調査結果
一時間後、カムシンは帰ってきた。幸運にもエスパーダはまだ来ていない。時間を厳守するエスパーダが珍しいとも思うが、今はそれを喜ぶべきである。
「ヴァン様、調査結果です!」
「……よし、聞かせてくれ」
執務机に両肘を置いて顔の前で両手の指を組み、低い声で返事をする。
どうしよう。きつい、きたない、くさい、給料安いなんて言われたら……。
内心ハラハラしながらも、表面上は冷静かのように振る舞いつつカムシンの言葉を待った。カムシンは折りたたんだ紙を取り出し、広げて自分のメモを確認する。ちなみに、カムシンはティルに習って読み書きをマスターした。今は四則演算のお勉強中である。
「えっと、ヴァン様の仰る通り、意外と不満がありましたね」
「そ、そうなんだね。いや、大丈夫。覚悟は出来てるから」
どきどきしながら続きを促すと、カムシンは頷いて口を開いた。やっぱり深呼吸させてと言い出しそうになったが、言葉を飲み込む。
「そうですね。一番多かった意見が訓練がきつい、でした。ディー様の訓練が段々激しくなっているとのことで、以前から騎士団に入団している人たちからの意見です。後、城塞都市ムルシアの勤務日数を減らしてもらいたい、という意見も……こちらは今、交代で城塞都市ムルシアの警護をしている人たちからの意見です。出来たら城塞都市ムルシアの滞在は一週間にしてもらえたら、というものでした」
「ディーは最近大きな戦いが続いたからテンション高かったからね。それとなく言ってみよう。城塞都市ムルシアはまだ援助が必要だからなぁ……それじゃあ、二十人ずつ交代制にしていたけど、十人ずつで交代班を増やそうかな? それで、他にはどんな不満が出たのかな?」
とりあえず、一番多い不満に関しては僕のパワハラを告発するものは無かった。少しホッとしつつ尋ねると、カムシンは首を左右に振ってメモを書いた紙を見せる。
「いえ、他には特に……会った人には他に不満を聞いていないか尋ねてみたのですが、どちらかというと城塞都市ムルシアでの滞在期間の話が多かったくらいですね。後は、ディー様の訓練が過酷というのはいろんな人から聞くそうでした」
「え? もう不満は訓練と城塞都市ムルシアにしかないの? 給料は?」
「給料は十分貰っている、という意見が」
「え、そうなの? ほんと?」
カムシンからの報告を受け、驚いて聞き返す。そんな僕に、ティルが苦笑しながら口を開いた。
「ヴァン様が税を安くしていますし、生活に必要な品も格安ですからね。給料は十分過ぎるくらいだと思いますよ」
ティルはそう言って、また新しく温かい紅茶を淹れてくれた。紅茶の注がれたカップを受け取りながら、顎を引いて唸る。
「う~ん……それなら良いんだけど……あ、美味しい」
「美味しいです」
香りが豊かで美味しい紅茶を飲んでホッとしていると、同じタイミングで紅茶を口にしたアルテもニコニコしながら感想を述べた。それにティルが胸を張って大きく頷く。
「愛情が籠っています!」
「おお、流石はティル」
「えっへん」
専属メイドとして完璧な受け答えをするティルに賞賛の言葉を贈る。その時、ドアの方から声がした。
「私も一杯いただけますかな」
「いつの間に……!?」
気がついたら、部屋の入口にエスパーダが無表情で立っていた。暗殺者より怖い。
「先ほどノックしたのですがお返事がなかったので、もう一度お声掛けしてから入室しました。騎士団の不満を調査されていたようですが、大変良いお心掛けかと思われます。今後も住民は増え続けていくでしょうから、一度大々的に要望や意見などが無いか調査をするのも良いでしょう」
そんなことを言いながら、エスパーダは両手いっぱいの書類を持って歩いてきた。ずどんと音がなりそうな量の書類が机の上に置かれる。
「……多過ぎない?」
掠れた声で尋ねると、エスパーダはなんでもないことのように頷く。
「そうですな。ヴァン様に確認していただく分を精査している最中に、また新たな報告が上がって参りました。商会の方々や冒険者ギルドの方々もヴァン様が帰って来られたと知って、溜まっていた報告書を持ち込んで来られたようですな。これだけ内情をきちんと記載した報告書を提出してもらえるのも、ヴァン様が良い統治を行っておられるという証拠でしょう。その分、書類の枚数は数倍ほどになりますが、有難い話だと思って丁寧に確認を行っていただきたいですな」
と、エスパーダはしみじみと語る。それに深く溜め息を吐き、書類の山を眺めた。
「……有難いことかもしれないけど、書類の山を見ると逃げ出したくなるよね。最近は遠征も多いし、ちょっと面白い武器とか乗り物とか造りたいのに、そんな時間もないし……そろそろエスパーダのお勉強も回数を減らしても良いかもしれないね? 訓練もそうだけど、やっぱり時間が限られてるからさ。例えば、書類がこれだけ多かったら勉強と訓練を免除、みたいな感じで……」
「ヴァン様は睡眠時間を常に八時間以上確保しておられます。私としてはもう少し勉強の時間を増やしても問題ないかと思っておりましたが……」
「地獄やん」
エスパーダのとんでもない返答に思わずエセ関西弁が出てしまった。それにティルが噴き出すように笑い、一言感想を述べる。
「もしかしたら、ヴァン様が一番不満を持っておられるのかもしれませんね」
ティルのその言葉に、アルテやカムシンも笑う。そうか。パワハラ社長にならないようにしようと思っていたが、どうやら僕はハラスメントを受ける側だったらしい。エスパーダハラスメント。いや、執事ハラスメントか。新しい。略称はバトハラにしよう。
そんなことを思いながらエスパーダを恨めしそうに見上げると、エスパーダは静かに口の端を上げた。




