第1話 「転移」
引き金を引いたその瞬間、私の瞼に閃光の様な光が走ったかと思うと、直後、私の意識はふわり、ふわりと暗く、冷たい世界の底へと落ちていった…
如何程ばかり落ちただろうか…身体がほっかりと暖かく感じた。
なんの事かと眼を開いたら、遥か下方に赤い炎に包まれた街が見えた。
良く目を懲らせば、よく見た悪魔の様な姿をした物が動いている。
(あぁ、あれが地獄か。)
私は報いを受けるのか。しかし、もう恐れるものは無い。ボルシェビキの捕虜になって、凌辱の限りを尽くされるよりは、遥かにマシだ。
そう思って居たら、あっという間に地面に近づき、私は地獄に降り立った。
黄色がかった土と、その土に塗れた灰色の石の転がる、何も無い、少しばかり小さめの広場だ。周りは火で囲まれていたが、一つだけ火のついてない所がある。そこから真っ直ぐに1本の土の道が続いていた。
その先を見れば、大きな石造りの城壁と、木と鉄で造られた、中世風の巨大な門が見える。どうやらそこに行けということらしい。
地獄に降り立ったや否や私は胸を張って、その城郭へと勇み足で歩いていった。
門の右端には、悪魔が居た。
胸を張って歩いてきた私に奴は言った。
「驚いたな、貴様、あれだけの悪業を重ねながらも、1寸の恐怖も、まして懺悔の心すら感じられぬ。これから自分の受ける罰が恐ろしくは無いのか。」
私は言い返した。
「何?君、一体私を誰だと思っているのかね。大ドイツ国総統、アドルフ・ヒトラーである事を忘れるな!?」
奴は生意気にも再び言い返して来た。
「そんな事は知っている。しかし、私を君呼ばわりとは、益々恐れ入ったわ。私は泣く子も黙る悪魔であるというのにな!」
いちいち面倒のかかる悪魔だ、いや、やはりこういう時に親衛隊が居ると便利だ。などと思いながらも、負けじと言い返してやった。
「所詮は下っ端の悪魔だ。かような悪魔如き、なんて事は無いな。スターリンの方が余程悪魔に近いと見える。地獄とやらも何、大したことはないでは無いか。私が第1次世界大戦で従軍した、ソンムや、パッシェンデール、或いは西部戦線での戦いに比べれば、生温い位のものでは無いか。」
みるみるうちに悪魔は、その赤みがかった顔を更に赤くして、怒りに震え、激しく憤慨しているようであった。
私は言ってやった。
「ところでだ、我が友、哀れな悪魔君、もう少し遊んでやりたい所たのだが、生憎時間が無い。では、さらばだな。」
こうして怒れる哀れな悪魔を尻目に、私は悠々とその場を後にしたのである。
門の中に入ると、そこでは、槍を握った天使共がウヨウヨとその場を仕切っていた。
(地獄に天使か、珍しい…いや、私も大天使ミカエルの裁きを受けねばならんのか。真っ直ぐ地獄行きだと思ったが…)
どうもこの城は大天使ミカエルの元へと続く階段の出発点であったらしい。
如何に私と言えども、1度は裁きを受けねばならんようだ。
城の中は立派な中世の石造りで、壁には赤々と大きな松明が付いていた。赤字に金の刺繍が施された絨毯が敷かれ、その絨毯に沿うように列が出来ており、鉄の甲冑を着た天使がそれを仕切っていた。
列に並んで居たら、後ろからトントンと肩を叩かれた。何事かと後ろを振り向いたら、「ヒトラー・万歳!あぁ、総統閣下!お会いしたかった…!!」といきなり叫ばれたので驚いたが、何の事はない。ゲッペルス宣伝相であった。家族もいる。
私は全てを察し、彼らに十字架を切り、向こうもそれを返した。
そして私は今1番知りたい事を質問した。
「して、宣伝相、我が遺体はきちんと燃やしたのだろうね。」
「はっ!我が総統閣下、無論でございます。閣下の仰せの通り、たっぷりとガソリンをかけ、エヴァ氏と共に…」
「うん、宜しい。ボルシェビキ共に火葬されるのは最も屈辱的な事だからな。嬉しいよ、ありがとう。」
「は、はっ!勿体なきお言葉にございます!閣下も仰られました通り、ボルシェビキ共には、死んでも閣下のご遺体を渡してはならんと思い、火葬致しました。我が党は最早壊滅致しましたが、我が党の精神は永遠不滅として生き残るでしょう!」
彼は胸を張って私に、死後の報告をする。
「そうか…しかし君、私は君を新政権の首相に任じた筈だが…」
「アッ、いや、なんというか、その…!!」
「あぁ、下らんもう良い。やめたまえ。死んでまで見苦しいぞ君。私も冥土に来てまで怒るまい…何故デーニッツを良く補佐しなかったのかと怒りたい所ではあるが、恐らく彼ならば上手くやってくれる筈だ…なぁ?そうだろう?ゲッペルス君。」
「は、はっ!!その、誠に申し訳御座いません…」
「もう良い。頭をあげたまえ。後どの程度君と居れるのか分からんからね。」
「はッ…!!」
そうこうしている内に、私が階段を上る番がやって来た。
「では、さらばだ。我が友ゲッペルス君。また地獄で会えたら会おう。無理ならば今生の別れだ。」
「は…はっ…!!」
ゲッペルスは涙ぐんでいた。
「では、もう行くよ、さらばだな。」
「では、くれぐれもお気をつけ下さい、我が総統閣下!またいつかお会い出来る日を楽しみにしております!」
こうして私は大天使ミカエルの元へとその為に白く、美しい大理石の様な階段を登っていった…
幾らばかりか登ったろうか…
私は大天使ミカエルの元に居た。
その巨大な羽付き男は、口を開いた。
「アドルフ・ヒトラー、貴様の運命なぞ、言わずとも貴様が1番分かるであろう。」
「あぁ、分かるとも。地獄だろう?」
「ふん、その通りだな。言わずもがな貴様は約600万人近くを死に至らしめた言わば大罪人だ。地獄はもはや免れぬ。」
「貴様からしたら、まぁそうだろう。然し哀れなる大天使ミカエルよ。その巨大な頭脳でよく考え、又違う視点で見てみたまえ。」
私はその巨大な図体をした木偶の坊に、得意の弁論を聞かせてやった。奴に理解できるか否かは別として、だ。
「私はドイツ国民の望むべくして誕生した総統だ。それは君も知っている事だろう。私と我が党は、民主主義により選ばれた。そして国民は私と、私の党のする事を熱狂的に支持したのだよ。つまり独裁をも彼らの望んだ結果であった訳だ。」
人差し指をピンと上に伸ばし、軽く腕を曲げたポーズをとり、そのしっかりと伸ばした指を横に振りつつ私は更に続ける。
「つまりはだ、私はアーリア人と、大ゲルマンの理想の為に身命を賭して…」
私は少し間を置き、今度は5本の指を上に向けて手をスっと真っ直ぐに伸ばしてから更に続ける。
「恨むべき敵を、討ち果たし、彼らの望む方向へと国家の舵取りを行ったのだ。」
「なんだと?貴様、そのような詭弁がこの私に通じるか!確かに貴様、弁は立つな。然し、この私を、この大天使ミカエルを、そのような詭弁で騙せると思うな!このペテン師め。私は貴様の悪事全てをだなァ…」
「おぉっと、そこまでそこまで。」
私は奴の筋道1つ通らぬ説経を遮り、再び語った。
「もし、大天使ミカエルよ、間違いが何処にある。公正公平なる民主主義で選ばれたのだぞ?我が党は。いやぁ確かに1部不平分子がいた事は認めよう。だが、しかしだね、あれは大多数のドイツ国民が望んだ事なのだよ。白バラの運動というのがあったな、あれは私個人は兎も角、あの事件の首謀者たる少年少女を斬首刑とする事に拍手喝采を送ったのは一体何処の誰だね?大多数の大人達、ドイツの主権者達だったのだよ。」
奴の赤く染ってゆく顰め面を上に覗きながら、私は更に声を張って言った。
「良いかね!?我が敬愛する大天使ミカエルよ!私と我が国家社会主義の大運動は、ドイツを極めて富める大国へと押し上げた!其れもたった4年でだ。貴様にこれだけの事が出来るかね?ただ一人ここで延々と亡者を裁くだけの貴様に、その苦労が、血と涙が理解出来るかね!?
いいや、理解なぞ出来るまい!国民は、大多数の国民は、我々の成す事を、一挙手一投足に、大々的に熱狂したのだよ。そういう時代だったのだよ!!人権より国益の重視が尊ばれた時代だった。それだけなのだよ!分かるかね?
私を独裁者だと断ずるのは一向に構わぬ。然しだ。私が独裁者だと言うならば、ルーズベルトも、チャーチルも、スターリンだって独裁者では無いのか!?大天使ミカエルよ、どうなのだ!?」
奴はその顔を真っ赤に染め上げながら、何も言い返せずにいた。
「もう…よい。黙れ!」
それだけ言って、奴はブツブツと小言を言いながら私を追いやった。
追いやられた先は幾つもの巨大な門が置かれている広場になっていた。
私はそこで地獄への門に並ぶ列に案内されたが、その横にある少し開いた小さな門に私は興味を唆られた。
そこで私は番人の目を盗んでその小さな門の前に立ち、少し開いた門の扉を開けて、顔を少し程入れてみたその時、私はその先に続く黒い煙に包まれ、吸い込まれてしまったのだ。