえばゼル様がお待ちでしたわ。それではぼっちゃま」
着替えの束を抱えたカリーナは足早に去っていった。解けた変身魔法をもう一度発動する。
「うん……悪くはない。ちゃんと学べば俺も魔法を自在に操れたのかもな」
今さら遅い後悔を感じつつ浴場へ向かう。そろそろゼルも風呂から上がった頃だろう。
一階の端に位置する浴場は町にある銭湯と同等の広さを誇る我が家自慢の設備だ。
魔法で水を張り、魔法で湯を沸かす。何とも便利なものだ。
最初の試練として六歳の頃にフロミネス家の一人でこの風呂を準備しなければならない。
兄と姉は難なく達成し、得意気だったそうだ。しかし俺はサボりにサボって小さな池程度の水しか貯められず、焚き火程度の火しか出せなかった。
以降は兄と姉が交互に風呂を沸かしてくれた。
脱衣場に全裸のゼルグリアがいた。タオルで体を拭きながらのご対面。悲鳴を上げるかと思いきや、特に反応は無く淡々と着替えていった。
呆気にとられて目を反らすことができなくなってしまった。
大人のようなすらりとしたボディではなく、子供特有のぷにぷにとした柔らかそうな体つき。
胸の膨らみも無く、完全な水平。どこか艶かしく思ってしまうのはなぜだろうか。
「幼女の裸を見て楽しいか?」
軽蔑ではなく、純粋な疑問を投げ掛けたゼルはタオルで頭を拭きながら去っていった。
「いや、別に……」
反論しようとドアを開けたが、彼女の姿はもう廊下にはなかった。後で弁解しようと決めて服を脱ぐ。
懐かしの我が家の風呂に突入する。
凄まじい湯気を掻き分けてさっさと体と頭を洗う。そして真ん中の一番大きい湯船に浸かる。大人が一度に十人入れるくらい大きな湯船を一人占めできる喜びは計り知れない。
今だけは復讐の事は忘れようと努めるが、どうしても奴等の顔が頭にちらつく。
十年たった今、奴等がどこにいるかは分からない。明日は町に出てギルドで聞いてみよう。
大きく欠伸をして肩まで浸かりなおす。石版の部屋での疲れが出たのだろう。
もう少し温まったら出て、早くベッドに行こうと、もう一度欠伸をした。