ムルシア喜ぶ
元から城塞都市ムルシアには水を引いており、煮沸消毒も出来るようにしていた。このことにより飲み水は問題ないが、問題は排水が不十分な点だ。汚水が集中するためかなりの頻度で下水道の清掃・メンテナンスをしなくては衛生面で良好な状態を維持できない。
防衛設備や領主、騎士団の為の住居はあるが、新たな住人の為の物はまだまだ足りない。エスパーダの予想だが、今後もどんどん人口が増えるだろうとのことだ。
そして、新たな住民が増えればムルシアの仕事は目に見えて増加する。セアト村では僕が指示を出して戸籍を作成しているが、城塞都市ムルシアも同様である。現在新たに引っ越してきた移民達の戸籍は出来たようだが、今後も新たな住民を迎える度に過重労働が増加してしまう。だからこそ文官を増やしたいだろうが、実はセアト村と冒険者の町も同様の状況である。涼しい顔で大量の事務作業を処理しているエスパーダが異常なのだと言える。なにせ、一番最初の四百人分の戸籍はエスパーダ一人で殆ど処理したのだから。
次に問題となるのが公共施設である。大きな都市では各届け出や手続きの為の役所、学校、病院など様々な施設があるのが普通だ。まぁ、場所によっては学校や病院は金持ちや貴族しか行けないようなところもあるが。
ちなみに、立派ではないが、セアト村には寺子屋のような教育施設がある。本当なら年齢や知識ごとに教育カリキュラムを作成したいが、出自も年齢もバラバラの者が多い中でそれは断念した。
他にもセアト村に設置した公共施設は多い。それらを城塞都市ムルシアに設置するには多くの人材が足りない状況だった。ムルシアもそれは分かっているが、一先ずは最も苦情が多い住居の問題をどうにかしようとしたのだろう。
「仕方ないなぁ、ムルえもんは」
エミーラが作成した城塞都市ムルシアの地図を確認しつつ、冗談交じりにそう呟く。
「え? ヴァン様?」
「何か仰いましたか?」
一緒に地図を見ていたアルテとカムシンが僕の独り言を耳にして首を傾げる。それを笑って誤魔化しつつ、ティルの用意してくれた紅茶を口に運ぶ。
一拍の間が空き、状況を詳しく説明してくれていたエミーラが小さく咳払いをして口を開いた。
「その、ヴァン様? お話を続けても?」
「あ、お願いします!」
慌てて背筋を伸ばして返事をすると、エミーラは「は、はい」と畏まった様子で返事をして地図を指差す。
「先ほど申した通り、城塞都市の形状から考えるとこのエリアを居住区にした方が良いかと思います。現在は多めにある兵用の宿舎を開放していますが、やはりセアト村での生活と比べてしまうようで……」
「まぁ、プライベートな空間って大事だよね。うん、良く分かるよ。思春期の子とかだったら鍵付き個室から出たくなくなったりするかもね。うんうん」
住民の気持ちになってそう告げると、エミーラとティルが変な顔をした。
「……ヴァン様? そういった感情を持つ年齢って、もう少し後ではありませんか?」
「いえ、ティル様。反抗期などはヴァン様の年齢でもありえることかと……しかし、そうも見えませんし……」
「あ、反抗期……そういえば、この前お父上に言い返す場面があったような……」
「え? 侯爵様にですか? それは立派な反抗期かもしれませんね」
二人はひそひそと僕のことを話していた。それに居心地の悪い気持ちを抱きつつ、アルテに視線を移す。すると、アルテは目を瞬かせてこちらを見た。
「ヴァン様。はんこうき、とは何でしょう」
「え? な、なんか、色々もう嫌ぁーってなることかな?」
「ああ、そういうことですね。確かに、ヴァン様は近頃パナメラ様に無理難題を言われて、もう嫌だって言われていたような……」
アルテは素直に誤解したらしく、ヴァン君イコール反抗期という数式を頭の中に構築してしまった。いやいやいや、パナメラの無茶ぶりを相手にすれば誰でも反抗期になる。むしろ、ストライキをするレベルだろう。
「あ、アルテ……パナメラさんの鬼畜の所業は誰でも走って逃げたくなるくらいで反抗期とは違うと……」
「ほほう? 鬼畜の所業とは、何のことかな?」
不意に、背後で物凄い圧力のある声が聞こえてきた。いや、自分がそう感じているだけなのだろうか。海から現れた大怪獣の咆哮を目の前で聞いた程度の迫力はある。
「……ぱ、ぱぱっぱぱ、パナメラ伯爵?」
がくがくと震えながら名を呼んで振り返ると、パナメラが柔らかな笑顔で首を傾げた。
「ん? まるで私がぱっぱらぱーとでも言いたげな物言いだな? ぱっぱらぱーのパナメラ伯爵か? ふふふ、ごろは良いではないか」
「お、おお、そのような恐れ多い……」
「なに? 恐ろしい? こんな可憐な乙女を捕まえて酷いことを言う奴だな。私としては今後の少年の行く末の方が恐ろしいがな?」
「……それは、僕の未来にとんでもない恐怖が待ち受けているという……」
「そのようなことは言っていないではないか。なぁ、ヴァン子爵?」
「怖い! もう無理! お願いだから普通にしてください!」
ついに、パナメラの笑顔に耐えられなくなって叫ぶ。しかし、パナメラはにこにこ笑いながら背後に立ったまま、喋り続けたのだった。




