【別視点】ムルシアの未来
末の弟が、ドラゴンを討伐した。
その報を聞き、私は不思議と素直に受け入れることが出来た。
本来ならば、まずデタラメだろうと断ずる話だ。だが、ことヴァンの話ならば、何故か納得することが出来る。
精鋭ではあるが、騎士三名と老執事、メイドと奴隷の子供を連れた八歳の少年。向かう先はいつ無くなるかも分からない辺境の貧しい村。
誰もが、一年も経たずに泣いて帰ってくることを想像しただろう。
なにせ、たった八歳の少年なのだ。
だが、そのヴァンが、辺境の貧しい村を治めてドラゴンを討伐した。それを、国王陛下が認めている。
こんなに嬉しいことがあるだろうか。
私は思わず涙が溢れていた。
「……泣いているな、青年。弟が先に手柄を立てて悔しいか?」
微笑みを浮かべた陛下に問われ、私は首を左右に振る。
「恐れながら、陛下。逆でございます。私は、逆境を乗り越えて大きくなった弟の今を知り、眩しく思うと同時に、とても誇らしい気持ちであります。彼は、幼い時から普通ではありませんでした。しかし、それが目に見える結果となることはありませんでした……でも、今は違います。誰もが、ヴァンを普通の子供とは思わないことでしょう。彼は……」
そう言葉を切って顔を上げ、陛下の目を真っ直ぐに見る。
「ドラゴン討伐の英雄なのですから」
心からの台詞だった。
その言葉に父は眉根を寄せたが、陛下は面白そうに目を瞬かせた。
「本心か。ある意味、ヴァン男爵に似た欲の無い男だな。侯爵の血を濃く受け継いだのは次男と三男であると聞いたことがあったが、確かに父の野心はあまり受け継いでいないようであるな」
そう言って、陛下は父に視線を戻す。
「侯爵。家督を争う者が三人いると、何かと気を揉むだろう?」
「は……それは、まぁ……」
陛下の言葉の真意を測りかねて、父は曖昧に返答した。すると、陛下は深く頷いて笑う。
「そこでどうだ、フェルティオ侯爵。まだまだ長く現役であろう卿と、更に才に恵まれたという次男と三男で侯爵家を盛り立てては?」
「……それは、どういう……まさか、ムルシアを独立させよ、と?」
父がそう口にして、私は思わず「え」と声が出た。
これまでも、激昂した父から罵倒されることはあった。無能と罵られることもあった。
だが、まさか、国王陛下から家を出ろと言われるなんて。
私は不安に押し潰されそうになりながら、顔を下げて地面を見る。
額から流れた冷や汗が地面に落ち、染みを作った。
自分が独立?
無理だ。そんな知識も、経験も無い。いや、ヴァンはその逆境を跳ね除けたのだ。私が文句を言うのは間違っているのかもしれない。
だが、どうにも自信が無い。想像するだけで心臓が痛いほど強く音を立てる。
不安に押し潰されそうになりながら、私は父の顔を盗み見た。
いくら国王の言葉とはいえ、事は侯爵家の次期当主の話に絡むのだ。よほどの理由がない限り、断ることも出来る筈。
そう思っていた私は、父の顔を見て言葉を失った。
目の前には、陛下の目から視線を逸らしたまま思案する父の姿があったのだ。
何故、迷うのか。
答えは明白だ。
兄弟三人が後継者の座をめぐって、骨肉の争いとなるのを避けるためだろう。兄弟で殺し合うという話はいくらでも耳に入るし、何より父が実際に体験している。
兄を殺して当主の座を手にした父は、その逸話もあって鮮血卿などと揶揄されたこともある。
侯爵にまで成り上がった父は、そういった醜聞を避けるようになった。それ故に無能と判断したヴァンを追放したという側面もある。
ならば、父が選ぶ答えは……。
「分かりました。独立が出来るかは判断出来かねますが、一つの町の領主に据えて様子を見ましょう。ただし、これは陛下のご提案ですからな。フェルディナット伯爵領の地にある町の一つ、キュベルをムルシアにお与えくださいますよう……」
そう言って、父は不敵な笑みを浮かべた。
国王陛下が何を考えているか思い当たったのか、父はあっさりと私を手放した。
いや、たとえ独立したとしても、私ならば都合の良い使い方が出来ると考えたか。
どちらにしても、私を侯爵家から出すことを了承したのだ。
その事実に目の前が暗くなったような感覚に陥る。
そして、陛下は口を開いた。
「ふむ、キュベルか。確かに悪くはないが、少し卿の領地から離れるな。それでは息子が心配になるだろう」
「は? い、いえ、そのようなことは……」
陛下の悩むような言い方に、父は真意を測りかねて首を捻る。
すると、陛下はわざとらしく良い事を思い付いたと大きく頷き、笑った。
「そうだ。良い事を思い付いたぞ。卿の息子、ヴァン男爵がちょうど侯爵領の端で新たな村を作っていたな。ひとまず、そこへ赴任させてはどうだ? さすれば心配になって様子を見に行くのも楽であろう。二人がほぼ同じ場所にいるのだからな」
と、冗談のようにそう言った。
それには然しもの父も笑みが引き攣る。
「ご、ご冗談を……。同じ場所に二人置いたところで、独立とは言えないでしょう。自立を促して成長させるならば、それこそヴァンのように辺境の貧しい村を自力で強くしていくような環境が最適かと」
「ならば、キュベルの町は不適切であろう? あそこは伯爵領の端だが、防衛拠点の重要な補給を担う町だ。規模は小さくとも豊かな場所に置く必要がどこにある?」
「そ、それは……その、先に代官がおりますし、出来上がってしまった統治をどう以前より良くするか、自ら考えて税収を増やすことで成長と……」
「ふむ。おかしいな。先程は貧しい村の方が良いと言ったが、今度はまた違うことを言う。ならば、何処でも良かろう?」
しどろもどろになる父に、陛下は意地悪く笑い、そう尋ねた。
恐らく、陛下に重用されてきた父は言葉の意味を見誤ったのだ。陛下の言葉の裏を読み、更に理由をつけて伯爵領の地を奪えると考えたのだが、そうではなかった。
しかし、それならば陛下の真意はどこにある?
何を考えて、私を侯爵家から離そうと考えるのか。まさか、私が憎くてこんなことを提案したわけではないだろう。
胃が痛むような思いで二人のやり取りを見ていると、不意に父が眉根を寄せて地面に目を落とした。
そして、静かに口を開く。
「……まさか、陛下。まさかとは思いますが、私よりも、ヴァンの方が、国境を守るに相応しい……そうお考えですか……?」
血を吐くような、重苦しい声だった。
そんな父の声も、怒りに引き攣る顔も、私は見たことがなかった。
だが、陛下はまったく態度を変えず、笑いながら片手を振った。
「はっはっは! それは違うぞ、フェルティオ侯爵。卿ほど戦に長け、我が王国に尽くしてくれた者を、私は他に知らぬ。単純に、ヴァンという少年を面白いと感じただけだ。それに、この話はスクデットがどうなるかにもよるぞ。スクデットが奪われ、更に王国の地がイェリネッタの者共に踏み荒らされたなら、そんな悠長なことは言ってられなくなるのだからな」
そう言って笑みを消す陛下に、父はただ深く頭を下げた。
それを出されたら、何も言えるわけがなかった。
頭では分かっているのに、父が私を侯爵家に留めるという言葉を口にしなかったことが、ずっと頭の中でグルグルと渦巻いていた。
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