挿入話3 【別視点】 タルガの衝撃2
【タルガ】
「はじめぃ!」
ディーがそう告げた瞬間、ヴァン様の姿が目の前から掻き消えた。
「……っ!?」
それまでの動きが嘘のような俊敏さだ。身を低くしながら迫ってきているに違いないと直感的に予測し、木剣を斜め下に構えながら一歩後退した。
直後、木剣同士がぶつかる激しい音と衝撃が腕に伝わってくる。
「え、防がれちゃうの!?」
驚く声が左手側から聞こえてきた。剣を打ち込みながら移動をしたのか。それも、基本に忠実に相手の利き手と逆側に移動している。
慌てないように注意しながら、素早く反転して剣を構えた。
だが、そこには誰もいない。
左右か、それとも回り込まれたのか。どちらにせよ、誰もいない方向は一つ分かっている。
一呼吸の間も置かず、誰もいない前方に一歩、二歩と飛び込むように移動して後方へと剣を振った。その勢いで後ろを振り返ると、目の前に木剣の剣先が現れる。
「勝負あり!」
ディーの声が高らかに響き渡り、ようやく視野が広がってきた。呼吸を整えながら視線を下げると、嬉しそうに笑うヴァン様の顔がすぐそこにあった。
「やったね! 後からどんどん勝てなくなるから、最初の一回だけは外せないんだよ」
木剣を軽く左右に振りながらヴァン様はそう言い、ディーも笑う。
「タルガ殿。油断してはいかんぞ。ヴァン様は毎回感心させられるような奇策を用いるのだ。まぁ、常に格上の騎士達と剣を交えているのだから仕方ないことかもしれんが」
「そうだよね。カムシンも大人と変わらない体格になってきたから、見習いの人たちと一緒に練習させてほしいよ」
文句を言うヴァン様に、ディーだけでなく他の騎士達も苦笑で応えている。
それはそうだろう。今の立ち合いを思い返してもそうだが、ある種の才能をヴァン様は備えておられる。小柄な体格を逆手に取り、こちらの視界から外れる為に様々な工夫がされている。剣の先は少し高過ぎるように感じる構えだったが、こちらの意識を少しでも上に持っていきたかったということか。動きにしてもそうだが、開始と同時に剣を持つ方の手に向かって姿勢を低くして飛び込んでいる。つまり、僅かでも遮蔽物を利用して身を隠そうとしたのだ。
事実、一瞬の気の緩み、油断があった私には効果的だった。剣を弾かれそうになり、無意識に意識が右手側へ向いた。その瞬間を狙い、ヴァン様は私の背後に回り込んだに違いない。今にして思えば、左手側から聞こえた声は真横というわけではなかったはずだ。
「……もう一度、お願いいたします」
今度はこちらが挑戦する立場だ。そう思い、深く頭を下げて次の模擬試合を願い出た。それにディーが頷き、手を挙げる。
「それでは、もう一度」
「えー、休みたいー」
ヴァン様はディーが試合開始の準備をする様子を横目に駄々をこねたが、その体勢はしっかりと木剣を構えている。すべてが布石。すべてが油断を誘う行動、言動なのか。
そう気づいた瞬間、何故か私は笑みを浮かべていた。
「はじめぃ!」
ディーの合図を聞き、今度は最初から視野を広げるべく動く。腰を落としながら一歩引き、どの方向に動かれても対応できるようにしたのだ。これで、純粋な剣術と体格の勝負となるはずだ。
だが、万全の状態を整えた私を見て、ヴァン様は嬉しそうに笑っていたのだ。
そこからはおよそ騎士同士の模擬試合ではみられることのない戦闘内容ばかりとなった。剣を打ち払いながら右手側奥へ走り抜けようとするヴァン様の背を追い、木剣を振るう。しかし、剣が届く前にヴァン様は地面に飛び込むようにして転がった。
何が起きているのか分からないが、確実に言えることがある。ヴァン様を体の正面に捉えておかねば、どこから剣が来るか分からない。
必死にヴァン様の動きを追い、剣を構え直す。しかし、立ち上がり様にヴァン様が地面と並行に木剣を水平に振るい、慌ててそれを回避した時にはもう遅かった。再び、ヴァン様の姿を見失ったのだ。
もう一度右手側へ移動したのは間違いない。その認識で木剣を横薙ぎに振りながら振り返ったが、もう遅かった。相手の位置を認識せずにがむしゃらに振った剣は斜め下から跳ね上げられ、そのままヴァン様の持つ木剣がこちらの体を斜めに打つ。
「勝負あり!」
「おお!」
二度目のヴァン様の勝利に、周りで見ていた騎士達が歓声を上げた。反対に、まさかの連敗を喫した私は大きな衝撃を受けている。
信じられないことだ。王都の騎士団に所属して、次に王家の騎士団に抜擢された。その間、多くの者と剣を交えてきて、連敗をした相手など数えるほどしかいない。特に、砦の防衛を任されてからは一度たりとも一対一の勝負で負けたことはないのだ。
ヴァン様の底知れぬ才覚に驚嘆していると、ディーが肩を揺すって笑いながら歩いてきた。
「この騎士団ではヴァン様の行動を読む練習がありますぞ」
と、冗談とも本気ともとれない発言を受け、苦笑と共に顔を向ける。
「……ディー殿。これは凄いことです。どんな相手であれ、実戦で同じ人物と何度も斬り合うようなことは皆無に等しい。確かに、今後ヴァン様との試合を重ねればやがては私が勝ち越すようになっていくでしょう。しかし、もし私がヴァン様と実戦で戦っていれば、もう命は無かったかもしれません。戦場では二度目など無いのですから」
知らず知らずのうちに興奮していて自分の言いたいことを上手く言葉に出来なかった。だが、ディーはそれを笑うことなく、深く頷いて答える。
「そうですな。あれがヴァン様の強さで間違いありますまい……本当は真正面から全ての敵を斬り伏せる剛剣を教えていくつもりだったのに、訓練を厳しくし過ぎてしまったということなのか」
ディーはそう口にして声を出して笑い出した。なんでもないことのようにディーはそう言ったが、その言葉を聞いてヴァン様に同情を禁じ得なかった。
十歳であれだけの剣の腕を持つには、最低でも五年間休まずに鍛錬するしかない。そして、教える師はあの龍討伐士のディーだ。剛剣を教えられつつも、勝つ為には奇策を用いるしかない。五歳や六歳程度の幼子が、どれだけ知恵を振り絞って鍛錬を続けていたのか。
「……ただ一言で天賦の才を持つ人物だと評してはいけませんね。天才でありながら、恐るべき努力を積み重ねてこられたようだ」
そう呟くと、ディーは目を細めて笑ったのだった。




