お嬢様はいささか
「ナターリア」
「ここに」
「わたくし、学園にゆくわ。準備なさい」
ご紹介に預かるのが遅くなりました、まああまり必要性も感じませんが。
私、こちらのとんでもなく高貴なご令嬢の使用人その1、ナターリアと申します。
侍女とよばれるよりも使用人とよばれるほうが心が安らぐ庶民派です。
本来、侍女になれるほどの身分はありませんが、何の因果かお嬢様の側仕えを許されております。
「畏まりました。本日はどのようなご用事で?
お召し物も、ふさわしいものにいたしませんと」
そして本日、王立学園にお出掛け予定のこちらの方こそ、私のお仕えするお嬢様。
私ども使用人の間では、お嬢様の桜色の可憐な口から何が飛び出るか、お声がかかると胸の鼓動が一拍飛ぶと大評判です。
「そうね、シュガーツのグラスハウスで品種改良された薔薇が咲いたと聞いたの。
それを観に行くことにするわ」
胸の鼓動が一拍飛ぶとはどういうことかって?
みなさま、お嬢様のお言葉に何か感じるものはございましたか?
違和感に気づいたあなたは勘が宜しい方ですね。
そう、お嬢様はたったいま、学園に行く用事を決めたのです。
学園に行くと決めた後に、用事を決めたのです。
なぜだか脳裏には哀れ薔薇が無惨に散ってゆく光景が浮かびます。
「かしこまりました。
裾が邪魔にならぬよう、すっきりした形のドレスをお持ちしましょう。
御髪もまとめたほうが宜しいでしょうね。髪飾りはどうされますか?リボンのみでもお似合いかとは思いますが」
ちなみにお嬢様は美しい栗色の髪に深い緑の瞳をお持ちの、普通にお美しいご令嬢です。
世間では、金髪や銀髪が持て囃される傾向もありますが、お嬢様のよくありがちな髪色は無意識の親近感を感じさせ、
各部位の美しさを引き立てる結果、人間味のある、普通に美しいご令嬢という評価を得ていらっしゃいます。
この「普通に美しい」というのが誠に上手くできておりまして、高嶺の花になりきらないあたりがまた…全ては神のご意志なのでしょう…髪だけに。
「そうねぇ…私用とはいえ、偶然、学園の高貴な方にお会いするかもしれないわ。
リボンのバレッタにしてちょうだい。」
「畏まりました」
リボンのバレッタというと、あの、ご婚約者様から頂いたヤツですか。
優秀な使用人は多く語らないもの。
なんとか言葉を飲み込んではみたものの、お楽しげなお嬢様のご様子に肌が粟立ちます。
まあ、私はただの使用人ですので、遠い学園で見知らぬ高貴な薔薇が散ろうとも、犠牲の子羊が括られようとも、痛む胸はこれっぽっちも持ち合わせておりません。
「あら、指示だけ済ませて、後は他の者に任せなさい。
あなたはお伴として連れていくのだから、早く準備なさいね?」
前言撤回!
いま!史上最大に!
胸が、いや主に胃が!悲鳴を上げております!
その理由はといいますと、わたくしのお仕えするお嬢様には、いささか、お人が悪いところがあるからなのでした。
お人が悪いとは、まぁつまるところお上品な貴族用語でいう「性悪」という意味なのです。
中途半端な身分の中途半端な性格破綻者なら小物感すらあって幾分か愛嬌も感じられるというものですが、私のお嬢様はとんでもなく高貴な血を引くご令嬢でして、そのとんでもなく高貴な彼女のお人の悪いお振る舞いを止めることができる者はいないというのが現状でございます。
彼女の親兄弟は諌めることはしないのか?
ええ、みなさまそのように思われますでしょうね。
しかし悲しいかな、血は水よりも濃く、出藍の誉れともいうべきか、ご家族皆様お人が悪い方がお揃いで。
お諌めするどころか、お嬢様のなさりように手を打って大喜びする始末でございます。
さながら小火を消そうとご家族様をお呼びしたら、当のご本人方が軍用規格燃料を投下し辺り一面焼け野はらにする有り様なのです。
よって私ども使用人の間ではなるだけ「混ぜるな危険」「三密回避」が不文律となっております。
格下の貴族、裕福な商人らの反感を集めれば、いつか足元を掬われ引きずりおとされるのでは?とお思いでしょう。
しかし由緒ある家柄の賢い方々は自制され、不用意にお嬢様方の視界に入るようなことはいたしません。
節度あるお付き合いにとどめております。
触らぬ神に祟りはないものです。神が一方的に祟ることはままありますが。
その一方で、不思議なことに、欲にかられた勇気ある方というのは、どこからともなく一定数湧いて出ておいでです。
一体どこからその自信が湧いてくるのかとも思うのですが、もはや立入禁止や遊泳禁止の看板を無視する輩のようなものでしょう。
それどころか、わたくしのお嬢様はいわば薪と燃料と点火材に時差式発火装置を準備した上に人払いまでしてから放火犯に耳元でささやくようなお方です。もちろん騎士団にも連絡済みで。
つまり、頂へ手をかけるほどの高みに、注意深く己の才覚のみで到達する者は未だ現れずということなのでしょう。
ではもっと上の身分の者に睨まれないのか、ですって?
ええ、上の身分の方はもちろんいらっしゃいますとも。
ですが私のような庶民には、王家の方々のお考えなど分かりません。
いまのところ、お嬢様ご一家が疎まれているとも聞きません。
個人的には、王家はお嬢様ご一家の気性を理解された上で、巧妙に矛先を自分たちから逸らしているのではないか以下反語。
まぁ、お嬢様ご一家は時折、王家の方々にも「お人の悪さ」をかましていますので、完全に標的を逸らすことができているのかと問われれば微妙というのが私の評価でございます。
ただ、誰だって出来るなら「災害」には遇いたくないですしどうしても避けられない傷なら、「重傷」よりは「軽傷」のほうがマシと思うのが人間でございますので…。
王家も何だかんだで上手く国内の統治に利用して下さるうちは、私ども一般庶民は、時折起こる騒ぎを、生暖かく遠い目で対岸の火事として眺めればよいのです。
ええ、対岸から。
そう思っておりました。
ですが!ですが!
私の平穏でちょっぴり刺激的な使用人生活が、現在、風前の灯でございます。
きっとこれから私は、哀れな犠牲者が焚付材にされる姿の見届人として、恐れおおくも高貴な方々が燃え上がる様を観賞させられるのです。
燃やされる方にしてもこんなド庶民の前で燃やされるなんて屈辱でしょう、私も居心地が悪いことこの上ないにきまっておりますのに。ああ、なんて、お人の悪いお方。
先程は少々、動揺してしまいましたが、お嬢様とともに学園へと向かう馬車に揺られるうちに心は落ち着いて参りました。
使用人の仕事とは、主の望むことをなすこと。
まぁ、一時の居心地の悪さ否めませんが、所詮は他人事ですので、しがない使用人の私には関係ありませんものね。
「ねぇ、お願いがあるのだけれど」
「…何でございましょう?」
幸福なことに、そのときの私はまだ、気づかないふりをしておりました。
お嬢様のお人の悪さはいささか、私の想像を超えていたことに。