第2話「覚醒」
ーーーーーーーーーーーーーーーー「ハッ!!!…」
私が目を開ければ、そこは森であった。何、夢を見ていたのか、不景気な夢だ。と思いつつ私は起き上がった。コートと軍服は少し煤汚れているが問題なく、軍帽もしっかりと横にあった。
いやしかし待て、私は死んだ筈だ。しかし、私は生きている。本来ならばこの様に生きているなど、信じ難い事だ。自決は本当に夢なのだろうか…?
目下、敵は攻撃を中断しているようだ…上空に、敵機の影は無い。砲声は…聞こえぬ。鳥は囀り、枝から枝へ…飛び移りつつ、歌っている…。
健康状態は…悪くない。何故か不思議と至って健康であり、何処も不便な箇所は無い。肌を見ると、“例の藪医者”に薬漬けにされる前の私の様に珍しく血色が良かった。よく腕も動く。手の震えは…止まっていた。ただ、まだ頭痛が少しする。
…とこれはいけない。そんな健康状態なぞ気にしている訳にはいかないのだ。我が第三帝国の命運がかかった戦いを、最後の瞬間まで指揮せねばならない。ボリシェヴィキ共に少しでも痛手を与えてやらねば…
「デーニッツ元帥は…近くに居るのか…!?ブルクドルフは、ボルマンはどうしたのか…総統地下壕は!?これは何処の森なのだ…!?」
私はすぐさま行動を開始した。ーーー不思議な事に、何故森に居たのかはこの時、気にはならなかったーーー
木の間を潜り抜け、枝を払い、少し進むと賑やかな音が微かに聞こえてきた。
(あぁ、これはベルリンの音か!?今ボリシェヴィキの連中はどうした?空爆の音は未だに聞こえない。もはや存続は無理かと思ったが、デーニッツ元帥の采配は素晴らしかったようだ。どうやら司令部は未だ健在な様だ!私も生きているということは、恐らくそうだな、ゲッペルス宣伝相も生きているということだろう。そうに違いないな。そうだ、私もこんな所で呑気にしていてはならぬ。総統地下壕に戻り、最後の防衛戦の指揮を執らねば…)
とこんな事を考えながら、音のする方へと進んでゆくと、急な坂に出くわし…私は枯葉で滑ってその坂を転がり落ちた。
ゴテッとした硬い音と、激しい痛みが全身を襲う。私は恐る恐る目を見開くと…
そこには街があった。そう、街が存在したのだ。思わず独り言が出た。「なんなのだこれは…何なのだ!」
更にそこから立ち上がると、全身をわなわなと震わせて叫んだ。「何なのだ!これは!!!私はベルリンを木っ端微塵に破壊しろと命じた筈!それが何故、この様な状態で残っているのだ!第一、破壊せずとも赤軍の侵攻で最早破壊されかけていた筈なのだ!私の見たベルリンの景色とは大きく違う、何なのだ!これはァッ!!!」
私は全身全霊を傾け、敵に汚されたこの大地では、何者も生存出来ぬよう、全ての社会基盤を破壊すべく努力した。
故に、ベルリンは存在しない筈だった…ところがどうだ、未だこのように、存在していたとは!!!私にとって、信じ難い光景だ。
ハッと気がついた時、私の頭には更に混乱が増えた。
動物が服を着ていた。動物が服を着て、言葉を喋り、文明を築いて居たのだ。中には鎧兜に身を包んだ動物の兵士すらいる。
とうとう私もおかしくなったのか?気狂いになってしまったのか?煙草もしないこの私が!?有り得ぬ。いや、これは“例の藪医者”に騙されて投与されていたヤクに見せられている夢なのか…いやいや、そんな筈が無い。何故なら?何故なら私はこうして存在しているからだ!ならば此処はベルリンに程近い未開の地なのか…いや、そんな馬鹿な。等と考えつつも私は、鎧を着て鉄兜を被り、槍を持った中世の兵士風の出で立ちの狼に声を掛けた。まずは情報収集が先だ。何事に於いてもな。狼は左目に大きく傷があり、眼帯をして居た。
「もし、我が忠勇なる狼の国防軍兵士よ。我が総統地下壕は何処だね?」
「…」何も答えぬ。当たり前だ。総統にこんなにも間近に会える事なんてそうそう無い事だ。私は更に質問を続けた。
「いやいや、緊張せずとも良い。デーニッツ大統領やゲッペルス宣伝相…いや、首相だったな、彼らは何処にいる?その他マルティン・ボルマンでも良い。誰か知らんか?」
その時初めて狼が話した…のだが…
「アッディールグルールス、フォハッケンベルガァトロートゥ」
「つ、通じん…」
その瞬間、私の頭に閃光のような何とも甲高い音を立てて痛みが走った。
「なんだ、貴様、よく分からん言葉を喋りおって。」
何と、先程我が言葉が通じなかった獣が、よく聴ける言葉で話し始めた。
「通じる…のか」
「なんだ貴様、ちゃんとした言葉を話せるではないか。」
成程、奴の反応を見るに、どうも先程迄は双方が意思疎通出来ていなかった様だ。言葉が通じなかったのだ。しかしどうやら先程の頭痛で、私はこの狼の話す言葉を話し、聞き、理解出来るようになったと見える。
「おぉ、通じるぞ、では我が忠勇なるドイツ国防軍の狼の兵士よ、再び聞こう。総統地下壕は何処だね?」
「知らん。なんだそれは。」
「総統地下壕を知らぬとは…では、デーニッツ大統領やゲッペルス首相、マルティン・ボルマン等は誰か知らんか?」
「知らんな。誰だそれは。」
「ボルマンを知らぬだと…!?全国指導者だぞ…!!」
「知らんと言ったら知らん!一体誰だそれは。」
なんという事だろう。このうち1人も知らんとは。流石に獣よ。
「な、何…!?では、ひとまず基本的な確認からだが…」
こんな事は赤ん坊でも分かるであろう、と私は質問した。赤ん坊にわかって獣に分からぬ道理は無い。獣にはこの程度の簡単な質問から入るべきであった。私が間違えていた。しかし今回の質問は格別に簡単だ。
私の愛犬、ブロンディですら私の事をしっかりと認識していたのだからな。まぁ、ブロンディは全ての獣の中で最も優れている純血のジャーマン・シェパードではあるが…
「ここは、なんという都市だ?ベルリンなのだろうな?」
「何…!?ベル…何とか?」
「ベルリンだ。」
「そう、それだ。そんなもの知らんな。貴様何言って居るのだ。総統地下壕だのマルテン・ボヌマンだの、訳の分からん事をほざきおって…頭おかしくなったのでは無いのか?」
「あ、あぁ、だから聞いているのだ。ここはベルリンなのだろう?」
「だから、違うと言っているだろう。大体貴様なんなのだその奇妙な格好は。」
「奇妙?貴様、私の軍服を知らないのか?」
「知らんな。」
「では、この軍帽のマークは?」
「知らん。」
「…では、私の事は!?」
「知らん。」
「な…なっ、」
私は言葉を失った。今、現時点に於いて私を知らない社会が、未開地以外でこの世界に存在しうるとは…!!
「所で、貴様、ここは今、西暦何年だね?」
「西暦…?何だそれは。今は帝国基準暦332年だ。貴様、やはりおかしいな。」
「帝国基準暦…!!!なんという事だ。西暦が通じぬとは…!!!」
私は考えた。そしてこう結論付けた。
私が今いるのは別世界、つまりは異世界であると。そしてここには我々とは掛け離れた文明があるであろうということ…
いや、こうでも定義付けねば説明のつき用がない。
「おい貴様、貴様!!!」
呼ばれた声でハッと我に返った。
「…ん?あ、あぁ。」
「やはり怪しい…私と一緒に来て貰うぞ!」
「何だと!?私は何もしておらんぞ!おい、止めたまえ君、私を誰だと思っておるのだ…!!!」
「怪しいから来いと言っているのだ!其れに第一貴様など知らんと言ったでは無いか」
私は決死の抵抗を試みたが、それも虚しく私は獣に縄で縛られてしまった。そして、何かを聞く間も与えられず、狼に縛られたまま歩かされ始めた。
昨日は我が総統と呼ばれ敬意を集めた私が、今や縄で縛られて、不審者として扱われるとは!甚だ冗談ならぬ状況ではないか。そして、なんと無様な状態ではないか。ゲルマンの恥だ、冗談ではない!!
考え事をしつつ、縛られながら街を歩くと、建物の間の路地から一際大きな通りが見えた。きっとこの街の中央の通りなのだろう。
石造りの立派な街道で、ここらでは類を見ない巨大さを誇った。…無論、我がベルリンのウンター・デン・リンデンには、華やかさでも、そしてその大きさでも遥かに劣る。が、獣の街としては上出来である。
私は歩みを止めて聞いた。
「あれは中央の大通りか」
「そうだ。貴様は本当に無知だな。帝都を起点に放射状に伸びる帝国立国家中央街道、その3番道路で西方方面を担当する「|グローリア・カイゼル・リンデンブルクⅢ《偉大なる皇帝リンデンブルク三世》」だ。帝都グラン・ヴェルメと西の果てのアルデン・ブリンツを結んでいる。ほら、さっさと歩け!!」
私は再び歩き始めながら考えた。
ほぉ、なるほど。今ので中々の情報を得た。
どうやらこの国は帝政だ。皇帝がいるようである。建物を見た所文明は中世の中期か後期程度だろう。そして人間は…
「居たッ!居たぞ!!私と同じ人間だ!」
私は思わず叫んだ。
狼の兵士は怒った。
「こら貴様ッ!連行中だぞ!!第一なんだ、人間如きで騒ぐな!!貴様だって人間であろうに!!」
いやそんなのどうでも良い。狼の言葉なぞ耳に届かなかった。
あの景色は変わらぬ。乳母車を押して子供の面倒を見る母親がそこには居た。私の進む道の、反対方面、つまり右方面で少し立ち止まっていた。
我がドイツでもよく見た光景だ。
その通り、子供は未来だ。未来である。我がドイツでも子育ては積極的に支援をした。優秀なアーリア人の子供をより良く育てる為に、私はヒトラー青少年団やドイツ女子同盟を作って娯楽を提供し、より良い教育を施してやった。子供達が胸を張って民族の誇りを持つような教育だ。それこそ模範的教育である。母親のご婦人方には、ドイツ女性事業団や国家社会主義女性同盟を設立して加入させてやった。ご婦人方は仲間が出来る事を何よりも喜ぶからな。
「おぉ、素晴らしい…」
母親は唖然と私を見ている。そうか、総統に会えて…いや違ったな。ここはかつてのドイツでは無い。ここは異世界で、私は不審者…
「いかんいかん、取り乱して済まない。狼の…」
「ヴォルフスブルク・シュヴァーベン伍長」
「おぉ、そうだった、ヴォルフスブルク伍長、済まない。」
「ほら行くぞ、なんなのだ一体貴様は…ベルリンとかいう架空の都市について語り、母子を見て叫ぶ…よく分からぬ男だ。俺も長い事警備を担当しているが、貴様のように根からおかしな男は見た事がない。貴様、名は…」
「大ドイツ国総統アドルフ・ヒトラー、1889年4月20日生まれ、オーストリア=ハンガリー帝国ブラウナウ・アム・イン出身。身長175cm、国家社会主義ドイツ労働者党党首で、党員番号555番だ。」
「あぁ、分かった、分かった理解した。」
あからさまに棒読みな返答だが、まぁいい。これから心を掴めば良いのだ。良き人民、良き党員とは、地から自然に降って湧いてくる訳でない。心を掴み、忠誠心を育て、良き指導者の元に在って初めて良き人民足りうるのだ。
「どうしてしまったのか…よりによって異世界とは…」
私は混乱しつつも、今の状況を一つ一つ、整理していった。