挿入話② 【別視点】タルガの衝撃1
【タルガ】
ヴァン様は優れた領主である。それは重々に承知しているつもりだった。しかし、それでもまだ頭のどこかに十歳の少年であるという事実が残っていたのだろう。
十歳として考えると驚異的なまでの知識や行動力を持っている、という程度の認識が捨てきれずにいたに違いない。
しかし、その考えは瞬く間に破壊された。
私とて、ただ砦を守っていたわけではない。幸運なことに王都騎士団で武功を挙げ、陛下の覚えがめでたかったおかげで、通常では考えられない速度で出世をすることが出来た。重要拠点の防衛を任されるという大役だ。これを成し遂げたなら小さな町の代官に据えられる可能性もある。
そう思い、拠点の維持を行いながら多くのことを学んできたつもりだった。王都から騎士団だけでなく文官も一人派遣してもらっていた為、日々充実した学びを得ていたと思っていたのだ。
だが、ヴァン様の知識や考え方は一線を画していた。
ヴァン様がなんでもないことのように口にしていた言葉一つでもそれは実感できる。
「民無くして国は無し、みたいな話もあるよね。だから、やっぱり領地に住む皆が楽しく暮らせる領地にすることが一番だと思うんだ。衣食住を整えて、働く場所を与える。後は平和な領地を目指して完璧な防衛設備を準備する。そうすれば、自然と領地に住む人は領主に信頼感を持ってくれるんじゃないかな?」
当たり前のようにヴァン様はそう言った。その言葉に、どれだけの貴族が素直に同意することが出来るだろうか。たまたまかもしれないが、これまで会ってきた貴族達の中に、ヴァン様のような考え方をする人は少なかったように思う。
また、ヴァン様はまるで庶民としての生活をしていたことがあるかのように的確に領民たちの要望に応え、さらにその期待を上回るほどの設備を作り上げている。その斬新な考え方や知識はとてもではないが十歳の少年が持ち合わせるものではない。
ヴァン様の作った町は綺麗に整えられているだけでなく、とても効率的な構造をしている。さらに「衛生面が重要」と何度も繰り返していたが、その一環として整備された下水道や大浴場、取水と煮沸装置などは見たこともないものだった。
これらを備えたセアト村や冒険者の町は確かに快適であり、清潔な状態を維持していた。衛生面に配慮したことで病気になる領民も少なく、領地全体の雰囲気も明るいものとなっている。
ヴァン様の考え方が間違っていないことを裏付けるように、効率的な領地の造りや領民の生活水準を高めることで、全体的に生産性が高い状態を維持しているようだ。
「ヴァン様ーっ! 美味しい野菜ができましたよー!」
「ヴァン様、アプカルル達が魚を獲ってきました!」
「ヴァン様、そろそろバーベキュー大会しませんか?」
領地内を歩けば、次々に住民達がヴァン様に声を掛けてくる。最初は偶々かと思ったが、どうやらこれが通常の景色らしい。ヴァン様の統治方法が領民の生活を豊かにし、信頼を築くことに貢献しているのだ。
素晴らしいことであり、是非とも参考にしたいとは思っているが、ヴァン様の生活で驚くべきことはまだまだあった。
「むむ! そのように腰が引けていては斬れませんぞ!?」
「だって体格が違うんだってば! 真正面からは無理だよ!」
「それが出来れば一人前ですな!」
「無理だってばーっ!?」
と、ヴァン様は朝の鍛錬でディーに鍛えられながら弱音を吐いていた。ようやく子供らしい姿が見えたと思い、なんとなく安心していると、ディーは楽しそうにこちらを振り向いた。
「ふむ。タルガ殿も一手ご教示願えないだろうか? ヴァン様の良い練習となろう」
「打ち込み相手ですか?」
ディーの発言に目を丸くして聞き返す。すると、ディーは首を左右に振って笑みを深めた。
「いや、模擬試合である」
「わ、私と、ですか? もちろん構いませんが、如何せん体格差が大きく……」
ディーの提案に、思わずヴァン様の頭を見下ろしてしまう。身長は半分ほどだろうか。練習にもならないほどの身長差だ。筋力も全く違う為、こちらの剣を受けることすらできないだろう。こちらの練習にならないということはさておき、ヴァン様にすれば殆ど虐めに近い内容である。
「えー、タルガさんとやるの? まぁ、ディーとやるよりは手加減してくれるだろうから良いかもしれないけど……」
戸惑う私のことを横目に見つつ、ヴァン様はそう口にして木剣を手に軽く体を伸ばして準備運動を始めた。まさか、本当に模擬試合をするつもりなのか。ディーの独特な冗談かと思っていたが、周りの者を見ても興味深そうにこちらを見ているばかりで止める者はいない。
「ヴァン様、タルガ様と試合ですか?」
ヴァン様の第一の従者であるカムシンがそう尋ねると、ヴァン様は体を捻って腰の柔軟体操をしながら頷いた。
「そうなんだよ。ディーも無茶を言うよね。カムシンなら多少はいけるかもしれないけど、僕は無理だよ」
諦観を滲ませながらヴァン様がそう告げると、カムシンは苦笑して首を左右に振った。
「俺はまだまだ馬鹿正直に突っ込んでしまう時があるので、ヴァン様の方が良い勝負が出来ると思いますよ」
「えー? 嘘だぁ。最近はずっとカムシンの方が勝ち越すことが多くなってるよ」
「ちょっと勘が当たり出しただけです」
「野生の勘!?」
と、二人は歳の近い少年同士らしい会話をして笑っている。子爵家当主と従者の少年と考えると信じられないような会話だが、この領地では日常的な光景だ。
そういえば、このカムシンという少年も相当な逸材である。身長が平均より高くヴァン様と比べると頭一つ分ほど大きい為同世代には見えないが、それを差し引いても目を見張るほどの剣の腕前だ。すでにディーが指揮する騎士団の中で最上位の実力を持つ一人らしく、必ず毎日ディーと一対一で剣を交えていた。他にもアーブ、ロウの二人も中々の腕前だ。
そして、それらの騎士達を相手に互角に戦えるというヴァン様は、いったいどのような戦い方をするのか。領主としての業務が多忙を極めていて、ヴァン様が朝の練習で試合を行う場面を見ることが叶わなかったが、まさか自分が戦うことになるとは。
通常の長さの木剣を手にして軽く動作を確認しながら周りを再確認する。
セアト村の外周部に位置する稽古場だ。広さは数十人が一斉に稽古をできるほどだが、それでも実戦に近い模擬試合をするなら一組ずつした方が良い程度の広さである。そういった環境もあり、周囲をぐるりと囲む身長の高さほどの塀に背を預ける形で修練中の騎士達が並んで立つ格好となった。中心にはヴァン様と私、そして審判役のディーだけだ。
「……こちらの木剣には布を巻きますか?」
「え? それなら全て布で出来た剣に交換する?」
私の提案にヴァン様は嬉しそうに乗ってきたが、ディーが口を曲げて鼻を鳴らした。
「いけませんぞ」
「けちー」
短いやり取りをして、ヴァン様は苦笑まじりに私を見上げた。
「とりあえず、このままやろうか」
「……分かりました。それでは、せめて先手を譲りましょう」
「おお、やった!」
ヴァン様は子供のように喜ぶと、剣を構えてその場で何度か飛び跳ねてみせた。小柄で体重も軽そうに見えたが、動きも極めて軽快である。感心して眺めていると、ディーが軽く溜め息を吐いて首を左右に振り、開始の合図をする。
「それでは、始めますぞ。お二人とも問題ありませんな?」
「構いません」
「いいよー」
二人揃って返事をすると、ディーは片手を挙げて息を吸い、振り下ろすと同時に叫ぶ。
「はじめぃ!」
ディーがそう告げた瞬間、ヴァン様の姿が目の前から掻き消えた。




